第11話 変人たちの研究室

「嘆きの壁」を粉砕し、筆頭教官ガストを熱力学で論破した戦利品。
それが、学院の北端に位置する「第4廃校舎」だった。

かつては錬金術師が籠もっていたらしいが、長年放置され、今は蜘蛛の巣と埃、そして何に使われたか不明な劇薬の瓶が転がる、文字通りの「魔窟」だ。

「……なぁレイ。俺の『商人の勘』が、ここは赤字と病気の吹き溜まりだって警鐘を鳴らしてるんだが?」

リックがハンカチで鼻を押さえ、腐った床板を爪先で蹴る。
バキリ、と嫌な音がして板が割れ、黒い虫が這い出してきた。
アリスが「ひゃっ!」と小さく悲鳴を上げ、私の背中に隠れる。

だが、私の評価は真逆だった。

「文句を言うな。ここには独立した空間と、厚さ一メートルの防音石壁がある。周囲に民家もないから、多少の爆発や有毒ガスが発生しても問題ない。……高エネルギー物理学実験には、最高の立地だ」

私は白衣の袖をまくり、埃にまみれた窓を開け放った。
差し込む陽光が、舞い上がる塵を照らし出す。

「まずは環境構築だ。物理学は整理整頓から始まる。アリス、ボブ、手を貸してくれ」

そこからは、物理学者らしからぬ肉体労働の時間だった。

アリスが風魔法で埃を吹き飛ばし、ボブが「空間把握」の能力で床下の腐食箇所を特定する。
リックは「俺は出資者だぞ!」と文句を言いながらも、腕まくりをして瓦礫を運び出していく。

丸三日を費やした大掃除の末、魔窟は見違えるほど整然とした「物理学研究所」へと変貌を遂げた。
中央には巨大な黒板と、拾い集めた機材で作った計測台。
壁際にはボブが整理した資料棚が並ぶ。

環境は整った。だが、現実は非情だ。

「で、だ」

リックが、実験台の上に空っぽの財布を叩きつけた。
革と木がぶつかる、虚しい音が響く。

「ガストの旦那から予算はふんだくったが、入金は来月だ。今、俺たちの手元にあるのは、掃除で出てきたネズミの死骸と、スクラップ置き場から拾った銅線、それからアリスちゃんのおやつだけだ」

リックが深刻な顔で私を指差す。

「加速器のネジ一本買えねぇぞ」

「……金か。科学の発展を阻害する最大の要因だな」

私は腕組みをして唸った。
研究には金がかかる。

特に私が作ろうとしている「粒子加速器」は、ミスリルや魔石といった高価な素材を湯水のように消費する、国家予算レベルの金食い虫だ。

「飯が食えなきゃ科学もクソもねぇんだよ! 何か売れるモンを作れ! それも『今すぐ』だ!」

リックの悲痛な叫び。
私は少し考え、部屋の隅に積まれたスクラップの銅線を手に取った。
純度は低いが、エナメル被膜は生きている。

「なら、革命を起こそうか。……リック、この世界の料理人は、暑い厨房で火加減に苦労しているね?」

「ああ。薪は煙いし、魔石コンロは高価だ。火事のリスクも高い」

「なら、『火を使わず、鍋だけを熱するコンロ』ならどうだ?」

私は銅線を巻き始め、平面状の渦巻きコイルを作成した。

「電磁誘導」

前世の台所を支えた技術だ。

「ボブ、シミュレーションを頼む。このコイルに、一秒間に2万回(20kHz)の頻度で極性が反転するマナ流を流し込む。インバータ回路の代わりだ」

「了解。高周波スイッチングの同期、開始」

ボブが眼鏡を光らせ、マナの波形を調整する。
私はさらにアリスに指示を出した。

「アリス、君はコイルの周囲に磁束が漏れないよう、『境界』を固定してくれ。磁気が漏れると、近くにある金属──バックルの金具や銀歯が加熱して火傷する」

「は、はいっ! 磁気シールド、展開しますっ!」

即席の魔導IH装置。
その上に、リックが掃除に使っていた鉄製のバケツに水を入れ、ドンと置く。
スイッチ代わりの回路を繋ぐ。

ブゥゥゥン……

微かな唸り音と共に、バケツの水が振動し始めた。
そして数秒後。
ボコボコと激しい泡を立て、水が一瞬で沸騰した。

「なっ……!? すげぇ! 本当にバケツだけ熱くなってやがる!」

リックが目を剥いて喜ぶ。
火はない。熱源もない。だが、水は沸騰している。

「鍋底に『渦電流』を発生させ、その電気抵抗で金属自体を発熱させているんだ。熱効率は90%以上。薪を燃やすより遥かに無駄がない」

だが、私は即座に眉をひそめ、回路を切断した。

「……失敗だ」

「は? 沸騰しただろ? 大成功じゃねぇか!」

「コイルに触ってみろ」

リックが恐る恐る銅線に指を近づけ、「あちっ!?」と引っ込めた。

「これはダメだ。銅線自体が発熱してる。銅損だ」

「どうそん?」

「銅線にも電気抵抗がある。大電流を流せば当然発熱するし、高周波になると『表皮効果』と言って、電流が表面にしか流れなくなり、抵抗値が跳ね上がるんだ。このまま製品化すれば、数分で被膜が溶けてショートし、火災になる」

リックの顔が青ざめる。

「お、おい……『安全なコンロ』じゃなかったのかよ?火事になるなら売り物にならねぇぞ!」

「いや、対策はある」

私は黒板に新たな設計図を書き殴った。

「銅線は一本の太い線ではなく、髪の毛のような細い絶縁線を束ねた『リッツ線』構造にする。これで表面積を稼ぎ、表皮効果による抵抗増大を防ぐ。さらに──」

私はコイルの下に魔法陣を描き足した。

「風属性の微弱な魔石を組み込み、常時コイルに風を当てて冷却する。『冷却ファン』の実装だ」

「……お前、たかがコンロ一つにそこまで計算してんのかよ」

「工学とは、理論を現実に落とし込む泥臭い作業のことだよ。熱が出るなら冷やせばいい。抵抗があるなら分散させればいい」

リックは呆れたように笑い、そして商人の顔になった。
設計図を食い入るように見つめる。

「いける。冷却機構付きの『安全・清潔・高火力なコンロ』……これなら商会の親父も首を縦に振る。いや、土下座してでも金を出させる。特許は俺が管理する。量産ラインを組むぞ!」

リックが設計図を抱えて立ち上がる。
その目は、すでに金貨の山を見据えていた。

「頼むぞレイ! 試作機を完成させてくれ。俺がそれを『伝説の商品』に変えてやる!」

その日の夜。
完成したIHコンロ試作一号機の前で、私たちはささやかな祝杯を挙げた。
グラスの中身は、水道水と安物の果実シロップを割っただけのジュースだ。

「乾杯! チーム・カルツァの船出に!」

「かんぱーい!」

アリスが嬉しそうにジュースを飲む。
ボブも眼鏡の位置を直しながら、満足げに微笑んでいる。
リックはすでに、販売ルートのメモを羊皮紙に書き殴るのに忙しそうだ。

「これで当面の資金問題は解決だな」

私は窓の外、王都の夜景を見下ろした。
このコンロは売れる。間違いなく売れる。
その利益は、私たちの研究を支える強固な基盤となるだろう。

「……へへっ、見てろよ。俺たちでこの国の経済を回すんだ」

リックが夢を語る。

だが、そんな簡単な話ではない。
カネで解決できるのは、あくまで「日常」の範囲だけだということを。

私が目指す「深淵」──事象の地平線に干渉するためには、商人の稼ぐ金貨の山ですら、小さな踏み台に過ぎないことを。

それでも、今はいい。
この小さな研究室から、全てが始まるのだ。

私は甘ったるいジュースを飲み干し、黒板に描かれた加速器の設計図を見上げた。

「さあ、忙しくなるぞ。次は半導体の精製だ」

 

(続く)

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