魔導IHコンロの発売から一ヶ月。
リックの実家であるファイン商会は、嬉しい悲鳴を上げていた。
「笑いが止まらねぇ!王都だけじゃない、隣国の貴族からも注文が殺到してるぞ!見ろよこの売上!プランク貨の山で溺れそうだ!」
ラボの机の上に、文字通り「山」となった金貨と手形が積み上げられている。
IHコンロという「安全・清潔・高効率」な熱源は、産業革命級のイノベーションを巻き起こしていた。
「これで一生遊んで暮らせるぜ……。なぁレイ、もう研究なんてやめて、南の島でハーレムでも作ろうぜ?」
「断る。金は手段であって目的じゃない」
私は金貨の山を冷ややかな目で見つめ、そこから数枚を抜き取ると、ボブに渡した。
「ボブ、この金で『砂』を買ってきてくれ」
「砂?」
「ああ。できるだけ白くて綺麗な、珪石(けいせき)の砂だ」
数日後。ラボには大量の「砂」が搬入されていた。
リックとアリスが、ポカンとして私を見ている。
「レイ……お前、金持ちすぎて頭がおかしくなったのか?」
「違う。これは『半導体』の原料だ」
私は砂を手に取り、サラサラと指の隙間から落とした。
この中に含まれるシリコン(ケイ素)こそが、私が目指す「電子の頭脳」の素材となる。
「いいかい。全員、この濡れた布を口と鼻に負け。珪石の微粉末を吸い込むと、肺が繊維化して死ぬぞ」
私が厳重なマスクを装着すると、三人も慌ててそれに従った。
準備は整った。
「ボブ、解析を。この砂の中から、ケイ素原子の配列パターンを読み取れるか?」
「……数は膨大だよ。ざっと計算しても、この一山だけで10の24乗個はある。一つずつ選別していたら、終わるのに数千万年かかるよ」
「その通りだ。アボガドロ定数の壁は厚い。だから、手作業ではやらない」
私は両手を砂にかざした。
イメージするのは、熱力学の思考実験「マクスウェルの悪魔」。
だが、ただの扉番ではない。「自己増殖する悪魔」だ。
「アリス、換気だ!窓を全開にして、風を送り続けろ!これから大量の酸素ガスが発生する。ラボの酸素濃度が上がると、ちょっとした火花で大爆発するぞ!」
「は、はいっ!風魔法、最大出力!」
私は原子レベルの術式を構築した。
最初の一個のケイ素原子を選別し、ケイ素と酸素の強力な結合を断ち切る。
そして、その「選別された原子」が、隣り合う原子に同じ選別命令を伝播させる。
(再帰的アルゴリズム起動。フラクタル展開。n=n*2)
1個が2個に。2個が4個に。4個が8個に。
指数関数的な加速。
術式はウイルスのように砂山全体へ感染し、瞬く間に不純物を吐き出していく。
「ぐっ……情報量が……!」
脳が軋む。
単に分けるだけではない。取り出したケイ素原子を、規則正しい格子状に並べ直す「単結晶化」も同時に行わせているからだ。
乱雑な多結晶では使い物にならない。原子の整列こそが半導体の命。
「……さ、寒い……っ!」
リックがガチガチと歯を鳴らした。
無理もない。ラボの気温が急激に下がっているのだ。
ケイ素と酸素の結合解離エネルギーは約800kJ/mol。これを無理やり引き剥がすこの工程は、周囲の環境から猛烈な熱エネルギーを奪う。
私の脳と体は情報処理の負荷でオーバーヒートして沸騰しそうなのに、吐く息は白く、手元の砂山には霜が降り始めている。
熱と冷気が同居する、矛盾した地獄。
「レイ、鼻血が出てるぞ!それに眉毛が凍ってる!」
「静かに……今、純度99.9%……まだだ、結晶欠陥を修正……イレブン・ナインまで高める……!」
砂山が、目に見える速度で銀黒色の塊へと変質していく。
その周囲から、分離された酸素ガスがシュウシュウと音を立てて噴き出し、アリスが必死に暴風で外へ逃がしている。
数百億回の条件分岐。吸熱による絶対零度への接近。
これは肉体労働ではない。命を削る、極限のエンジニアリングだ。
「……できた。……高純度……単結晶……インゴット……」
プツン。
頭の中でヒューズが飛ぶ音がした。
「レイッ!?」
視界が暗転する。
倒れ込む私の体を、アリスの温かい感触が受け止めたのを感じながら、私は意識を手放した。
「……過労ですね。というか、脳のシナプスが焼き切れる寸前です」
保健室のベッドで目を覚ますと、ボブが呆れた顔で診断を下していた。
枕元には、心配そうなアリスと、私の手からこぼれ落ちた「銀色の円柱」を物珍しそうに眺めるリックがいた。
「お前なぁ……たかが石ころ作るのに、命削りすぎだろ」
「……はは、アボガドロ数に喧嘩を売るもんじゃないな……」
私は乾いた笑いを漏らした。
だが、第一歩だ。
この銀色の塊を薄くスライスすれば、「ウェハー」になる。
そこに、かつて地球の半導体の歴史が示した通り、次は光を使った「リソグラフィ」を行うのだ。
シリコンバレーの夜明けは、私の鼻血と凍傷と共に訪れたのだった。
(続く)
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