監査官(自治会長)を追い返してから数時間後。
太陽の地平線の彼方から、地響きのような羽音が聞こえてきた。
「なんだ? ハチの群れか?」
ソウジが手をかざして見ると、そこにいたのはハチではなかった。
銀色の鎧に身を包み、槍や剣で武装した『天界・強制執行部隊(戦闘天使団)』。
その数、およそ3000。
太陽の光を遮るほどの軍勢が、整然と隊列を組んで襲来したのだ。
「我らは天界の威信を守る執行者なり! 下等な清掃業者よ、直ちに消滅せよ!」
先頭に立つ隊長格の天使が、巨大な巻物を広げた。
それは宇宙の全てが記述されているという『運命の書(アカシックレコード・コピー)』だ。
「貴様らの運命は、ここで尽きる! 記述開始(オーバーライト)!」
隊長が筆を走らせると、何もない宇宙空間に、不吉な色の文字が浮かび上がった。
『清掃員たちは、足を滑らせて灼熱の海へ転落する』
瞬間。
世界が歪んだ。
絶対的な「確定事項」として、現実が改変される。
「ぐわぁぁぁっ!?」
剣崎が悲鳴を上げた。
平らだったはずの空間が急激に傾き、ツルツルと滑り始めたのだ。
物理法則を無視した、因果律への直接干渉。
回避不能の即死攻撃だ。
だが、剣崎は滑り落ちそうになりながらも、人事部長として叫んだ。
「な、なんてことを……! 予告なしに物理法則(労働環境)を変更するなんて! 『安全配慮義務違反』ですよ!」
「は?」
「一方的に運命(雇用契約)を書き換えるなんて、労働基準法違反だ! ブラック企業の手口そのものだぞォォォ!」
剣崎の魂の叫びに、天使が一瞬ポカンとした。
神の奇跡を「労務違反」扱いする人間など、前代未聞だったからだ。
その隙に。
灰坂ソウジは、傾いた足場の上で仁王立ちしていた。
彼の視線は、空中に浮かぶ「運命の文字」に釘付けになっている。
「あーあ。やりやがったな」
ソウジは心底嫌そうな顔をした。
彼の目には、神聖な運命の記述が「路地裏のブロック塀に書かれた、スプレー缶の落書き」にしか見えていない。
「公共の場に落書きすんなって。しかも字が汚ねぇし、インク垂れてんぞ」
彼は足元のグリップを確かめると、背負っていた新兵器のロックを外した。
太陽の熱エネルギーを直結させた、真紅のボイラータンク。
そこから伸びる、禍々しい3本のノズル。
超高圧スチーム洗浄機『ケルベロス・ヒャッハー(太陽直結型)』だ。
「落書きにはな、熱湯スチームが一番効くんだよ!」
ヒャッハーーーーーーッ!!!
トリガーを引いた瞬間、3つの銃口から超高温・超高圧の蒸気が噴射された。
その音は、まるで地獄の番犬が狂ったように吠える咆哮(ヒャッハー!)に聞こえる。
「なっ!? 運命の記述を消すつもりか!? 無駄だ、それは概念そのもの――」
ジュワワワワワワワッ!!
天使の嘲笑は、蒸発音にかき消された。
スチームが直撃した「運命の文字」が、熱でドロドロに溶け出したのだ。
「ほら見ろ! 安っぽい油性ペン使いやがって! 溶けて流れてるじゃねーか!」
文字が崩れ、意味をなさなくなっていく。
『転落する』という文字が溶けて『転……する』『…………る』と判読不能になった瞬間、傾いていた足場が水平に戻った。
「ば、馬鹿な!? アカシックレコードが『物理的』に溶かされただと!?」
「次だ! 範囲攻撃(ワイド)で行くぞ! 壁一面、丸洗いだ!」
ソウジはノズルを振り回し、空中の「落書き(運命)」を片っ端から洗浄していく。
神の絶対的な攻撃手段が、ただの「汚れ」として処理されていく。
「おのれ……! ならば直接攻撃だ! 全軍突撃!」
業を煮やした天使たちが、剣を抜いて殺到する。
数千の翼が羽ばたき、太陽の上が白い嵐に包まれる。
だが、ここで前に出たのは、聖女セシリアだった。
彼女は天使たちの翼を見て、瞳をギラリと輝かせた。
「あら……なんて不潔な翼でしょう」
長年の権威にあぐらをかき、手入れを怠った天使たちの翼。
彼女には、それが「何年も天日干ししていない、ダニとハウスダストまみれの万年床(せんべい布団)」に見えていた。
「不衛生ですわ! そんなホコリっぽい翼で飛び回るなんて、アレルギー性鼻炎になります!」
彼女が取り出したのは、トゲトゲのついた鉄球がついた杖。
【聖なる布団叩き(モーニング・スター)】だ。
「ホコリ(邪念)を叩き出して差し上げますわーーーー!!」
セシリアが鉄球を振りかぶり、先頭の天使の背中(翼)をフルスイングで叩いた。
ドゴォォォォォンッ!!
「ぎゃあああああああ!?」
凄まじい衝撃音と共に、叩かれた天使の翼から、黒い煙(邪気)がモクモクと噴き出した。
まるで、古い布団を叩いたときに出るホコリのようだ。
「まだまだ出ますわね! パン! パン! パン!」
「痛い! 痛い! 骨が! 羽がァァァ!」
セシリアは鬼の形相で、次々と天使たちを「布団叩き」していく。
叩かれるたびに、天使たちは黒い邪気を吐き出し、威厳のあった翼はペラペラの真っ白なシーツのように力なく萎んでいく。
「ひ、ひぃぃぃ! あの女、悪魔か!?」
「私の邪念(プライド)が抜けていくぅぅぅ!」
「真っ白(ピュア)になっちゃうぅぅぅ!」
次々と撃墜され、太陽の表面に転がる「洗濯済み」の天使たち。
彼らは憑き物が落ちたような、ツルツルのアホ面になって気絶していた。
『悲報:聖女が天使を布団叩き(物理)』
『音が鈍器なんだよなぁ』
『剣崎の労務違反ツッコミに笑った』
『天使がホコリみたいに叩き落とされてる』
『ソウジ社長の「ヒャッハー!」もヤバい』
『神回確定』
地球の視聴者が爆笑する中、3000の軍勢はわずか数分で壊滅した。
空に残ったのは、スチームで綺麗になった空間と、天日干しされた天使たちの、お日様の匂い(焦げ臭い匂い)だけだった。
「ふぅ。スッキリしましたわ」
セシリアはモーニング・スターについた汚れをハンカチで拭き取り、優雅に微笑んだ。
「あー、助かったよセシリア。やっぱ布団は叩かないとな」
ソウジもケルベロス・ヒャッハーの放熱を行いながら頷いた。
だが、安心するのはまだ早い。
ズズズズズズズ……。
突如、太陽全体が不気味な影に覆われた。
頭上に現れたのは、これまでの天使とは桁違いのプレッシャーを放つ、光の巨人。
天界の支部長――『大天使長』の降臨だ。
「おのれ、下等生物ども……。我が部下を『洗濯物』扱いするとは……」
大天使長は怒りに震え、巨大な手を広げた。
「もはや慈悲はない。この太陽は、管理不届きにより没収(差し押さえ)とする!」
彼の手から放たれたのは、太陽全体を包み込むほどの巨大な「赤い紙」だった。
(続く)
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