「……さて、ここからが本番だ」
私は通路の突き当たりに鎮座する、巨大な「第二の扉」を見上げた。
先ほどの石造りの扉とは違う。継ぎ目のない黒い金属板──おそらくチタン合金か、それに類する未知の素材で作られている。
表面には魔法陣すら刻まれていない。ただ中央に、クリスタルのような透明なパネルが埋め込まれているだけだ。
「おいレイ、どうすんだよこれ。鍵穴も取っ手もねぇぞ?」
パンツ一丁のリックが、寒さと恐怖でガチガチと歯を鳴らしながら素手で扉を叩く。つい先ほど雷で死にそうになったばかりなのに、彼には危機意識というものがすっぽりと抜け落ちているようだ。
「物理的な鍵じゃない。……見ろ、このパネルを」
私は絶縁布越しにクリスタルパネルを指でなぞった。
表面には、掌の形に合わせた窪みがある。
「これは『生体認証』だ。指紋、静脈パターン、あるいは生体魔力波形。登録された『生きた鍵』を読み取って解錠するシステムだ」
「せいたい……?じゃあ、この遺跡を作った古代人の手を持ってこないと開かないってことか?」
リックが絶望的な声を上げる。
「無理だろそんなの!数百年前のミイラなんて、どこにあるかも分からねぇし!」
「お手上げだね」
ボブが肩をすくめる。
「さっきと同じように演算を試みたけど、反応がない。これは外部からのアクセスを一切受け付けない独立回路だ。正規のユーザーが触れない限り、絶対に起動しない」
「通常ならな。だが、このシステムが生きているなら、一つ賭けができる」
私はパネルの前に立った。
もし、この施設を作ったのが、私と同じ「地球の物理学者」であるなら。
彼がセキュリティに設定するのは、腐敗して消える指紋などの肉体情報だけではないはずだ。もっと根源的で、不変のID。
(魂の波形……魔力の固有振動数だ)
私は仮説を立てた。
私の提唱する「汎・量子もつれ宇宙論」によれば、この世界の住人も、根源的には対の世界『地球』と繋がっている。
だが、決定的な違いがある。
彼らが「自然な結びつき」であるのに対し、私はブラックホールというゲートを無理やりこじ開けてきた「特異点」だ。
(求められているのは、出身地じゃない。「情報密度」だ)
事象の地平線を通過した私の魂は、通常の人間とは桁違いの圧縮比を持っている。
そして、その量子状態は、まだ完全にはこの世界に馴染んでおらず、地球の物理定数を色濃く残しているはずだ。
この扉が求めているのは、その「位相のズレ」。
境界を越えてきた者だけが持つ、高エネルギーの証明書だ。
「レイ様……?何をする気ですか?」
アリスが不安げに見守る中、私は手袋を外した。
「挨拶をするだけさ。同郷の先輩にな」
バチッ。
指先から小さな放電が飛ぶ。構わず、私は右手をパネルの窪みに押し当てた。
ヒュンッ……
パネルが淡い緑色の光を放ち、私の手をスキャンする。
指先から微弱な電流が流れ、魔力回路へと侵入してくる感覚。
私の魂の形状、記憶の深層にある物理定数の定義、それらを読み取ろうとする意思なき尋問。
『──認証開始──』
空中に、無機質な「念話」が響いた。
リックとアリスが仰天する。
「しゃ、喋った!?」
『生体量子フェーズ検出……解析
情報密度:極大
位相差:アース・クリティカル
起源座標:銀河系・太陽系・第三惑星』
緑色の光が、強く脈動した。
『──管理者権限 確認
おかえりなさいませ ドクター』
ガゴンッ……プシューッ!!
圧縮空気が抜けるような音と共に、黒い扉が左右にスライドした。
数百年ぶりに解き放たれた「立ち入り禁止区画」。
そこから溢れ出したのは、カビ臭い空気ではなく、冷たく澄んだ、空調された空気だった。
「開いた……!レイ、お前何者だよ!?なんで古代の扉とお友達なんだよ!」
「言っただろう。物理法則は全宇宙共通の言語だと」
私は誤魔化し、開かれた暗闇の中へと足を踏み入れた。
そこは、広大だった。
アリスが掲げたカンテラの光が届かないほどの、巨大なドーム状空間。
だが、その闇の奥に、鈍く銀色に輝く「巨大な構造物」のシルエットが浮かび上がっていた。
直径数十メートルはあるであろう、円環状のチューブ。
それが部屋の中央を占拠するように鎮座している。
リックが息を呑む音が聞こえる。
アリスが私の服の裾を強く握りしめる。
私たちはまだ知らない。
この暗闇の中に眠るのが、神の遺物か、あるいは悪魔の兵器か。
ただ確かなのは、ここが世界の「裏側」だということだけだ。
「……行くぞ。ついに見つけた」
私は震える足を抑え、その巨大なリングへと歩み出した。
物理学者の夢と、絶望が眠る場所へ。
(続く)
コメント