第20話 魔王の咆哮は、湯上がりの一杯にかき消され

 王城、玉座の間。

 カツ、カツ、カツ……。

 乾いた足音だけが、不気味に響く。
 英雄たちは、玉座で小刻みに震える魔王に目もくれず、インカムの向こう側へ業務連絡を続けていた。

「……障害物排除完了。これより『爆乳ホルスタイン牧場』へ転移。フルーツ牛乳の確保へ移行します」
「了解。急ぎましょう。ミミちゃんの湯上がりに間に合いません」

 背中を向けられた魔王の喉奥から、煮えたぎるような重低音が漏れ出した。

「……無視、するな」

 ブチリ。
 何かが千切れる生々しい音が、玉座の間にて反響した。

「余を見ろォォォォ!! 人間どもォォォォォッ!!」

 グボォォォォォォッ!!

 魔王の皮膚が裂け、内側から汚泥のような肉が溢れ出す。
 鼻をねじ切るような強烈な腐臭――下水と腐った卵を煮詰めたような悪臭が爆発的に充満し、吐き出される熱波だけで、大理石の柱がドロドロと飴のように溶け落ちた。

 天井を突き破り、瓦礫を雨のように降らせながら、魔王は――「終焉の巨獣」――へと変貌する。
 その巨体が動くたび、空気が振動し、鼓膜が破れそうなほどの圧力が肌を叩く。

「逃がさん……! 絶望を味わえ!」

 キィィィィィィン……。

 突如、世界から「潤い」が消えた。
 舌の根が乾き、肌にまとわりついていた魔力の粒子が、掃除機で吸い取られるように消失する。

 魔王の固有結界――「絶対魔法無効領域」――。
 ゼルが指先に灯しかけた転移ゲートの光が、ジジッというノイズと共に掻き消された。

「……チッ。座標ロスト。魔力回路、切断されました」
「ハハハ! どうだ! 貴様らの手足はもがれた! 牧場へは行けまい!」

 魔王の勝ち誇った高笑いが、ビリビリと床を揺らす。
 英雄たちの足が止まった。

 その時だ。
 三人の耳元のインカムから、無機質な報告が鼓膜を震わせた。

『――こちらシャドウ。ミミちゃん、浴室から出ました』
『現在、バスタオルの衣擦れ音を確認。パジャマ着用まで、あと10秒』
『リビングへの移動を開始します』

 ピキィッ。

 レオンの拳から、骨が軋む音がした。
 室温が急激に下がり、吐く息が白く凍りつく。

「……ミミちゃんが、上がった?」

 クリスティーナが、聖剣の柄をギリギリと握りしめる。革のグリップが悲鳴を上げ、ねじ切れる寸前だ。

「はぁ? あんた、何してくれてんの?」

 彼女の声は低く、地を這うような重低音だった。

「私のパパが構築した『超高速物流転送網』を遮断した? そのせいで、ミミちゃんの喉を潤す黄金の時間を……『0秒』から『数秒』に遅らせた?」

 彼女は顔を上げ、血走った目で魔王を睨みつけた。

「私の堪忍袋の緒はもう切れたわ。……その巨体、解体して売り払っても、損害額の足しにもならないのよォォォッ!!」

 ゼルが眼鏡を外す。
 その動作だけで、周囲の空気がカミソリのように鋭く尖る。

「……牧場へのルート閉鎖。到着遅延確定。フルーツ牛乳の温度管理エラー。――弁解無用」

 レオンが一歩踏み出す。
 ドォン。
 ただの足踏みで、城の床が粉砕された。

「魔法を封じた? ……そうか。ならば手加減は不要だな。魔力強化なしの――素の暴力――で、ただの肉塊として処理できる」

 肌を刺すような殺気。
 いや、それはもはや「物理的な圧力」となって魔王の巨体を押し返していた。

「な、なんだその気迫は!? 魔法は消えたはず……ひ、ひぃッ!?」

 魔王が後ずさる。
 三人が同時に構える。
 狙うは一点。魔王の土手っ腹。

「――怒りに任せた物理(てっけん)制裁ィィィッ!!!!――」
「――慰謝料代わりに……ちょっとジャンプしてみろやァァァッ!!!!――」
「――牛乳が発酵したらどうすんじゃァァァッ!!!!――」

 ズドォォォォォォォォォン!!!!!

 三者三様の罵声と共に、三つの蹴りが魔王の巨体にめり込んだ。
 肉が波打ち、衝撃波が内臓を駆け巡り、背中の外皮を突き破って空気を炸裂させる。

「ごふぁっ!? て、鉄拳……カツアゲ……発酵……意味が、わから……ぬぅッ!?」
「ま、魔王様ぁぁぁぁぁッ!!」

 キランッ!

 魔王と、巻き込まれたバグズは、物理法則を無視した速度で天井を突き破り、そのまま大気圏外の冷たい真空へと投げ出されていった。

 ――数分後。

 ミミの家のリビング。
 お風呂上がりの湿った空気が、ふわりと甘く漂う。
 ミミはほかほかのパジャマ姿でソファに座っていた。

「ふぅ〜、さっぱりしたぁ!」

 彼女の手には、表面にびっしりと水滴がついた、キンキンに冷えた――「特濃フルーツ牛乳」――の瓶。

「いただきまーす!」

 ミミは腰に手を当て、瓶を傾ける。
 トクトク、ゴク、ゴク……。
 喉ごしの良い冷たい液体が、乾いた喉を潤していく音が響く。

「……ぷはぁーっ! おいしー!」

 口元に白いヒゲをつけ、満面の笑みを浮かべるミミ。

 その屋根の上、魔導モニターの正面に正座しているレオン、ゼル、クリスティーナ、シャドー。

 彼らは無言でガッツポーズをし、静かに涙を流していた。

 星空には、一際明るく輝きながら遠ざかっていく――「二つの光」――が見えていた。

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【裏トーク:至高のミミちゃんを見守る会(Online: 5)】

@公式カメラマン
ミミちゃん、牛乳完飲。口元の白ヒゲ、確認しました。
完璧なタイミングです。お疲れ様でした。

@氷結の獅子
ッ!!!!(絶句) ……神か。 あの上唇に残った白いアーチ……。 あれは世界を分かつ地平線だ。 国旗にしよう。今すぐあのデザインを国旗にする手続きをしてくる。

@新入り聖騎士
あーーーーん!! 可愛いィィィィ!! 何あの白いフワフワ! 雲!? 天使の羽!? もう無理! 尊すぎて心臓が痛い! あの牛乳になりたい! いや、あの牛乳を作った牛に全財産(500億G)寄付してくる!!

@課金は酸素
牧場の在庫もギリギリでしたね。
さて、ミミちゃんが歯磨きをして寝るまでが「推し活」です。
気を抜かないように。

@公式カメラマン
了解。……ところで。
空の彼方に飛んでいった「アレ」からの通信が、微弱ですがまだ拾えます。

@Demon_General_Bugs
……おぼえ……てろよぉぉぉ……!
いつか必ず……この屈辱を……!
親指立てて、溶鉱炉に沈む気持ちだぜ……ミミちゃん可愛い……ガクッ(気絶)

[System Alert] —————————–
User: @Demon_General_Bugs has been disconnected.
Reason: Out of Range (Space)

@氷結の獅子
……フン。宇宙の塵(デブリ)になったか。
まあいい。今夜はいい夢が見られそうだ。
ミミちゃん、おやすみ。

(完)

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