第23話:女子会は『裸の付き合い』

 海水浴を満喫して遊び疲れた一行は、大広間で夕食の膳を囲んでいた。
 テーブルには、地元で獲れた新鮮な魚介類の舟盛りがドーンと鎮座している。

「うひょー! アワビ! 伊勢海老! 大トロ!」

「すごいですわ! こんな贅沢、バチカンでは見たこともありませんことよ!」

 剣崎とセシリアが狂喜乱舞し、コアちゃんも目を輝かせている。
 労働(掃除)の後の飯は格別だ。
 ソウジも「いただきます」と手を合わせ、一番美味しそうな中トロに箸を伸ばした。

 ――スッ。

 箸が空を切った。
 あるはずの中トロが、煙のように消えていたのだ。

「ん? 気のせいか……?」

 ソウジは首を傾げ、次はタイの刺身を狙った。

 ――スッ。

 また消えた。
 よく見ると、部屋の隅にある柱の影で、モグモグと口を動かしている「小さな影」があった。
 綺麗な黒髪の、着物を着た幼い少女だ。

「あー……。なるほど」

 食事中でゴーグルを外している彼には、その少女が「長期滞在している家族連れの子供」にしか見えていない。

「お嬢ちゃん、腹減ってんのか?」

 ソウジが声をかけると、少女はビクッとして柱の陰に隠れた。

「こらこら、怖くないぞ。……ほら、これ食うか?」

 彼は自分の舟盛りから、一番立派な伊勢海老を取り分け、小皿に乗せて差し出した。

「親御さんは温泉か? 子供だけでウロウロしてると危ないぞ」

「……くれるの?」

「ああ。掃除した後だからな、飯が美味いんだ。一緒に食おうぜ」

 少女はおずおずと出てくると、伊勢海老をパクッと頬張った。
 そして、花が咲くような満面の笑みを浮かべた。

「おいしー! ありがと、お掃除のおじちゃん!」

「おじちゃんじゃなくてお兄さんな」

「お部屋、キラキラしてて気持ちいいの! ずっと埃っぽくて息苦しかったけど、今は深呼吸できるよ!」

 少女――座敷わらしは、嬉しそうに部屋中を駆け回った。
 彼女が笑うたびに、旅館全体の運気が爆上がりし、古びた柱や床が艶を取り戻していく。

「あらあら、まあまあ」

 配膳に来た女将さんが、その光景を見て目を細めた。
 この旅館の守り神が、これほど無邪気に姿を見せるのは数十年ぶりのことだった。

 ***

 夕食後。
 女性陣は露天風呂に向かっていた。
 断崖の上に作られた湯船からは、月明かりに照らされた海が一望できる。

「はぁ~……。極楽ですわ~……」

 セシリアが豊かな肢体を湯に沈め、ほうっと息を吐いた。
 隣ではコアちゃんが、タオルを頭に乗せて月を見上げている。
 波の音だけが響く静寂の中、不意にコアちゃんが口を開いた。

「ねぇ、セシリアさん」

「なんですの?」

「セシリアさんは、社長のこと……どう思ってるんですか?」

 直球の質問に、セシリアは「ブフッ!」と吹き出した。

「な、ななな、何を突然!? ど、どうって、尊敬する師匠であり、人生の先輩であり……!」

「それだけですか~?」

 コアちゃんがニヤニヤと覗き込んでくる。
 セシリアは茹でダコのように顔を赤くし、視線を泳がせた。

「……そ、それは……確かに、最初は無礼な殿方だと思いましたわ。私の聖なる光を『ススが出る』なんて否定して……」

 彼女は湯面を見つめ、ポツリと漏らした。

「でも……あの時、コロコロ(粘着クリーナー)で優しく霊を諭す横顔を見た時、思ったんです。この方は、誰よりも世界を愛しているんだって」

「うんうん」

「普段はだらしないし、デリカシーもないし、すぐツナギで寝ちゃいますけど……。モップを握った時の真剣な眼差しだけは……その、素敵だな、って……」

 最後の方は、蚊の鳴くような声だった。
 自分の言葉に恥ずかしさが限界突破したのか、セシリアはバシャバシャとお湯を叩いた。

「あぁもう! 言わせないでくださいまし! コアちゃんだって、社長のこと好きなくせに!」

「はい! 大好きです! 私は社長に磨かれるために生まれましたから!」

「うぅ……その屈託のなさが羨ましいですわ……」

 そんな二人の「恋バナ」を聞いていた女将さんが、くすくすと笑いながら背中を流しに来た。

「ふふ、いい男だよねぇ。罪な人だ」

 女将さんは月を見上げ、どこか遠い目をした。

「あんなに丁寧に、慈しむように『場』を清められる人は、神代の昔以来だよ。……私の正体(海の精霊)に気づいていながら、あくまで『ただの女将』として接してくれる気遣いも憎いじゃないか」

「えっ? 女将さん、精霊だったんですか!?」

「おや、内緒だよ?」

 女将さんはイタズラっぽくウィンクし、コアちゃんたちの背中にお湯をかけた。
 キャッキャと騒ぐ女子たちの笑い声が、夜空に吸い込まれていく。

 ***

 一方その頃。
 男湯。

「ふぅ……。いい湯だ……」

 人事部長の剣崎は、岩風呂の端で至福の時を過ごしていた。
 男湯と女湯は高い塀で仕切られているが、夜風に乗って、先ほどの華やいだ笑い声が聞こえてくる。

『本当に、社長ったら……旅行に来てまでお掃除だなんて』
『でも、そこが社長の素敵なところです!』
『ふふ、愛されてるねぇ』

「……なんだか盛り上がってるなぁ」

 剣崎は苦笑いした。
 どうせ、あの鈍感な社長の話で持ちきりなのだろう。

「まったく、社長も隅に置けない人だ。……お?」

 チャポン。

 湯船の向こうから、誰かが入ってくる水音がした。
 部屋で晩酌をしていたソウジが、ようやく来たのだろう。

「あ、社長。遅かったですね。今ちょうど、女性陣が社長の噂話をしてましてね……」

 剣崎はニヤニヤしながら振り返った。
 そこには、月明かりに照らされたシルエットがあった。

 小柄な体躯。
 頭にはお皿。
 背中には甲羅。
 そして全身緑色。

「…………」

 剣崎の動きが止まった。
 社長ではない。
 どう見てもカッパである。
 近所の沼から遠征してきたのだろうか、気持ちよさそうに目を閉じている。

「……社長? ずいぶんと……日焼けしました?」

 あまりの現実逃避に、剣崎から意味不明な問いかけが漏れた。
 もちろん返事はない。カッパは「クエッ」と短く鳴いただけだ。

「…………」

 以前の剣崎なら、悲鳴を上げて逃げ出していただろう。
 しかし、数々の修羅場(宇宙ゴミ分別など)をくぐり抜けてきた彼は、もはやこの程度のイレギュラーでは動じなくなっていた。

 彼は深く息を吐くと、無言でタオルを手に取り、カッパの背後に回り込んだ。

「背中(甲羅)が流せていませんね」

 カッパが驚いて振り向く前に、剣崎は慣れた手つきで甲羅を擦り始めた。

「苔が溜まってますよ。これじゃあ泳ぐ時、抵抗になるでしょう」

「クエッ!?」

「じっとしててください。今、ここのヌメリを取りますから」

 ゴシゴシ、ゴシゴシ。

 剣崎は無心で甲羅を磨いた。
 職業病とは恐ろしいもので、彼は目の前に「汚れた背中」があると、磨かずにはいられない体になってしまっていたのだ。

 女湯からの楽しげな恋バナとは対照的に、男湯にはシュールな摩擦音だけが響く。

「ここ! この窪みです! ここが一番汚れてるんですよ!」

「クエェェェ~(気持ちいい~)」

 カッパはとろんとした目で脱力し、されるがままになっている。

「はっ!?」

 数分後、ピカピカになった緑色の背中を見て、剣崎は我に返った。

「俺は……慰安旅行に来てまで、なんでカッパの垢すりを……!?」

 月明かりの下、男湯には剣崎の悲痛な叫びと、スッキリして帰っていくカッパの水音だけが響いていた。

(続く)

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