「い、一億マナが……さん、マナ……?」
闇市場の支配者・強欲王グリードは、赤錆だらけになった鉄屑(元・魔剣)を握りしめ、膝から崩れ落ちていた。
市場は水を打ったように静まり返っている。
その静寂を破ったのは、私の拍手だった。
「素晴らしいリアクションです。……さて、皆さん」
私は呆然とする用心棒たち、そして遠巻きに見ている投資家(ゴブリンやオーク)たちに向き直り、声を張り上げた。
「ご覧の通り、この市場の胴元(バンク)は破産しました! 彼の資産はゼロ! 担保もゼロ! 完全なる債務超過です!」
その言葉が、導火線に火をつけた。
「は、破産だと……?」
「俺たちが預けてた金はどうなるんだ!?」
「ま、まさか……紙切れになるのか!?」
ざわめきが恐怖へ、そしてパニックへと変わる。
「逃げるな! 俺の金を返せぇぇぇ!」
「換金だ! 今すぐ換金しろぉぉぉ!」
怒号と共に、数百人の群衆がカウンターへと殺到した。
これが経済学で最も恐ろしい現象――取り付け騒ぎだ。
一度失われた信用は、暴力的なまでの速度で崩壊する。
「ひ、ひぃぃ! よ、寄越すな! 来るな!」
グリードが悲鳴を上げ、這いずりながら用心棒たちに命令する。
「おい! 何をしている! こいつらを追い払え! 俺を守れ!」
だが。
屈強なオークの傭兵隊長は、動かなかった。
彼は懐から携帯端末(水晶板)を取り出し、自分の口座残高を睨みつけている。
「……おい、社長。今月の給料が振り込まれてねぇぞ」
「あ、後で払う! この騒ぎが収まったら、倍にして払うから!」
「『後で』? ……さっき、あんたの資産はゼロだって言ってたよな」
隊長の目から、忠誠心という名の光が消え――代わりに、冷徹な殺意が宿った。
「俺たちはボランティアじゃねぇんだよ」
チャキッ。
彼らが武器を向けた先は、暴徒化した群衆ではなく――雇い主であるグリードだった。
「な、なにを……!? 貴様ら、裏切るのか!?」
「裏切る? 勘違いするなよ」
私は横から口を挟んだ。
「彼らは『労働契約』に基づき、対価(給料)が支払われないため『業務履行』を停止しただけです。……金の切れ目が縁の切れ目。経済活動において、これほど正当な理由はありません」
私は空中に、彼らの契約状態を示すログを冷酷に表示させた。
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! 契 約 解 除 通 知 !
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[雇用主]:強欲王グリード
[理由 ]:給与未払いによる債務不履行
ステータス:【 解 雇 】
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「う、うわぁぁぁぁ! やめろ! 俺は王だぞ! 闇の支配者だぞぉぉ!」
グリードが叫ぶが、もう誰も聞く耳を持たない。
用心棒たちは「退職金代わりだ」と言って、グリードが身につけていた宝石や衣服を剥ぎ取り始めた。
金属が擦れ合う耳障りな音と、獣たちの荒い鼻息が周囲を支配する。
さらに、換金を求める暴徒たちが雪崩れ込んでくる。
「ギャァァァァァ……!」
悲鳴と共に、強欲王の姿が群衆の波に飲み込まれていく。
踏み荒らされる足音と、剥ぎ取られた衣服が宙に舞う光景。
物理的な暴力ではなく、彼自身が作り出した「強欲なシステム」に食い尽くされたのだ。
「……終わりましたね」
隣でアリスが、少し怖そうに肩をすくめる。
「経済って、魔法より怖いかも」
「使いようですよ。……さて」
私は瓦礫と化した市場を見渡した。
鼻を突くのは、踏み潰された酒の匂いと、逃げ惑う者たちが残した脂汗の悪臭。
看板は落ち、商品は散乱し、誰もが我先にと逃げ出している。
かつて魔界の裏経済を牛耳っていた『奈落の市場』は、今日、完全に崩壊した。
「更地になりましたね。……これなら安く買えそうだ」
私は懐から、新しい事業計画書を取り出した。
「アリス。ここからは『事後処理(再建)』の時間です。……この混乱を収拾し、焼け野原になったこの市場を、我が社の傘下に収めますよ」
(続く)
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