地下施設からの帰還から、一週間が経過した。
世間は夏休み真っ只中だが、第4廃校舎の研究室は、地獄の様相を呈していた。
「いいか、ニュートンの運動の第3法則だ。作用・反作用の法則。壁を殴れば、拳も痛い。魔法も同じだ。反動を計算に入れずに高出力魔法を撃てば、自滅するのは自分だぞ」
私が指示棒で黒板を叩くと、チョークの粉が舞う。
黒板には、直列回路や波の干渉図、ベクトル矢印などがびっしりと書き込まれていた。
「うぅ……もう無理だ……脳みそが沸騰する……」
リックが机に突っ伏し、魂の抜けた顔をしている。
「俺は商人だぞ……なんで『波の重ね合わせ』とか『熱伝導率』なんて覚えなきゃならねぇんだ……」
「ダンジョンで死にたくなければ覚えろ。俺の指示は物理用語で飛ぶ。
『30度で入射角を取れ』と言われて、『えっ?』と聞き返している間に、お前はミンチになるぞ」
私は容赦なく手作りの教科書でリックの頭を叩いた。
この数日間、私たちはダンジョン深層に耐えうる基礎能力をつけるため、「物理学講習」を行っていた。
アリスは必死にノートを取り、ボブはむしろ楽しそうに涼しい顔で新しい概念を吸収している。そして私は、講義の合間を縫って、彼らの装備の「魔改造」を進めていた。
「さて、座学はここまでだ。次はハードウェアの更新を行う」
私は実験台の上の布を取り払った。
そこに並んでいるのは、見違えるように生まれ変わった装備たちだ。
「まずはリック。お前の防具だ」
元々は安物の鉄の剣と胸当てだったが、今は表面が「乳白色の光沢」を帯びている。
「なんだこれ?ペンキか?」
「『セラミック・コーティング』だ。いや、正確には『溶射』だな」
私は実験台の脇にある、焦げ付いた「るつぼ」と、空になった魔石の粉末を指差した。
「酸化アルミニウムの粉末を、炎魔法で3000度まで加熱してプラズマ化し、それを超音速で剣の表面に吹き付けて焼き固めたんだ」
私はリックの剣を手に取り、実験用の1万ボルトの電極に押し当てた。
バチッとも言わない。電気は完全に遮断されている。
「要は、剣の表面に『瀬戸物』をコーティングしただけだ。原理は茶碗を焼くのと同じ。ただ、温度と勢いが桁違いだがな」
「せ、瀬戸物……?茶碗……?」
リックがポカンとする。
「ファイン・セラミックスは電気を通さない絶縁体だ。これなら雷撃を受けても感電しないし、熱にも強く、鋼鉄より硬い。ただし、加工に俺の魔力がすっからかんになるほどコストがかかった。大事に使えよ」
「おおっ!マジか!これなら……!」
リックが涙目で装備を抱きしめる。
「これならもう、命を守るためにパンツ一丁にならなくて済むのか!」
「ああ。尊厳は守られた。よかったな」
「次はアリスだ」
「は、はいっ!」
アリスが杖を受け取る。
数日前まではただの木の杖だったが、今はその表面に、銀色の金属線が幾何学模様のように埋め込まれている。さらに先端には、魚の骨のような奇妙な突起物が追加されていた。
「座学で教えた『波の性質』を覚えているか?」
「は、はい。えっと……波は、重ね合わせると強め合ったり、打ち消し合ったりする……ですよね?」
「正解だ。その理論を杖に実装した」
私は杖の先端を指差した。
「これは『八木・宇田アンテナ構造』だ」
「後方の反射器がマナを跳ね返し、前方の導波器が位相を揃える。これにより、全方位に無駄に拡散していた君の魔力波が、前方一点に鋭く収束される」
「やぎ……うだ……?」
「試してみろ。いつもの『ウインド・カッター』だ。出力は……そうだな、今回もいつもの半分でいい」
アリスは頷き、講習で学んだ「インピーダンス整合」を意識しながら、空気と仲良くする感覚で杖を構えた。ふわり、と力を抜いてマナを流す。
「……ウインド・カッター!」
ヒュンッ!!
瞬間。
放たれたのは、いつもの「そよ風の刃」ではなかった。
圧縮された空気の塊が、不可視の弾丸、ビームとなって射出されたのだ。
パァン!!
乾いた破裂音と共に、的の板が真ん中から綺麗に打ち抜かれ、背後の壁に深い亀裂を刻んだ。
「ひゃうっ!?な、なんですかこれぇ!?」
アリスが腰を抜かす。
「魔力は半分しか込めてないのに……!」
「拡散していたエネルギーを、アンテナ効果で一方向に収束させたからだ。エネルギー密度は以前の数倍。これで君は、遠距離狙撃手としても機能する」
「そして最後、ボブ」
「やれやれ。僕も改造されるのかい?」
ボブが肩をすくめる。彼は武闘派ではないため、武器はない。
「君はハードウェアじゃない。思考プロセス、アルゴリズムのアップデートだ」
私は黒板に、サイコロとグラフを描いた。
「この数日の講義で、君には『確率・統計』を重点的に教えたな」
「ああ。興味深い分野だったよ。世界を『確実な数値』ではなく『曖昧な分布』で捉えるなんてね」
「その応用だ。君の『多世界解釈』は完璧すぎる。数秒先の全ての可能性を計算しようとするから、脳が処理落ちするんだ」
「……否定はしないね。未来の分岐は指数関数的に増えるから」
「だから、サボることを覚えろ。『モンテカルロ法』だ」
「もんてかるろ?」
「全ての未来を見るな。ランダムに数千通りだけ抽出して、その平均値をとれ。『大数の法則』により、その近似値は、全計算した結果とほぼ一致する」
私はボブの肩を叩いた。
「100点を目指してフリーズするより、99点の回答を0.1秒で出せ。戦場で必要なのは精度より速度だ」
ボブは眼鏡を押し上げ、数秒沈黙した。脳内でシミュレーションを行っているのだろう。やがて、彼はニヤリと笑った。
「……なるほど。乱数による近似解か。美しいね。計算リソースが劇的に軽くなったよ」
一週間の特訓を経て。
絶縁装備のリック。
指向性アンテナ杖のアリス。
高速近似演算のボブ。
そして、全体指揮を執る私。
「準備は整った」
私は白衣を翻し、窓の外に広がる夏の空を見上げた。
蝉の声が響いている。絶好の冒険日和だ。
「行くぞ、チーム・カルツァ。物理学の力で、ダンジョンのルールを書き換えにな」
(続く)
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