「……神の恩恵を否定する、ですか」
私は腕を組み、目の前に立つ灰色の監査官・ジオットを見据えた。
夕闇が迫る廃校舎の前。
ジオットの背後に控える聖騎士たちの手は、すでに剣の柄にかかっている。一触即発の空気だ。
「ええ、そうですとも」
ジオットは爬虫類のような冷たい瞳で、私ではなく、アリスの杖を見下ろした。
「マナとは、神がこの世界に与えたまいし『呼吸』です。それを、あのような無骨な金属で歪め、無理やり収束させるなど……。自然の摂理に対する冒涜であり、神への不敬に他なりません」
「不敬?効率化が罪になるとは初耳だな」
私は鼻で笑った。
「川の流れを水車で汲み上げれば『不敬』か?雷を避雷針で逃がせば『冒涜』か?僕たちがやっているのはそれと同じだ。自然界のエネルギーを、よりロスなく利用するための工夫に過ぎない」
「詭弁ですね」
ジオットが静かに首を横に振る。
「水や雷は現象ですが、魔法は『意思』です。祈りによって神に届けられ、奇跡となって返ってくる。そこに計算式などという、人間の浅知恵を挟む余地はありません」
「……話にならんな」
私はため息をついた。
典型的な原理主義者だ。彼らにとって、魔法のメカニズムを解明しようとする行為そのものが、タブーなのだ。
「レイ君。君の研究室には、即時の『閉鎖命令』が出されています」
ジオットが懐から羊皮紙を取り出した。
「機材は全て没収。君たちは教団本部への出頭を命じます。……抵抗するならば、異端者としてその場で処分することも許可されていますが?」
チャキッ
聖騎士たちが剣を抜いた。
リックが「ひぃッ!」と悲鳴を上げてしゃがみ込む。アリスが杖を構えようとするが、手が震えている。
「ま、待ってください!レイ様は、ただ真理を知りたいだけで……!」
「黙りなさい、汚れた血の娘よ」
ジオットの一瞥で、アリスが言葉を詰まらせる。
「……汚れた血、と言ったか?」
私のこめかみに血管が浮いた。
科学論争ならいくらでも受けて立つが、仲間を侮辱するのは許容範囲外だ。
「取り消せ。そして、その安っぽい羊皮紙をしまえ」
私は一歩前に出た。
「ほう?神の代弁者に逆らうおつもりで?」
「神?ここに神はいないよ、監査官殿。いるのは、好奇心に取り憑かれた物理学者と、思考停止した狂信者だけだ」
私はボブに目配せをした。
ボブが眼鏡を光らせ、小さく頷く。
(計算終了の合図だ)
「証明しようか、ジオットさん。君が信じる『神の奇跡』とやらが、いかに薄っぺらい物理現象であるかを」
「……愚かな。後悔しますよ」
ジオットが自身の胸のペンダントを握りしめた。
ブワッ!
彼の周囲に、黄金色の光のドームが展開される。
「これが神聖魔法『聖域(サンクチュアリ)』神の加護により、あらゆる物理干渉、あらゆる悪意ある魔法を遮断する絶対防御です。君のような異端の理屈など、この光の前では無力……」
「アリスッ」
私は彼の口上を遮り、短く名を呼んだ。
「は、はいっ!」
「あの結界を解析しろ。波長はいくつか?」
アリスは私の意図を即座に理解し、杖を構えた。
八木・宇田アンテナの導波器が微かに唸る。
「えっと……周波数は一定です!マナの振動数が、毎秒約440ヘルツの倍音で構成されています!」
「よし。A(ラ)の音階か。神様にしては随分と単純な波形だな」
私は地面に落ちていた木の枝を拾い、数式を書きなぐった。
「いいかアリス。波には性質がある。山と山がぶつかれば大きくなるが、山と谷がぶつかれば消滅する」
「はい!『逆位相』ですね!」
「その通り。あの偉そうな『聖域』と同じ波長で、位相だけを真逆にしたマナをぶつけろ。出力調整は任せる。君のアンテナならできるはずだ」
「な、何をブツブツと……」
ジオットが眉をひそめる。
「やってみます!……スキャン完了。位相、反転!」
アリスが杖を振るった。
ブゥン……
放たれたのは、攻撃魔法ではない。
目に見えない、ただの「波」だ。
だが、その波がジオットの黄金のドームに接触した瞬間。
フッ……
音もなく。
本当に何の前触れもなく。
絶対防御を謳っていた『聖域』が、シャボン玉のように消失した。
「なっ……!?」
ジオットが目を見開き、自分の手と、消え失せた光を交互に見る。
「ば、馬鹿な!?私の結界が……破壊されたわけでもなく、霧散した!?何をしたのですか!?これは教皇猊下から賜った最高位の神聖魔法だぞ!?」
「破壊じゃない。『相殺』だ」
私は拾った木の枝を捨て、呆然とする監査官に歩み寄った。
「ノイズキャンセリング・ヘッドホンと同じ理屈さ。と言っても通じないか……君の神様の奇跡は、僕らの物理学の計算で『ゼロ』になったんだよ」
私はジオットの目の前まで詰め寄り、彼の胸元のペンダントを指差した。
「分かったか。奇跡なんてない。あるのは、再現可能な物理法則だけだ。……さあ、その閉鎖命令書、持ち帰ってもらおうか」
夕日が沈む。
物理学者と聖職者の対峙。
その勝敗は、誰の目にも明らかだった。
(続く)
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