第26話:新人バイトは『空飛ぶ窓拭き係』

 株式会社クリーン・ファンタジーの朝は早い。
 だが、今朝のオフィスはいつも以上に騒がしかった。

「おい新人! 床が水浸しだぞ! 何やってんだ!」

 給湯室の前で、灰坂ソウジが怒声を上げる。

 「地面が汚れているなど、神の庭としてありえない」とブツブツ言いながら、「聖水」を使って床をビチャビチャにしていたのだ。

 金髪のおかっぱ頭に、背中には小さな白い翼。
 中性的な美貌を持つ彼は、先日入社したばかりのミカエル(通称:ミカくん)だ。

 その正体は、元・天界の大天使長である。
 ……が、今はただの「使えない新人バイト」だった。

「洗剤の希釈もめちゃくちゃだぞ。なんだこの濃さは」

「申し訳ありません、ソウジ様。『天使のさじ加減』で、濃いほうが浄化力が高まるかと……」

「料理じゃねぇんだよ! 規定量を守れ! あと『浄化』じゃなくて『洗浄』な!」

 ソウジは頭を抱えた。
 太陽での一件でプライドごとリセットされ、性格は素直になったものの、人間界の常識(特に掃除の基礎)が欠落しすぎている。

「はぁ……。剣崎、教育係はお前に任せたぞ」

「勘弁してくださいよ社長。彼、プライドが高すぎて『床這いつくばり』ができないんですよ。『地面は低き者が這う場所』とか言って」

 人事部長の剣崎が、遠い目でコーヒーを啜った。
 そこへ、秘書のコアちゃんがタブレットを持って駆け寄ってくる。

「社長! また厄介な依頼が来ましたよ!」

「今度はどこだ? エリア51か? 南極か?」

「いえ、都内です。超高層ダンジョンビル『バベル・タワー』の最上階レストランから、『窓が見えない』とのクレームです!」

 ***

 現場に到着した一行は、エレベーターで地上500メートルの最上階へと上がった。
 高級イタリアンレストランの窓際からは、本来なら東京の絶景が見渡せるはずだ。

 しかし、現状は悲惨だった。

「うわぁ……。こりゃ酷いな」

 ソウジが顔をしかめた。
 巨大なガラス窓の全面が、白いペンキをぶちまけたように真っ白に汚れているのだ。

「原因はアイツらですね」

 剣崎が指差した空の彼方には、怪鳥の群れが旋回していた。
 【バード・ボンバー(爆撃鳥)】
 強力な酸性のフンを撒き散らす、高層エリアの厄介者だ。

「外壁にゴンドラ用のレールもねぇし、この強風じゃドローンも飛ばせない。……普通の業者が断るわけだ」

 ソウジは窓に手を当てた。
 内側から拭いても意味がない。汚れは全て外側だ。
 地上500メートルの空中で、足場もなしに窓を拭くなど自殺行為に等しい。

「社長、どうします? 今回ばかりは『スライムキラー』をかけるわけにもいきませんよ。下に人がいますから」

 剣崎の問いに、ソウジは腕組みをして考え込んだ。
 そして、ふと視線を横に向けた。

 そこには、窓の外を飛ぶ鳥たちを「不浄な生き物め……」と睨みつけている、白い翼の少年がいた。

「……おい、ミカエル」

「はい! なんでしょう、ソウジ様!」

「お前、その翼は飾りか? 空、飛べるよな?」

 ソウジの言葉に、ミカエルはきょとんとして、パサッと翼を広げた。

「愚問です。天界への帰還こそ叶いませんが、この程度の大気圏内など庭のようなもの」

「よし。採用だ」

 ソウジは業務用の『高所作業用ワイパー(3メートル)』と、腰袋に入った『ガラスクリーナー』、そして『スクレイパー』をミカエルに手渡した。

「行ってこい。あの窓をピカピカにしてくるんだ」

「は? わ、私がですか? 外へ?」

「高所作業はお前の専売特許だろ。……まさか、できないのか?」

 ソウジに挑発的な目で見られ、元・大天使長のプライドに火がついた。

「ふ、ふふん! 侮らないでいただきたい! 空戦機動における私の機動力は、音速をも超えます!」

「よし、その意気だ! 行ってこい!」

 ソウジは非常用ハッチを開け、ミカエルを強風吹き荒れる空へと放り出した。

 ヒュオオオオオオッ!!
 猛烈なビル風が襲いかかる。

「うわっと!? ち、ちょっと風が強いですが……!」

 ミカエルは翼を大きく広げ、気流を捉えた。
 ピタリ。
 彼は空中で静止(ホバリング)して見せた。

「さあ、仕事の時間だ。……汚らわしい鳥のフンどもよ、我が聖なるワイパーの錆となれ!」

 シュバッ!

 ミカエルがワイパーを振るう。
 その動きは、地上でのポンコツぶりが嘘のように洗練されていた。
 空中にいる彼は、重力から解放され、水を得た魚――いや、空を得た天使だった。

「そこだ! 右舷、白い汚れを確認! 洗浄液散布!」

 プシュッ、キュッ、キュッ!

 彼が通った後のガラスが、鏡のように輝きを取り戻していく。
 そこへ、バード・ボンバーの群れが「縄張りを荒らすな」とばかりに襲いかかってきた。

「ギャアアアッ!」

「おっと、無駄ですよ」

 ミカエルはひらりと身を翻し、鳥たちの突撃を紙一重で回避する。
 そして、すれ違いざまにガラスを拭く!

「回避と同時に拭き上げ! これぞ天界式・機動清掃術!」

 そのあまりにシュールかつ神々しい光景を、コアちゃんがしっかりと『ComePro』で世界配信していた。

『え、なんか空飛んでね?』
『合成? ワイヤー? いや翼が生えてるぞ』
『天使だ! 天使が窓拭きしてるwww』
『無駄に神々しい窓拭きで草』
『回避機動が無駄にガチwww』
『そこまでして窓を拭きたいのかこの会社は』
『これがブラック企業の新人研修か……』

「よし、フィニッシュです!」

 ミカエルは最後の汚れをスクレイパーで削ぎ落とすと、空中で一回転してポーズを決めた。
 太陽を背に輝くその姿は、まさに聖画の一枚のようだ。
 手に持っているのがワイパーでなければ。

 ***

 数十分後。
 オフィスに戻ったミカエルは、少し顔を紅潮させていた。

「どうでしたか、ソウジ様! 私の華麗なる空戦清掃は!」

「ああ、悪くなかったぞ。……拭き残しもない。合格だ」

 ソウジが親指を立てると、ミカエルは「やりました!」とコアちゃんとハイタッチした。
 床拭きはからっきしだが、どうやら「空中の汚れ」に関してだけは超一流らしい。

「よし、ミカエル。今日からお前を『高所作業班チーフ』に任命する」

「チーフ! なんと甘美な響き……! このミカエル、粉骨砕身働かせていただきます!」

 単純な元天使は、目をキラキラさせて敬礼した。
 こうして、クリーン・ファンタジー社に、また一つ新たな「最強の戦力(ただし高所に限る)」が加わったのだった。

 だが、彼らはまだ知らない。
 空の敵には無敵の彼らにも、まもなく「地面を這い回る最悪の天敵」が迫っていることを。

(続く)

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