「……有り得ない……。私の信仰が、たかだか計算式ごときに……」
監査官ジオットは、自身の周囲で霧散した黄金の粒子を呆然と見つめていた。
絶対防御と信じていた『聖域』が、アリスの放った「逆位相の波」によって、音もなく相殺された事実。それは彼の世界観を根底から揺るがす出来事だった。
「計算式『ごとき』じゃない。計算式『こそ』が、この世界の真理だ」
私は冷ややかに告げた。
ジオットが顔を上げる。その爬虫類のような瞳から冷静さが消え、激しい憎悪の色が宿っていた。
「……認めん。認めんぞ、異端者め!!」
ジオットが叫び、懐から銀色のタクトを抜いた。
「神の御業を『物理』などという汚らわしい言葉で貶めるなら、その身を持って裁きを受けるがいい!」
──裁きの雷(ジャッジメント・サンダー)
彼の杖から、青白い稲妻が迸る。
問答無用の攻撃魔法。しかも殺傷能力の高い雷属性だ。
標的は、一番近くにいた私──ではなく、怯えていたリックだった。
「ひぃッ!?」
リックが悲鳴を上げる。
「卑怯な!一般人を狙うか!」
私が叫ぶより早く、青白い閃光がリックを直撃した。
バチィィィィンッ!!
凄まじい放電音が響き、リックの姿が光に飲まれる。
ジオットが歪んだ笑みを浮かべる。
「まずは一人。恐怖を知り、悔い改め……な、なにっ!?」
光が収まった後。
そこには、無傷のリックが立っていた。
いや、正確には腰を抜かしてへたり込んでいるが、焦げ跡一つない。
「あ、あれ……?痛くない……?痺れてもいねぇぞ?」
リックが自分の体と、手にした剣をペタペタと触る。
彼の装備──セラミック・コーティングされた剣と胸当てが、乳白色の光沢を放っていた。
「馬鹿な!直撃したはずだ!」
「直撃はしたさ。だが通電はしていない」
私はリックの前に歩み出た。
「彼の装備は『絶縁体』だ。電気抵抗が無限大に近い。君の自慢の雷も、回路が繋がらなければただの光のショーだ」
「ぐっ……ならば、質量攻撃で!」
ジオットが杖を振り上げる。
だが、その動作はすでに読まれていた。
「──右、角度30度。ファイアボール3発。来るよ」
後方で魔導書を開いていたボブが、淡々と告げる。
その言葉が終わるのと同時に、ジオットが炎の球を放った。
「くっ!なぜ避けられる!?」
私が最小限の動きで躱すと、ジオットは焦りを露わにする。
「君の視線、筋肉の収縮、マナの揺らぎ。それらの変数を『モンテカルロ法』でサンプリングすれば、攻撃予測など容易いことだ」
ボブが眼鏡を光らせる。
「おのれ……ちょこまかと!聖騎士たちよ、やれ!異端者を切り捨てろ!」
ジオットの命令で、背後の騎士たちが抜刀し、殺気立って迫る。
だが。
ヒュンッ!パァンッ!!
乾いた破裂音と共に、先頭の騎士の足元の地面が弾け飛んだ。
目に見えない何かが、地面を抉ったのだ。
「うわっ!?」
騎士が足を止める。
「動かないでください!次は当てます!」
屋根の上。
アリスが、八木・アンテナ杖をライフルのように構えていた。
その先端には、圧縮された空気の塊が、唸りを上げて収束されている。
「見えない斬撃……風魔法か!?これほどの射程と威力、あり得ない!」
騎士たちが狼狽する。
「Q.E.D.(証明終了)、チェックメイトだ。」
絶縁防御のリック。
未来予測のボブ。
超長距離狙撃のアリス。
一週間に及ぶ「物理学講習」を経た彼らは、もはや一介の聖騎士や監査官が太刀打ちできるレベルを超えていた。
「……どうする、ジオットさん」
私は動けなくなった監査官に歩み寄った。
「神罰とやらが下る気配はないな。君の神様は、物理法則を守る者には手を出さないらしい」
「……貴様……神を、否定する気か……!」
ジオットがギリリと歯噛みする。
「否定はしていない。ただ『証明』しただけだ」
私は彼の目の前で、人差し指を立てた。
「もし神がいるとすれば、その神は気まぐれな奇跡など起こさない。『物理法則』という、あまりにも美しく、残酷で、平等なルールを作った存在だ。僕たちはそのルールを解き明かしているに過ぎない」
ジオットは私を睨みつけたまま、しばらく沈黙した。
やがて、彼は屈辱に震えながら杖を収めた。
「……いいだろう。今日のところは見逃してやろう」
彼は踵を返し、聖騎士たちに撤退を命じた。
だが、去り際に振り返り、呪いのような言葉を残した。
「だが忘れるな、レイ・カルツァ。知恵の実をかじった者は、必ず楽園を追放される。教団は、君を『最重要監視対象』に指定する。……次はないと思え」
灰色の法衣が夕闇に消えていく。
その背中が見えなくなるまで、私たちは動かなかった。
「……行っちまったな」
リックがへたり込む。
「怖かったぁ……マジで死ぬかと思った……」
「レイ君」
ボブが静かに近づいてきた。
「勝ちはしたけど、完全に敵に回したね。これでもう、学院でのんびり研究なんてできないよ」
「ああ、分かっている」
私は夕日を見つめた。
もう、後戻りはできない。
教団の目は厳しくなる一方だ。王都に居場所はなくなるだろう。
だが、それでいい。
目的のためには、どちらにせよここを出る必要があったのだから。
「みんな、集まってくれ」
私は屋根から降りてきたアリスを含め、3人の仲間を見た。
「話がある。……僕がこの世界に来た本当の理由と、これから為すべき『真の目的』について」
(続く)
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