翌朝。
第4廃校舎の窓から外を覗くと、校門付近に不自然なほど多くの「カラス」が留まっているのが見えた。
本物の鳥ではない。使い魔か、あるいは監視魔法の一種だろう。
「……教団の監視網も、少しは目が細かくなったらしいな」
私はカーテンを閉め、振り返った。
研究室の中は、引っ越しの準備でひっくり返っていた。貴重な実験器具、精製したシリコンウェハー、そして何より重要な「加速器の設計図」。これらを全て木箱に詰め込む作業だ。
「おいレイ!こっちの魔導コンロの在庫はどうすんだよ!これ売れば旅費の足しになるぞ!」
リックが段ボールを抱えて叫ぶ。
「全部持っていけ。ダンジョンでの野営で、温かい飯が食えるのはアドバンテージだ」
「ちぇっ、金策に使おうと思ったのに……」
慌ただしく動く仲間たちを背に、私は黒板の前に立った。
そこには、昨夜語った「双子の宇宙」の図がまだ残っている。
「みんな、手を止めてくれ。出発前に、最終的な作戦目標を確認する」
私の声に、アリス、ボブ、リックが手を止めて集まる。
私はチョークを手に取り、黒板に大きくタイトルを書き殴った。
『Operation:Gravity Wave(オペレーション:グラビティ ウェーブ)』
「オペレーション……ぐらびてぃ?」
アリスが首を傾げる。
「直訳すれば『重力波通信計画』だ」
私は図解を始めた。
二つの宇宙、地球とこの世界を隔てる、分厚い壁。
それを突き抜ける波の絵だ。
「いいか。僕たちの世界と地球は、ブラックホールを介して繋がっている。だが、その間には『事象の地平線』という絶対的な壁がある。光も、電波も、魔力さえも、この壁を超えることはできない。吸い込まれて消えるだけだ」
「じゃあ、どうやって手紙を送るんだい?」
ボブが眼鏡を直しながら問う。
「唯一、この壁をすり抜けることができる物理現象がある。それが『重力』だ」
私は拳を握りしめた。
「重力とは、時空そのものの歪みだ。アインシュタインの一般相対性理論によれば、質量の移動は時空を揺らし、波となって光速で伝播する。これなら、次元の壁を無視して地球まで届く」
「つまり……?」
リックが口を開ける。
「つまり、地下の加速器を使って『マイクロブラックホール』を生成し、それを制御して時空を激しく揺さぶる。その波にメッセージを乗せて、地球の観測装置に検知させるんだ」
スケールの大きすぎる話に、3人が呆気にとられる。
だが、すぐにボブが口元を緩めた。
「……なるほど。時空という羊皮紙に、ブラックホールというペンで書くわけか。
詩的だね。そして最高にクレイジーだ」
「ああ。インター・ディメンショナル・コール、わかりやすく言うなら異世界間通信。成功すれば、僕たちは初めてこの偉業を成功させたチームになる」
私はチョークを置いた。
「だが、そのためには加速器を動かす必要がある。現状の『空っぽの箱』では何もできない。必要なのは二つ」
私は地図上の北の山脈を指差した。
「一つ。強力な磁場を作るための超伝導体、『高純度ミスリル』」
「一つ。ブラックホール生成に必要なテラワット級のエネルギー源、『ヴォイド・コア』」
「それを、ダンジョンから奪ってくるんですね!」
アリスが、八木・アンテナ杖をギュッと握りしめて立ち上がった。
その瞳に迷いはない。
「その通りだ。……教団の目が光っている以上、もう王都には戻れないかもしれない。この研究室ともお別れだ」
私は、私たちが過ごした薄暗い教室を見渡した。
ゴミの山から始まり、IHコンロを作り、物理学の実験を繰り返した場所。
ここが、私の第二の青春だった。
「寂しいか?」
ボブが尋ねてくる。
「まさか。物理学者は常に新しいフィールドを求めるものさ」
私は強がりを言って、白衣の裾を翻した。
「荷物はまとまったか?忘れ物はないな?特にリック、お前の『絶縁装備』は命綱だぞ」
「おうよ!予備の食料も、野営セットも完璧だ!ファイン商会の馬車も裏口に回してある!」
「アリス、魔力のコンディションは?」
「ばっちりです!いつでも最大出力で……あ、いえ、インピーダンス整合で半分の出力でいけます!」
「よろしい」
私はラボの扉に手をかけた。
重い木の扉。これを開ければ、もう日常には戻れない。
待ち受けているのは、未知の深淵と、教団との全面戦争だ。
「……行くぞ。授業は終わりだ。ここからは実習の時間だ!」
ギィィィ……
扉が開く。
差し込む夏の陽射しが、私たちの影を長く伸ばした。
チーム・カルツァ。
その最初の遠征が、今、始まろうとしていた。
(続く)
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