第30話 深淵への旅立ち

早朝。
王都を包む深い霧の中、一台の馬車が石畳を駆けていた。

ファイン商会の紋章が描かれた、幌付きの荷馬車だ。
御者台には、絶縁装備のセラミック・アーマーを身につけたリックが手綱を握り、荷台には私とアリス、ボブが揺られていた。

「おい、レイ!本当にこのまま正面突破でいいのか!?検問所には教団の騎士がウジャウジャいるぞ!」

リックが振り返り、顔を引きつらせて叫ぶ。

「正面突破とは人聞きが悪いな。『力学的突破』と言ってくれ」

私は荷台から身を乗り出し、前方の城門を確認した。
案の定、教団の監査官・ジオットの手回しだろう。普段の倍以上の衛兵と、白い鎧の聖騎士たちが目を光らせている。

「ボブ、検問を通過できる確率は?」

「正規の手続きなら0.0001%だね。僕らの似顔絵は『最重要監視対象』として配布されているようだ」

ボブが眼鏡の奥で目を細めた。

「だが、強行突破の成功率は、変数をレイ君の演算に委ねれば……エラーだ」

「上等だ。エラーが出るなら、それを書き換えるのが物理屋の仕事だ」

私はアリスに合図を送った。

「アリス、準備はいいか?君の新しい杖の出番だ。同時に僕が『進行方向への重力』を作る。」

「はいっ!いつでもいけます!……推進剤、充填完了!」

アリスが八木・アンテナ杖を馬車の後方に向ける。彼女は風魔法を攻撃ではなく、「推進力」として使うのだ。

「よし。リック、馬の目隠しを外すなよ。これから少し『浮く』からな。馬たちにとっては『崖から落ちる』のと同じ感覚だ。足がもつれないように祈れよ!」

「う、浮くぅ!?聞いてねぇぞそんなこと!!」

「行くぞ!作戦開始!」

「ぅうわあああっ!!」

リックが悲鳴と共に鞭を入れる。馬がいななき、馬車が加速する。
検問所の騎士たちが、暴走する馬車に気づいて槍を構えた。

「止まれ!貴様ら、止まらんと発砲するぞ!!」

「止まるわけにはいかないんでね!アリス、点火!」

「──ウインド・ジェット!!」

ドォォォォン!!

爆音と共に、世界が歪んだ。
だが、衝撃はない。
馬たちは走っているのではない。レイの作り出した「横向きの重力」によって、地面スレスレを滑るように「落下」しているのだ。

「なっ、なんだあれは!?」

「速すぎる!バリケードを閉めろ!」

騎士たちが慌てて鉄柵を下ろそうとする。
だが、遅い。
私は黄金の糸を手繰り寄せ、重力場を制御する。

「質量0.1G。……テイクオフ!」

フワッ。
馬車全体を包む重力場が書き換えられた。
数トンあるはずの車体と荷物が、発泡スチロールのように軽くなる。

次の瞬間。
石畳のわずかな段差をスロープ代わりに、馬車は重力から解き放たれた鳥のように空へと舞い上がった。

「うおおぉっ!飛んでるぅぅぅぅ!!」

リックの絶叫が朝霧に木霊する。

私たちは閉まりかけた鉄柵の遥か上空、騎士たちの頭上を優雅に飛び越えていった。

「ば、馬車が飛んだ!?」

「魔法か!?いや、あんな魔法は見たことがない!」

眼下で豆粒のように騒ぐ騎士たちを見下ろし、私はニヤリと笑った。

「重力と慣性の法則だ。テストに出るぞ、聖騎士諸君」

 

「……質量復元。タッチダウン!」

ザザザザッ!!

猛烈な砂煙を上げ、馬車が街道に着地した。
本来なら車軸が砕け散るほどの速度だが、着地の瞬間に私が重力をクッションのように展開したため、衝撃は奇跡的に吸収された。

馬車は慣性を殺さずに滑るように走り続け、やがて安定した走行へと移行する。

「……死ぬかと思った……」

リックが手綱に突っ伏している。

「ナイスドライビングだ、リック。君は最高のパイロットだよ」

「褒められても嬉しくねぇよ!追加料金取るからな!」

私たちは振り返った。
朝日に照らされた王都の城壁が、少しずつ遠ざかっていく。

あの中で過ごした日々。廃校舎での実験、失敗、そして小さな成功たち。
それら全てが、今はもう過去のアーカイブになった。

「……さようなら、第4廃校舎」

アリスが小さく手を振った。

「私、レイ様に会えて、本当によかったです」

「感傷に浸る時間は終わりだ。前を見ろ」

私は馬車の前方、北の空を指差した。
そこには、雲を突き抜けるような険しい山脈と、その中心にポッカリと口を開けた、不気味なほどの闇が広がっていた。

この世界の裂け目。
全ての物理法則が歪む場所。
そして、私たちが求めてやまない「答え」が眠る場所。

──大迷宮「奈落」

「あそこが……私たちの目的地……」

ボブが地図を広げ、震える声で呟いた。

「生存率0.001%のデス・ゾーンだ」

「ああ。だが、あそこの底には、僕らが求める『鍵』がある」

私は白衣のポケットから、一枚の設計図を取り出した。
加速器の完成予想図。
その中心には、まだ見ぬ「ヴォイド・コア」が描かれている。

「行くぞ、チーム・カルツァ。ここからは机上の空論じゃない。実践物理学の時間だ」

朝日を背に受けて、馬車は一路、北へ。
物理学者と、落ちこぼれの魔術師と、守銭奴の商人と、変人の秀才。

奇妙な4人組の冒険は、ここから本当の意味で始まるのだ。

 

── 第1部王立学院編完 ──

第2部シュバルツシルトの深淵編へ続く……

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