第30話:密室の燻煙(スモーク)作戦

 地下鉄ダンジョン『メトロ・アビス』は、輝ける地獄と化していた。

 シャカシャカシャカシャカッ!!

 鏡面仕上げ(ミラー・フィニッシュ)された『プラチナ・コックローチ』の大群が、光を反射させながら迫りくる。

 物理攻撃はツルツル滑り、魔法攻撃は完璧に反射される。
 まさに無敵の要塞。

「お、終わりだ……! 俺の掃除人生が、こんな害虫ごときに……!」

「社長! 諦めないでください! 何か、何か手はないんですか!?」

 剣崎がモップを振り回しながら叫ぶ。
 その必死な形相に、パニック寸前だったソウジの脳裏に、ふと梅さん(おばあちゃん)の言葉が過ぎった。

『へぇ〜、塩で磨くのかい。……でも、急須の口の奥みたいに、手の届かない場所はどうするんだい?』

 ――そうだ。
 掃除の基本。
 手が届かないなら、空気を変えればいい。
 物理的に触れられないなら、気体で攻めればいいのだ。

「……燻(いぶ)す」

「え?」

「部屋ごと燻して、全滅させるんだ!」

 ソウジの目に、清掃員(プロ)の光が戻った。
 彼は腰のポーチから、赤い円柱形の缶を取り出した。
 【ダンジョン用燻煙殺虫剤・ヘルズ・スモーカー(聖水配合)】だ。

「ですが社長! ここは広すぎます! 煙が拡散して効果が出ません!」

「だからこそ、『密室』を作るんだ! ……おい、ミカエル!」

 ソウジは天井付近で飛び回る新人に叫んだ。

「出番だ! この駅の全出入り口と通気口を、今すぐ塞げ!」

「は!? し、しかしソウジ様! ただの養生テープでは、奴らの侵入を防げませんし、隙間が……!」

「普通のテープじゃねぇ! お前の『結界』を使え!」

 ソウジはミカエルに、業務用の緑色の養生テープを投げ渡した。

「お前は元・大天使長だろ? その神聖な力で、空気分子ひとつ通さない『絶対密閉』を作るんだ! お前の几帳面さを信じてるぞ!」

「……ッ! ソ、ソウジ様……!」

 ミカエルの瞳が潤んだ。
 床拭きもできず、役立たずだと思っていた自分に、社運を賭けた大役が任されたのだ。

「承知いたしました! このミカエル、一世一代の『目張り』をご覧に入れましょう!」

 バサァッ!!
 ミカエルは翼を大きく広げ、音速で構内を飛翔した。

「スキル発動……【聖なる目張り(ホーリー・マスキング)】!!」

 シュババババババッ!!
 彼の手から繰り出される養生テープが、光の帯となって通気口やドアの隙間を塞いでいく。
 それはただのテープではない。
 天使の加護が込められた、物理・魔法・気体すべてを遮断する『絶対結界』だ。

「0.1ミリのズレも許さない! これぞ天界式・完全密閉術!」

『え、あのテープ光ってね?』
『天使の無駄遣いwww』
『養生テープ貼るのがこんなにカッコイイことある?』
『結界(物理)』
『几帳面すぎて草』
『これぞプロの目張り』

「ソウジ様! 密閉完了しました! 酸素濃度、固定されます!」

 わずか数十秒で、巨大な地下鉄駅が巨大なタッパーのように密閉された。

「よし、でかした!」

 ソウジは『ヘルズ・スモーカー』の蓋を開け、付属の水を注いだ。

「いくぞ野郎ども! 鏡面反射だろうがなんだろうが、煙からは逃げられねぇ!」

「全員、結界の外へ退避ッ!!」

 ソウジが缶を床に置き、全員がミカエルの作った結界の切れ目(脱出口)へ飛び込む。
 その瞬間。

 プシュゥゥゥゥゥゥゥーーーーッ!!!

 猛烈な勢いで、真っ白な煙が噴き出した。
 それはただの殺虫煙ではない。
 高濃度の聖水成分と、Gが最も嫌うハーブ成分を圧縮した、地獄の煙だ。

「キシャァァァァ!?(目が、目がぁぁぁ!?)」

「ギョエェェェェ!!(息ができなィィィ!)」

 プラチナ・コックローチたちが悶絶する。
 いかに表面を磨いて物理攻撃を滑らせようとも、呼吸器から入ってくる煙は防げない。

 鏡面ボディは煙の中で虚しく輝き、そして次々と裏返っていった。

 ***

 数時間後。
 換気を終えた地下鉄構内。

「…………」

 戻ってきた一行の目の前には、足の踏み場もないほどの『黒い山(一部銀色)』が築かれていた。
 全滅である。
 完全勝利だ。

 しかし、ソウジの顔色は勝利者とは思えないほど土気色だった。

「……無理」

「社長?」

「死骸も無理。……直視できない」

 ソウジはガクガクと震え、ゴーグル越しでも視線を逸らした。
 敵は倒した。だが、一番嫌な作業が残っている。
 『後片付け』だ。

 ソウジはそっと剣崎の肩に手を置いた。

「……掃除(死骸回収)は、剣崎、頼んだ」

「ええええええ!? お、俺ですか!? 俺だって嫌ですよこんな量!」

「業務命令だ。……特別ボーナス出すから」

「くっ……! 金に物を言わせやがって……!」

 結局、泣きながら塵取りと箒でGの山を片付ける剣崎。
 それを遠くの安全地帯から、「南無……」と手を合わせて見守るソウジ。
 その様子に、コメント欄は最後まで大盛り上がりだった。

『ざまぁwww』
『剣崎の扱いwww』
『まあ人事部長だし、汚れ役は適任』
『最強の清掃員にも弱点があって安心した』
『燻製最強伝説』
『Gには勝てなかったよ……(精神的に)』
『お疲れ様でした』

 こうして、S級清掃員の最大の危機は去った。
 ソウジは安堵の溜息をつき、心に誓った。

「……やっぱ、掃除は日頃からやっとくもんだな。溜めるとロクなことにならねぇ」

 その教訓を胸に、彼らはまた次の現場へと向かう。
 世界にはまだ、落とすべき汚れが山ほどあるのだから。

【第6部 完】

 ***

−あとがき−

 お疲れ様です。
 株式会社クリーン・ファンタジー代表の灰坂ソウジです。

 当社の害虫駆除業務に最後までお目通しいただき、誠にありがとうございました。

 今回の現場は、正直に申し上げまして、私の清掃員人生の中で最も過酷なものでした。

 ドラゴンや邪神は「頑固な汚れ」として処理できましたが、アレ(G)だけは……無理です。生理的に無理です。

 配信中に取り乱して逃走した件につきましては、深くお詫び申し上げます。ですが、画面の前の皆様も同じ気持ちだったと信じております。

 さて、今回の業務での反省点は、やはり「研磨の対象を間違えたこと」に尽きます。

 「汚れを落とせば弱くなる」という私の経験則が、まさか「ピカピカに磨き上げて鏡面反射スキルを付与してしまう」という最悪の結果(バフ)を招くとは……。

 皆様も、害虫を見かけた際は、決して綺麗に磨こうとせず、速やかに殺虫剤をご使用ください。

 ところで、視聴者の方から「結局、急須の注ぎ口の奥みたいに、塩で擦れない(届かない)場所はどうするんだ?」というご質問をいただきました。
 
 今回私が煙を使ったように、手が届かない場所には「物理」以外の方法を使います。

 正解は、「つけ置き(化学洗浄)」です。

酸素系漂白剤(過炭酸ナトリウム):
40〜50℃程度のお湯に溶かして、一晩つけ置きしてください。発泡する力で、手の届かない汚れを浮かして剥がし取ります。塩素系と違ってツンとした臭いもしないのでおすすめです。

重曹:
もっと優しく落としたい場合は、お湯に重曹を溶かしてつけ置くのも有効です。
お湯に重曹を溶かして一晩つけ置きすれば、アルカリの力で茶渋(酸性)を中和し、浮かせて落とせます。

 (※重要:ただし、アルミ製の急須などに重曹や酸素系漂白剤を使うのはNGです! 化学反応で黒く変色してしまいます。アルミの場合は中性洗剤で優しく洗ってくださいね)

 「こすってダメなら、浮かして待つ」
 これも掃除の極意です。

 新入社員のミカエル(元・大天使長)については、床拭きはからっきしですが、高所作業と「目張り」に関しては天才的な才能があることが判明しました。
 彼の貼った養生テープは、空気すら漏らさない芸術品です。
 今後、彼は「高所作業班・チーフ」として、窓拭きと隙間埋めを専門に担当させる予定です。

 (※ただし、高いところに行くとテンションが上がって「愚かな地上の民よ!」とか叫び出すのですが、子供が騒いでると思って勘弁してやってください)

 最後になりますが、今回の害虫駆除で心に深い傷を負った人事部長の剣崎(死骸回収担当)にも、エールを送ってあげてください。あれからちょっと物音がするたびに、私と一緒になってビクついて困っております。

 世界がある限り、汚れ(と害虫)は生まれ続けます。
 ですが、ご安心を。
 どれだけ汚れても、私たちが必ず綺麗にしますから。(虫以外なら)

 それでは、次の現場でお会いしましょう。
 皆様の明日が、一点の曇りもない、ピカピカの一日でありますように。

 株式会社クリーン・ファンタジー
 代表取締役社長 灰坂ソウジ

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