大陸中央部に位置する、世界最大の宗教国家『聖教国エリュシオン』。
その首都に足を踏み入れた瞬間、私は眉をひそめた。
目が痛い。
視界の全てが、過剰なまでに「白」かった。
白亜の城壁、白大理石の舗装路、そして街の中央にそびえ立つ、天を衝くような巨大な純白の大聖堂。
太陽光が反射し、直視するだけで眼球が焼かれそうだ。
「うわぁ……。なんか、キラキラしすぎてて落ち着かないね」
隣を歩くアリスが、フードを目深に被り直しながら呟く。
彼女は現在、いつもの魔王軍の制服ではなく、地味な旅人のローブを纏っている。
「我慢してください、アリス。今回はあくまで『市場調査』……いえ、慰安旅行のようなものですから」
私はスーツ姿のまま、銀縁眼鏡の位置を直した。
魔王軍の株式会社化から半年。
我々の経済圏は拡大を続け、ついにこの大陸最大の「未開拓市場(ブルーオーシャン)」である聖教国への視察を決行したのだ。
「へっ、それにしても警備が厳重だな。街中が『信者』だらけだ」
護衛のガントが、周囲を警戒しながら歩く。
道行く人々は皆、胸に「聖印」のペンダントを下げ、どこか陶酔したような、幸せそうな笑顔で祈りを捧げている。
街全体に、独特の――高揚感と閉塞感が入り混じった空気が漂っていた。
「ガント、失礼なことを言わないように。ここは『信仰』が全ての世界です。……おや?」
大聖堂の前広場から、異様な熱気と歓声が押し寄せてきた。
数万人の群衆が、バルコニーに立つ一人の少女を見上げている。
「――迷える子羊たちよ。神の御業(みわざ)をご覧なさい」
鈴を転がすような美声。
豪奢な祭服に身を包んだ、金髪碧眼の美少女――この国の広告塔、聖女セレスティアだ。
彼女が杖を振ると、空から金色の光の粒子が降り注いだ。
肌に触れるとひんやりと冷たいその霧を浴びた市民たちが、次々と快哉を叫ぶ。
「おお! 腰痛が治ったぞ!」
「肌がツヤツヤに!」
「聖女様ばんざーい! エリュシオンばんざーい!」
熱狂。陶酔。
チャリン、ジャララ……。
そして、群衆たちは我先にと、懐から硬貨を投げ入れ始めた。無数の金属音が広場の石畳に響き渡る。
「……あれが『奇跡』か。随分と景気のいい話だ」
ガントが感心するが、私は冷ややかな目でその光景を見ていた。
私の【即時監査】の目は誤魔化せない。
「……おかしいですね」
「ん? 何が?」
「あの光の粒子。……魔力構成が『回復魔法』ではありません。あれは、高濃度のポーションを霧状に散布し、光魔法で演出しているだけです」
「は? それってただの『加湿器』じゃん」
アリスが呆れたように吐き捨てる。
そう、これは奇跡ではない。大掛かりな舞台装置によるショーだ。
私は確証を得るため、懐から愛用の魔導計算杖を取り出した。
「少し、裏側の数字(コスト)を覗かせてもらいましょうか。……即時監査!」
私は聖女に向かって、監査の光を放った。
本来なら、これで彼女のステータスや資金の流れが丸裸になるはずだ。
――ガギィンッ!!
しかし。
私の放った監査魔法は、見えない「壁」に弾かれ、霧散した。
「なっ……!?」
私の目の前に、真っ赤なエラーログが表示される。
[System Error] 監査拒否
──────────────────────
対象: 聖教国・会計システム
理由: 【神聖不可侵領域】
※ エラーコード 999:
当法人の資産情報は『宗教法人法(聖法)』により保護されています。
外部からのアクセス権限がありません。
──────────────────────
「私の監査が……弾かれた? 魔法的な防御結界ではない……これは『法的な拒絶』!?」
動揺する私の鼻腔を、不意に強烈な違和感が襲った。
それまで漂っていた厳かな「お香」の香りを塗りつぶすような、鼻につく甘ったるい人工的な香り。
――スゥッ……プハァ……。
白い煙――いや、水蒸気が、バルコニーから吐き出される。
「おやおや。神聖な場所で、無粋な計算機を叩くネズミが一匹」
バルコニーの聖女の隣。
いつの間にか、二人の男が立っていた。
一人は、豪華な法衣を纏った老人――この国の最高権力者、教皇グレゴリオ。
そしてもう一人は、教皇とは対照的な、純白のスーツを着崩した若い男だった。
男の口元には、私が見たこともない形状の細長い棒状の喫煙具が咥えられている。
彼がそれを燻らせるたびに、ブルーベリーガムのような甘い蒸気が、神聖な空気を汚していく。
大きく開けた胸元にはシルバーアクセサリーが重なり合い、動くたびにチャラついた金属音を立てている。
重力に逆らうようにセットされた派手な髪色。
一見すると、夜の街で女性を侍らせる「遊び人」のようだが――その細められた瞳だけが、獲物を狙う獣のように冷たく濁っていた。
「ようこそ、魔王軍CFOクリフ・オーデル君。……いや、『悪徳会計士』と呼ぶべきかな?」
男が、わざとらしい仕草で髪をかき上げる。
その全身から漂うのは、私のような実務家とは対極にある、虚飾と享楽の気配。
「貴方は……?」
「俺の名はキョウヤ。教皇聖下の経営顧問……ま、この国の『プロデューサー』ってとこだな」
キョウヤと名乗った男は、指先で私の監査ログを弾き飛ばす仕草をした。
「君の『監査』は通用しないよ。ここは株式会社ではない。……客(信者)をその気にさせて夢を見させる、完全なる『信用経済(バブル)』の世界だ」
「……私の素性を知っていて招き入れたのですか」
「もちろん。君が我々の市場を狙っていることは分析済みだ。だから――」
教皇グレゴリオが一歩前に出て、厳かに杖を掲げた。
その声は、広場中のスピーカーを通じて、国中へと響き渡った。
「聞け、敬虔なる信徒たちよ! そこにいる者たちは、神の恵みを数字で汚す『異端者』である!」
ワァァァァッ!!
群衆の目が一変する。
信仰の喜びが、一瞬にしてどす黒い「敵意」へと変わる。
「排除せよ! 異端者を許すな!」
石が飛んでくる。罵声が浴びせられる。
ガントが盾を構えて私を守る。盾に石が当たる鈍い音が響く。
「おいクリフ、まずいぞ! ここは一旦退くぞ!」
「ええ……! 転移門で撤退します!」
私は懐から、緊急脱出用の『魔封紙幣』を取り出した。
スカッ……。
紙幣に魔力が吸い込まれない。
ただの紙切れになっている。
「な……!?」
「無駄だよ」
キョウヤの声が響く。
「たった今、我が国は魔王軍に対する【聖絶・経済封鎖】を発動した」
彼は空中に、巨大なシステムウィンドウを展開した。
それは、私が普段使っている監査ログよりも遥かに複雑で、残酷な「金融封鎖」の通告だった。
[Economic Sanction] 異端認定・資産凍結
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▼ 現在の資産価値
[Global] 5,000億マナ
↓
[Local ] 0 聖貨(価値なし)
───────────────────
「決済網からの遮断……!? これでは、手持ちの資産が一切使えない!」
「ご名答。……俺の故郷の言葉で言えば、『SWIFT排除』ってやつさ」
キョウヤが魔導喫煙具の紫煙を吐き出しながら、ニヤリと笑う。
SWIFT――聞き慣れない言葉だが、その響きに含まれる冷徹な響きで、効果は直感的に理解できた。
この経済圏における全ての取引・送金・決済ルートから、私という存在を物理的に切り離したのだ。
こいつは……知っている。
私と同等か、それ以上に高度な「経済知識」を持ち、それを悪用している。
だが、今の私の立場は、ただの被害者ではない。
聖教国中央銀行にとって、私は最大の預金者(太客)だ。
「……正気ですか、キョウヤ。私の資産5,000億マナは、貴国の銀行総資産の4割を占めているはずだ」
私は冷静に、しかし鋭く指摘した。
「それを凍結すれば、貴方の銀行の『信用』も地に落ちる。取り付け騒ぎが起き、連鎖倒産しますよ! これは『相互確証破壊(心中)』だ!」
そう。だからこそ、私はここに資産を預けていた。
私が死ねば、お前たちも死ぬ。その理屈がある限り、手出しはできないはずだった。
しかし――キョウヤは、可笑しそうに肩をすくめただけだった。
「知ってるよ。……だから何だ?
肉を切らせて骨を断つ。……いや、『国が滅んでも、俺が勝てばそれでいい』」
キョウヤの瞳が、爬虫類のように冷たく光った。
合理的ではない。いや、私の想定する「国家の存続」という前提条件を、こいつは最初から捨てているのか?
自国の経済すらも、ただの「使い捨ての武器」だと思っているのか?
「さあ、味わうがいい。金も、魔法も、信用も通じない……『経済的な死』を」
「大将! アリス嬢ちゃん! 俺の後ろだ!!」
ガントが吼えた。
彼は私とアリスの前に立ちはだかり、装備していたタワーシールドを地面に叩きつける。
ガガガガガッ!!
雨あられのように飛来する石が、ガントの盾と鎧に当たり、鈍い音を立てて砕け散る。
だが、ガントは微動だにしない。
「へっ、この程度の石ころ、痛くも痒くもねぇよ! 俺は魔王軍の防衛隊長だぞ!」
頼もしい背中だ。
だが、このままではジリ貧だ。衛兵たちが槍を構えて包囲を狭めてくる。
キョウヤの声が遠くから響く。
「魔法も使えない。金も使えない。……さあ、どうやって逃げる?」
絶体絶命。
その時、ガントがニカっと笑った。
「魔法が使えねぇなら……物理で強行突破だ!!」
ガントは盾を構えたまま、猛然とダッシュした。
「どけぇぇぇッ! おらぁッ!」
ドォォォン!!
まるで暴走戦車だ。
ガントの体当たりを受けた衛兵たちが、ボウリングのピンのように宙を舞う。
包囲網の一角が、物理的にこじ開けられた。
「今だ大将! 走れ!!」
「行きますよ、アリス!」
「う、うん!」
私たちはガントが作った血路を駆け抜けた。
背後からは、まだキョウヤの嘲笑と、狂信者たちの罵声が響いていた。
最強のCFOと最強の盾。
私たちは命からがら、光り輝く聖都の「影(スラム)」へと転がり込んだのだった。
(続く)
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