第32話:バグは『キーボードの隙間のお菓子』

秋葉原の地下深くに存在する巨大データセンター『アカシック・サーバー』の中枢。

 そこは、現実と電脳の境界が曖昧になった異界だった。
 無機質なサーバーラックが無限に立ち並ぶ回廊。
 しかし、その空間には「0と1の文字列」がホコリのように舞い、幾何学的なノイズが壁や床を侵食している。

「うわぁ……。なんですか、この場所は」

 人事部長の剣崎が、周囲を見渡して顔をしかめた。
 彼の目には、デジタルノイズを纏った不定形の怪物「バグ・モンスター(グリッチ)」が、床や壁を這い回っているのが見えていた。

 カチカチ、ザザッ、という不快な電子音が響き渡る。

「気持ち悪いですね……。まるでデータの死骸が動いているようです」

「不浄な気配ですわ。聖なる光も届かないような……」

 セシリアも杖を構えて警戒する。
 しかし、社長のソウジだけは、全く別の感想を抱いていた。

「うわぁ、汚ねぇ部屋だな」

 ソウジは足元の床を靴底で擦った。
 ネチャッ。
 不快な粘着音がする。

 彼の「真実の魔眼(解析ゴーグル)」には、このサイバー空間が「長年掃除されていない、散らかり放題のオタク部屋」として映っていたのだ。

【解析:床面の重度汚染】
【成分:糖分を含んだ炭酸飲料の乾燥跡、スナック菓子の粉末】
【推奨:粘着ゲルによる吸着清掃】

「床もラックもベタベタじゃねーか。コーラでもこぼして放置してたのかよ?」

 ソウジは呆れたように言った。
 彼には、徘徊するバグ・モンスターたちが「床に落ちたポテトチップスの破片」や「キーボードの隙間に詰まったお菓子のカス」に見えている。

「これじゃ熱もこもるわけだ。ほら見ろ、あの隙間」

 ソウジが指差したのは、サーバーラックの冷却スリット(通気口)だった。
 そこには、バグ・モンスターがびっしりと詰まり、空気の流れを塞いでいる。

「うわっ、最悪だ。ホコリと食べカスが詰まって、ファンが悲鳴を上げてるぞ」

「食べカス……? あれがですか?」

 剣崎が指差す先には、牙をむき出しにしたデジタルモンスターがいるのだが。

「ああ。放置すると固まって取れなくなるんだよな」

 その時。
 バグ・モンスターの一体が、侵入者に気づいて襲いかかってきた。

 ザザザッ!!

「きゃあっ! 来ますわ!」

 セシリアが前に出る。
 彼女は愛用のクロス(聖骸布)を取り出し、果敢にモンスターへ向かっていった。

「細かい汚れなら、私の『聖なる拭き掃除』にお任せを!」

 彼女は床を這うバグ・モンスターを、雑巾がけの要領でゴシゴシと擦った。

「消えなさい! 不浄な存在よ!」

 しかし。
 彼女が擦れば擦るほど、バグ・モンスターは細かく分裂し、さらに奥まった隙間へと逃げ込んでいった。
 それどころか、摩擦によって増殖し、さらに凶暴化していく。

 ギギギギギ……!!

「えっ!? な、なんで!? 汚れが落ちませんわ! むしろ広がってます!?」

 セシリアがパニックになる。
 拭いても拭いても、汚れが伸びて隙間に入り込んでしまうのだ。

「あーあ、やっちまった」

 ソウジが溜め息をついた。

「おいセシリア、止めろ。逆効果だ」

「で、ですがソウジ様! 拭き掃除は基本ですわ!」

「場所によるんだよ。……いいか、よく見ろ」

 ソウジはセシリアを下がらせ、前に出た。

「こういう凹凸のある場所や、細かい隙間に入り込んだゴミ(バグ)はな、拭いちゃダメなんだ。拭けば拭くほど、奥に押し込んで詰まらせちまう」

 彼は腰のポーチから、スライムのような鮮やかな緑色の物体を取り出した。
 プルプルと震える、冷たいゲル状の塊だ。

 新アイテム「スライム状クリーナー(高粘着ゲル)」

「こういう時は、これを使うんだ」

 ソウジはゲルを手に取り、バグ・モンスターが詰まった隙間(スリット)に、ムギュッと押し当てた。

「吸着!」

 ジュワッ……!

 ゲルは液状のように変形し、複雑な隙間の奥深くまで入り込んでいく。
 そして、奥に潜んでいたバグたちを、その粘着力で包み込んだ。

「ここだ!」

 ソウジがゲルをベロンと剥がす。
 すると、緑色のゲルには、無数のバグ・モンスター(食べカスやホコリ)がびっしりと捕獲されていた。

「ギョエェェェェ……!」

 ゲルの中に閉じ込められたバグたちが、断末魔を上げて消滅していく。
 物理的な攻撃ではなく、「掃除」によって処理されたのだ。

「うわぁ……。取れすぎて気持ち悪いですね……」

 剣崎が顔をしかめるが、その効果は絶大だった。
 詰まりが取れたスリットからは、涼しい風が吹き始めている。

「すごいですソウジ様! あんなに一瞬で!」

 ミカエルが目を輝かせる。

「キーボードの隙間やリモコンのボタン周りは、こうやって掃除するんだ。……ほら、どんどん行くぞ」

 ソウジは新しいゲルを取り出し、ペタペタと床や壁に押し付けて回った。
 その姿は、英雄というよりは、年末の大掃除に勤しむお父さんそのものだ。

 ペタッ、ベロン。ペタッ、ベロン。

 小気味よい音と共に、凶悪なデジタルダンジョンが、みるみる綺麗になっていく。

「よし、このエリアはクリアだ。……次はもっと奥、CPU(脳みそ)の方に行くぞ」

 ソウジは満足げにゲルを容器に戻し、先へ進む。
 だが、彼らはまだ気づいていなかった。
 この先に待つのが、単なる汚れではなく、ネット社会の闇——「炎上」と「スパム」の嵐であることを。

(続く)

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