秋葉原の地下深くに存在する巨大データセンター『アカシック・サーバー』の中枢。
そこは、現実と電脳の境界が曖昧になった異界だった。
無機質なサーバーラックが無限に立ち並ぶ回廊。
しかし、その空間には「0と1の文字列」がホコリのように舞い、幾何学的なノイズが壁や床を侵食している。
「うわぁ……。なんですか、この場所は」
人事部長の剣崎が、周囲を見渡して顔をしかめた。
彼の目には、デジタルノイズを纏った不定形の怪物「バグ・モンスター(グリッチ)」が、床や壁を這い回っているのが見えていた。
カチカチ、ザザッ、という不快な電子音が響き渡る。
「気持ち悪いですね……。まるでデータの死骸が動いているようです」
「不浄な気配ですわ。聖なる光も届かないような……」
セシリアも杖を構えて警戒する。
しかし、社長のソウジだけは、全く別の感想を抱いていた。
「うわぁ、汚ねぇ部屋だな」
ソウジは足元の床を靴底で擦った。
ネチャッ。
不快な粘着音がする。
彼の「真実の魔眼(解析ゴーグル)」には、このサイバー空間が「長年掃除されていない、散らかり放題のオタク部屋」として映っていたのだ。
【解析:床面の重度汚染】
【成分:糖分を含んだ炭酸飲料の乾燥跡、スナック菓子の粉末】
【推奨:粘着ゲルによる吸着清掃】
「床もラックもベタベタじゃねーか。コーラでもこぼして放置してたのかよ?」
ソウジは呆れたように言った。
彼には、徘徊するバグ・モンスターたちが「床に落ちたポテトチップスの破片」や「キーボードの隙間に詰まったお菓子のカス」に見えている。
「これじゃ熱もこもるわけだ。ほら見ろ、あの隙間」
ソウジが指差したのは、サーバーラックの冷却スリット(通気口)だった。
そこには、バグ・モンスターがびっしりと詰まり、空気の流れを塞いでいる。
「うわっ、最悪だ。ホコリと食べカスが詰まって、ファンが悲鳴を上げてるぞ」
「食べカス……? あれがですか?」
剣崎が指差す先には、牙をむき出しにしたデジタルモンスターがいるのだが。
「ああ。放置すると固まって取れなくなるんだよな」
その時。
バグ・モンスターの一体が、侵入者に気づいて襲いかかってきた。
ザザザッ!!
「きゃあっ! 来ますわ!」
セシリアが前に出る。
彼女は愛用のクロス(聖骸布)を取り出し、果敢にモンスターへ向かっていった。
「細かい汚れなら、私の『聖なる拭き掃除』にお任せを!」
彼女は床を這うバグ・モンスターを、雑巾がけの要領でゴシゴシと擦った。
「消えなさい! 不浄な存在よ!」
しかし。
彼女が擦れば擦るほど、バグ・モンスターは細かく分裂し、さらに奥まった隙間へと逃げ込んでいった。
それどころか、摩擦によって増殖し、さらに凶暴化していく。
ギギギギギ……!!
「えっ!? な、なんで!? 汚れが落ちませんわ! むしろ広がってます!?」
セシリアがパニックになる。
拭いても拭いても、汚れが伸びて隙間に入り込んでしまうのだ。
「あーあ、やっちまった」
ソウジが溜め息をついた。
「おいセシリア、止めろ。逆効果だ」
「で、ですがソウジ様! 拭き掃除は基本ですわ!」
「場所によるんだよ。……いいか、よく見ろ」
ソウジはセシリアを下がらせ、前に出た。
「こういう凹凸のある場所や、細かい隙間に入り込んだゴミ(バグ)はな、拭いちゃダメなんだ。拭けば拭くほど、奥に押し込んで詰まらせちまう」
彼は腰のポーチから、スライムのような鮮やかな緑色の物体を取り出した。
プルプルと震える、冷たいゲル状の塊だ。
新アイテム「スライム状クリーナー(高粘着ゲル)」
「こういう時は、これを使うんだ」
ソウジはゲルを手に取り、バグ・モンスターが詰まった隙間(スリット)に、ムギュッと押し当てた。
「吸着!」
ジュワッ……!
ゲルは液状のように変形し、複雑な隙間の奥深くまで入り込んでいく。
そして、奥に潜んでいたバグたちを、その粘着力で包み込んだ。
「ここだ!」
ソウジがゲルをベロンと剥がす。
すると、緑色のゲルには、無数のバグ・モンスター(食べカスやホコリ)がびっしりと捕獲されていた。
「ギョエェェェェ……!」
ゲルの中に閉じ込められたバグたちが、断末魔を上げて消滅していく。
物理的な攻撃ではなく、「掃除」によって処理されたのだ。
「うわぁ……。取れすぎて気持ち悪いですね……」
剣崎が顔をしかめるが、その効果は絶大だった。
詰まりが取れたスリットからは、涼しい風が吹き始めている。
「すごいですソウジ様! あんなに一瞬で!」
ミカエルが目を輝かせる。
「キーボードの隙間やリモコンのボタン周りは、こうやって掃除するんだ。……ほら、どんどん行くぞ」
ソウジは新しいゲルを取り出し、ペタペタと床や壁に押し付けて回った。
その姿は、英雄というよりは、年末の大掃除に勤しむお父さんそのものだ。
ペタッ、ベロン。ペタッ、ベロン。
小気味よい音と共に、凶悪なデジタルダンジョンが、みるみる綺麗になっていく。
「よし、このエリアはクリアだ。……次はもっと奥、CPU(脳みそ)の方に行くぞ」
ソウジは満足げにゲルを容器に戻し、先へ進む。
だが、彼らはまだ気づいていなかった。
この先に待つのが、単なる汚れではなく、ネット社会の闇——「炎上」と「スパム」の嵐であることを。
(続く)
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