聖教国の首都、その煌びやかな表通りから一本入ったスラム街。
そこにある廃ビルの地下に、その店はあった。
非合法賭博場『ゴールデン・ラット』。
教義で賭博を禁じられているはずのこの国で、聖職者や衛兵たちが夜な夜な集まり、欲望を吐き出す掃き溜めだ。
ムワッとした熱気と、紫煙、そして安酒の臭い。
「……うぅ、空気が悪い」
アリスが鼻をつまんで顔をしかめる。
彼女のフードを目深に被らせ、私は店内を見渡した。
ルーレット、ダイス、カード。
粗末なテーブルの上で、粗悪なチップと、聖教国の通貨である『聖貨(セイント)』が乱れ飛んでいる。
「へっ、とんだ伏魔殿だな」
ガントが肩を鳴らす。
その左腕には、赤錆びた円盤――昨日拾った「マンホールの蓋」が、革ベルトでしっかりと固定されていた。
彼は懐から、ジャラジャラと硬貨を取り出した。
「大将、これで足りるか? さっきゴミ山から拾った銅線やパイプを売った金だ」
金額にして、50,000聖貨。
我々の感覚で言えば、50,000マナと同等の価値だ。
これが、現在の株式会社デーモン・ホールディングスの全流動資産である。
「盾(マンホール)は売らなかったの?」
アリスが尋ねると、ガントはニカっと笑って鉄塊を叩いた。
「馬鹿言え。こいつは俺の新しい『相棒』だ。……装備を売って金を作るなんてのは、三流のやることさ」
「頼もしいですね。……ええ、元手としては十分です」
私は眼鏡の位置を直し、冷静に告げた。
現在の私は、資産凍結により魔法(システム介入)が一切使えない。
【即時監査】も【確率操作】も不可能。
ただの「計算が得意な一般人」だ。
だが、それで十分だ。
相手が「魔法」ではなく「物理的なイカサマ」でくるなら、私の武器(頭脳)は凍結されていない。
「行きましょう。まずはルーレットです」
◇
私たちは、店の中央にあるルーレット台の前に立った。
客層は悪い。目が血走った聖騎士や、制服を着崩したシスターなどが、悲鳴と怒号を上げている。
「さあ張った張った! 神の恵みは誰の手に!」
ディーラーは、片目に眼帯をした胡散臭い男だ。
彼が盤面に球を投げ入れると、盤が勢いよく回り出す。
カラカラカラ……。
私はチップを賭けずに、その回転をじっと見つめた。
1回、2回、10回……。
「……ふむ」
「どしたのクリフ? 賭けないの?」
「データを収集中です。アリス、あのディーラーの『手癖』と、盤面の『傾き』を見てください」
私は小声で囁いた。
魔法が使えなくても、物理法則は裏切らない。
1. 盤面の歪み: 老朽化した盤面は、わずかに右下(数字の15~25周辺)に傾いている。
2. ディーラーの癖: 彼は大金が賭けられたエリアを避ける際、投球の初速を微妙に緩めている。
3. 磁力反応: ガントの持つマンホール盾が、特定のタイミングで盤面の方へ微かに引かれている。
「……なるほど。電磁石による誘導ですね」
典型的なイカサマだ。
客が大きく張った場所を避け、胴元が回収するシステム。
だが、その制御は雑だ。磁力が強すぎて、逆に「落ちる場所」が予測できる。
「ガント。全財産を貸してください」
「おう、頼むぜ!」
私はガントから50,000聖貨分のチップを受け取ると、無造作にテーブルへ置いた。
「『赤の19』に一点賭け(ストレート・アップ)で」
周囲の客がざわつく。
一点賭けは倍率36倍。当たる確率は低い。
ディーラーがニヤリと笑った。
「へい、赤の19ね。……いい度胸だ」
カモが来た。そんな顔だ。
彼は球を投げ入れる。
カラカラカラ……。
球が盤面を回る。
ディーラーの手が、テーブルの下で動いた。磁力スイッチを入れたのだ。
球が不自然な軌道を描き、客が多く賭けている「黒」のエリアを避ける。
その避けた先にあるのが――盤面の傾きが誘導する、「赤の19」だ。
カラン、コロン……カポッ。
「なっ……!?」
ディーラーの目が点になる。
球は吸い込まれるように、私が賭けた「赤の19」のポケットに収まっていた。
「……おめでとうございます。36倍の配当です」
「ば、バカな……まぐれだ!」
ディーラーが震える手でチップを押し出す。
50,000聖貨が、一瞬で1,800,000聖貨になった。
庶民の年収に相当する額だ。
「次です。『黒の8』に全額」
「はぁ!? 全額プッシュ(コロガシ)だと!?」
周囲がどよめく。
180万聖貨の一点賭け。外せばゼロ。当たれば……。
私は表情一つ変えずにチップの山を押し出した。
「回しなさい。……それとも、怖じ気づきましたか?」
「ふ、ふざけるな! 後悔しても知らねぇぞ!」
ディーラーが乱暴に球を投げる。
彼は必死に磁力スイッチを操作し、私の賭けた「黒の8」を避けようとする。
だが、計算済みだ。
今の強い回転力と磁力の反発係数なら、球は対角線上のポケットへ弾かれ――
カポッ。
球は、あざ笑うかのように「黒の8」へ着地した。
「――っ!?」
静寂。
その直後、店が割れんばかりの歓声に包まれた。
「当たった……! 2連続一点賭けだ!」
「おい計算しろ! いくらになるんだ!?」
1,800,000聖貨 × 36倍。
その額、64,800,000聖貨。
ディーラーは腰を抜かし、崩れ落ちた。
この規模の地下カジノでは、準備金(バンクロール)が吹き飛ぶ金額だ。
「さあ、支払ってもらいましょうか」
「お、お客様……」
ディーラーが震える声で呟き、そして奥へ合図を送った。
もはやゲーム続行は不可能。ここからは「暴力」の時間だ。
ドスドスドス……。
奥の扉から、屈強な男たちが現れた。
カジノの用心棒(バウンサー)だ。手には棍棒やナイフを持っている。
「おいおい兄ちゃん。ウチで随分と稼いでくれたみたいだが……イカサマは感心しねぇな」
リーダー格の男が、私の肩に手を置く。
典型的な難癖だ。
「イカサマ? 証拠はありますか?」
「証拠ならあるぜ。……お前の死体が証拠だ!」
男が隠し持っていたナイフを振り上げ、私の首筋めがけて突き出した。
――ガギィィィン!!
甲高い金属音が店内に響き渡った。
ナイフの切っ先は、私の首ではなく――私の横から差し出された、赤錆びた円盤に阻まれていた。
「あァ? 誰にケンカ売ってんだ、三下」
「な、なんだこれは……!?」
男が驚愕の声を上げる。
そこに立ちはだかったのは、ガント。
彼が構えているのは、ミスリルの盾でも魔法の障壁でもない。
ただの、マンホールの蓋だ。
「この『盾』はな、昨日大将が俺にくれた希望(チャンス)なんだよ。……テメェごときのナイフで傷つくような代物じゃねぇ!」
ガントは咆哮し、マンホールを裏拳のように振るった。
ドォォォン!!
数十キロある鉄塊の一撃。
男はボールのように吹き飛び、ルーレット台を粉砕して壁にめり込んだ。
「ひ、ひぃッ! なんだこいつ! 化け物だ!」
残りの用心棒たちが怯んで後ずさりする。
ガントはマンホールをドスンと床に置き、不敵に笑った。
「へっ、いい音させやがる。やっぱこの国の鉄は質がいいな」
「やれやれ。……暴力は計算外のコストがかかるので嫌いなのですが」
私は金庫からかき集められたチップと現金の山を、アリスの鞄に詰め込ませながら、逃げ腰のディーラーを見据えた。
「この約6,480万聖貨は頂いていきます。これは貴店が積み上げた『負債(ツケ)』の精算ですので」
「ま、待て! そんなことをしたらオーナーが黙ってないぞ! この店はキョウヤ様の……」
「ほう?」
私は足を止めた。
キョウヤ。やはり、この裏カジノも奴の資金源の一つか。
「それは好都合だ。……オーナーに伝えておきなさい」
私は眼鏡の奥で、氷のような光を宿した瞳を向けた。
「『CFOが、未払い分の徴収を開始した』と」
◇
数分後。
私たちは裏口から路地へと脱出した。
アリスの鞄はずっしりと重い。
約6,480万聖貨(=6,480万マナ相当)。
わずか2回のベットで手に入れた、十分すぎる軍資金だ。
「やったねクリフ! ガントも凄かったよ!」
「へへっ、まあな。このマンホール、意外と手に馴染むぜ」
「はい。ですが、これはまだ始まりです」
私は雪の降る夜空を見上げた。
この金を使って、次のステップへ進まなければならない。
聖教国の監視網を潜り抜け、奴らの経済を内側から食い荒らすための拠点を作る。
「アリス、ガント。……会社を作りますよ」
「は? 会社?」
「ええ。聖教国の法律が届かない、闇の金融会社を」
私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
まだインクも乾いていない、新しい事業計画書。
社名は――『デーモン・クレジット』。
「さあ、ここからが本当の『錬金術』の時間です」
(続く)
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