第34話:ボスは『スパゲッティ・モンスター』

 『フェンリル・ロアー』によってカチンコチンに凍りついた「炎上(燃える鳥)」たちの回廊を抜け、ソウジたちはついに最深部へと到達した。

 目の前には、巨大な鋼鉄の扉がある。
 ここが『アカシック・サーバー』の中枢──通称『女神の寝室(コアルーム)』だ。

「この中に、依頼人のシヴァーちゃんがいるんですね」

 剣崎がゴクリと喉を鳴らす。
 扉の隙間からは、ドクン、ドクン……という重低音と、禍々しい紫色の光が漏れ出している。

「開けるぞ」

 ソウジが扉を押し開けた。

 ズズズズズ……ッ!

 その瞬間、視界を埋め尽くしたのは――「黒い触手」の山だった。

「ひぃぃッ!?」

「な、なんですのこれ!?」

 部屋の中央に、直径10メートルはあろうかという巨大な「球体」が鎮座していた。
 それは無数の黒い触手で構成され、まるで生き物のように脈打ち、うねっている。
 触手の隙間には、ホコリが灰色の綿のように絡まりつき、時折バチバチと赤いスパークが散っている。

 そして、その球体の中心には、拘束された少女――女神シヴァーの姿があった。

『うぅ……苦しいよぉ……絡まって……動けないよぉ……』

 彼女は無数の触手に手足を縛られ、涙を流している。
 まさに、触手怪物に囚われたお姫様。
 ファンタジーRPGならラスボス戦の光景だ。

 剣崎が震える声で叫ぶ。

「で、出たァァァ! あれが今回の元凶か!」

「なんておぞましい姿……! 攻撃が通じる気がしませんわ!」

 長年放置され、複雑怪奇に絡まり合ったプログラムと配線が、怨念を持って実体化した怪物。
 うかつに斬ればバグが増殖し、魔法を撃てばエラーで反射される、最悪のシステム障害の権化。

 だが。
 最強の清掃員・灰坂ソウジの【真実の魔眼(ゴーグル)】には、その怪物は全く別の「絶望」として映っていた。

【解析:極めて深刻な配線不良】
【状態:スパゲッティ配線(Spaghetti Cabling)】
【リスク:トラッキング火災、転倒事故、美観の欠如】

「うっわ……」

 ソウジの口から、心底軽蔑するような声が漏れた。
 恐怖ではない。
 プロとして、これ以上ないほどの「ドン引き」だった。

「なんだよこれ。引っ越してから一度も動かしてない『テレビ台の裏側』かよ」

 彼には、うねる触手が「無造作に継ぎ足された電源タップ」や「余ってとぐろを巻いたLANケーブル」に見えている。
 それらがホコリまみれで団子になっている光景は、到底許すことができないものだった。

「誰だ、こんな配線した奴は! 電源系と通信系を一緒に束ねるな! ノイズの原因になるだろ!」

 ソウジが激怒した瞬間、怪物が咆哮を上げた。

 ギシャアアアアアッ!!(エラー発生! エラー発生!)

 シュバッ!
 黒い触手(ケーブル)が鞭のようにしなり、ソウジたちに襲いかかる。

「社長、来ます!」

「下がってろ! 足引っ掛けて転ぶぞ!」

 ソウジは腰のベルトに手を伸ばした。
 今回取り出したのは、剣でも銃でもない。
 腰袋いっぱいに詰まった、白いプラスチックの「帯」だ。

 【業務用・高耐久結束バンド(インシュロック)】。

「いいか、よく見とけ! 配線整理(ケーブルマネジメント)ってのはなぁ……!」

 ソウジは襲い来る触手の軌道を見切り、紙一重で回避する。
 そして、すれ違いざまに手刀――ではなく、結束バンドを走らせた。

「まずは『分類』だ! 電源コードはこっち!」

 パチンッ!

 神速の手つきで、暴れる触手の一部が束ねられ、締め上げられた。

『ギッ!?(動けなィ!?)』

「次は通信ケーブル! お前らはこっち!」

 パチンッ! パチンッ!

 ソウジは舞うように動き回りながら、無秩序に暴れる触手を種類ごとに掴み取り、結束バンドで次々と拘束していく。
 攻撃を避けているのではない。
 「片付けて」いるのだ。

「配線はなぁ……『美しさ』が命なんだよッ!」

 彼の動きには迷いがない。
 絡まり合った結び目を指先で解きほぐし、余分な長さを【スパイラルチューブ】で巻き取り、壁沿いに綺麗に這わせる。
 それは戦闘というより、一種の芸術的な儀式だった。

「うそ……あのカオスな触手が、どんどん……」

「綺麗に……整列していきますわ……!」

 剣崎とセシリアが呆然と見守る中、巨大な怪物の体積はみるみる縮小していく。
 無駄に広がっていたケーブルが束ねられ、整然としたラインへと変換されていくのだ。

『ギャ……ガ……(スッキリ……シタ……)』

 数分後。
 そこには、床に美しく直角に配線され、等間隔に結束バンドで固定された「極太のケーブルの束」だけが残っていた。
 怪物は消滅したのではない。
 「整理整頓」されたのだ。

「よし。仕上げだ」

 ソウジはニッパーを取り出し、結束バンドの余った部分を、パチン、パチンと切り落とした。
 その音は、戦いを終えた侍が刀を納める音のように、静寂な室内に響き渡った。

「美しい……」

「完璧な……直線美です」

 もはや誰も、そこに怪物がいたことなど思い出せない。
 あるのは、プロの仕事によって構築された、芸術的なサーバー配線のみ。

 その中央で、戒めを解かれた女神シヴァーが、ポスンと床に座り込んでいた。

『た、助かったぁ……。ありがとう、伝説の掃除屋さん……』

 彼女は涙目でソウジを見上げる。
 しかし、その顔はまだ真っ赤で、肩で息をしている。

「……ん?」

 ソウジはゴーグルを調整し、部屋の奥にある巨大なファンの音に耳を澄ませた。
 配線は片付いた。
 だが、部屋の熱気はまだ収まっていない。

「……なるほど。配線が片付いて、やっと『本当の原因』が見えてきたな」

 彼が指差したのは、女神の背後で唸りを上げている、巨大なメインCPUクーラーの吸気口だった。

(続く)

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