カジノでの勝利から一夜が明けた。
私たちはスラム街の奥深く、誰も寄り付かない廃倉庫の一室を借りていた。
カビと埃の臭いがする狭い部屋。
だが、ここが私たちの「本社」だ。
「……ふぅ。とりあえず、通信環境の構築は完了だよ」
アリスが煤けた机の上に愛用の石板(スレート)を置き、天井に向けてアンテナ代わりの魔導線を張り巡らせた。
カジノで稼いだ金の一部を使い、早朝の闇市場で機材を調達したのだ。
「さすがですね、CTO。聖教国の監視網(ファイアウォール)は抜けられそうですか?」
「余裕。ここのセキュリティ、見た目は派手だけど中身は穴だらけだもん。……ただ、魔王城との直接通話は無理かな。向こうの回線が死んでる」
「……やはり、そうですか」
私は眉をひそめた。
資産凍結の影響で、魔王城の通信インフラもダウンしているはずだ。
だが、アリスの表情が曇った理由は、それだけではなかった。
「クリフ、これ見て。……城のサーバーログだけは引っこ抜けたんだけど」
彼女が石板をスワイプし、空中に赤いログウィンドウを投影する。
[System Warning] 電力供給異常
―――――――――――――――――――
Main Power: OFF (Unit: Alvin – Disconnected)
Backup Power: ON (Battery Mode)
▼ バッテリー総容量: 8日(192時間)
▼ 経過時間: 12時間 30分
▼ 残存稼働時間予測
残り [ 07日 11時間 30分 ]
―――――――――――――――――――
「……なっ!?」
いつも冷静な私が、思わず声を上げた。
「バックアップ電源!? まさか、アルヴィンが逃げ出したのか……!」
あのシステムは、炉心であるアルヴィンが物理的に切断されない限り落ちないはずだ。
拘束具が外れ、彼がいなくなった?
自力で脱出できるような状態ではなかったはずだが……誰かが手引きしたのか?
「うん。昨夜、私の組んでた自動プログラムが予備電源に切り替えたみたい。……このままだと、あと一週間で城の機能が全停止(ブラックアウト)する」
アリスが唇を噛む。
全停止。それは魔王城のセキュリティ、ライフライン、そして維持機能の崩壊を意味する。
あと一週間(7日)。
それが、株式会社デーモン・ホールディングスが物理的に消滅するまでのタイムリミットだ。
「7日……。あまりにも短いですね」
私は眼鏡を押し上げ、冷たい汗を拭った。
資産凍結を解除するだけでは足りない。
7日以内に聖教国を経済的に殺し、アルヴィンを確保し、電源を復旧させなければならない。
「……やるしかありませんね。スケジュールを前倒ししましょう」
私は廃材で作った看板を、ガントに渡した。
「ガント、これを表に掛けてきてください」
「おう、任せな! ……って、なんだこれ? 『デーモン・クレジット』? 何屋だ?」
看板には、下手な手書き文字でこう書かれていた。
【聖教国債・手形・売掛金 即日現金化】
~あなたの「信用」を聖貨に変えます~
株式会社デーモン・クレジット
「金貸しか? でもよぉ大将、今の俺たちの全財産は6,400万聖貨くらいだぜ? 貸せる金なんてたかが知れてるだろ」
「いいえ、ガント。金を貸すのではありません」
私はニヤリと笑った。
「『買う』のですよ。……暴落寸前の、腐った債権をね」
◇
開店と同時に、一人の男が飛び込んできた。
身なりの良い商人だが、その顔は焦燥に満ちている。
「こ、ここは手形を現金化してくれるって本当か!?」
「いらっしゃいませ。当社の審査基準は世界一緩いですよ」
私はスーツの汚れを叩き、営業スマイルで迎えた。
「た、助けてくれ! 教会からの支払いが、また『聖貨手形(セイント・ビル)』だったんだ!」
商人がカウンターに叩きつけたのは、煌びやかな装飾が施された証書。
額面には「900万聖貨」とある。
中小企業にとっては命綱となる金額だ。
「ほほう。900万聖貨の工事代金ですか。……ですが、支払期日は『半年後』ですね」
「そうなんだよ! キョウヤ様が『今は現金がないからこれで待て』って……! あまつさえ、一部の支払いは『魔導データ』? とかいうわけのわからないモノで支払われたんだ!」
「魔導データ、ですか」
「ああ! 『魔導聖遺物』とかいうやつだ! 『持っているだけで徳が積める世界に一つだけのデータ』だとか言われたが、そんなものじゃパンも買えないし、従業員の給料も払えないんだよ! このままじゃ黒字倒産しちまう!」
「……なるほど」
私は眼鏡の奥で目を細めた。
実体のないデータに「徳」という曖昧な価値を付与して流通させる……。
典型的な「信用詐欺(コンフィデンス・マン)」の手口だ。
価値のない石ころを「宝石」と言い張って売りつけるのと変わらない。キョウヤの奴、宗教という権威を使って、経済学的にありえない錬金術を行っている。
だが、現場の実体経済(下請け業者)は、聖貨(現金)が回らずに悲鳴を上げている。
手元には「900万聖貨もらえる権利」と「徳(魔導聖遺物)」があるのに、今日の飯を食う「100聖貨」がない。
典型的なキャッシュフローの悪化(資金ショート)だ。
「お困りのようですね。……では、当社がその手形を買い取りましょう」
「ほ、本当か!?」
「ええ。ただし――買取価格は額面の5%とさせていただきます」
「……は?」
商人が絶句した。
耳を疑うような数字だ。
「ご、5%……!? 95%引きだぞ!? 900万の手形が、たったの45万になるって言うのか!?」
「当たり前でしょう。その手形は半年後には『紙屑』になっている可能性が高い。私は貴方の持っているゴミを有料で引き取ってあげると言っているのですよ」
私は冷徹に言い放ち、眼鏡の位置を直した。
「聖教国の経済は破綻寸前です。半年後に教会がまともに現金を払える保証などどこにもない。……いわゆる『ジャンク債(ハイ・イールド債)』です」
「そ、そんな……暴利だ! 悪魔だ!」
「嫌なら半年待てばいい。あるいは、そのありがたい魔導聖遺物とやらを従業員に配りますか? ……その間に、あなたの会社が潰れなければの話ですが」
商人は苦渋の表情で唸り、歯を食いしばった。
半年後の900万か、今日の45万か。
会社が今日潰れれば、半年後の金など何の意味もない。
「……わかった。頼む、背に腹は代えられない……!」
「商談成立です」
私は金庫から、現金を抜き出した。
45万聖貨。札束ですらない、薄い封筒だ。
だが商人は、それを命綱のように抱きしめ、涙を流して感謝した。
「ありがとう……これで、従業員に飯を食わせてやれる……!」
商人が去った後、アリスが呆れたように言った。
「うわぁ、クリフってば鬼だね。900万を45万で買い叩くなんて」
「何を言っているのですか、アリス。これは『適正価格』です」
私は手に入れた900万聖貨の手形を、ゴミのように無造作に放り投げた。
「倒産リスクのある債権など、本来は1聖貨の価値もありません。……ですが、これだけ安く仕入れれば話は別です」
手持ち資金は約6,400万。
一件あたり45万程度で買い叩けるなら――あと100社以上の債権を買い集められる。
「この手形は、聖教国(キョウヤ)に対する『債権(借金の取り立て権)』です。私はこのはした金で、1,000万近い『聖教国を攻撃する権利』を手に入れたのです」
これがディストレス投資(破綻債権投資)。
死肉を食らうハイエナの戦法だ。
「ガント、次の客を入れてください。……この調子で、街中の腐った債権を全て買い占めますよ」
「へっ、よくわからねぇが、要するに『ゴミ同然の値段で、国の借金を買い占める』ってことだな? 悪党だねぇ、大将」
ガントがニヤリと笑い、次の客を招き入れた。
オフィスの外には、噂を聞きつけた商人たちの長蛇の列が出来始めていた。
聖教国の経済は、もはや末期症状だ。
その腐臭を嗅ぎつけたハイエナ(私)が、骨の髄までしゃぶり尽くす。
残り時間、あと7日と11時間。
反撃の準備は整った。
(続く)
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