聖都の中央銀行本店前。
そこは、この世の地獄と化していた。
「開けろ! 俺の金を返せ!」
「子供の教育費なんだ! 頼む、引き出させてくれ!」
数万人の群衆が、銀行の重厚なシャッターに押し寄せ、拳を叩きつけている。
昨夜のリーク映像――「金庫は空っぽ」という事実は、彼らの信仰心を一瞬で粉砕した。
どんなに熱心な信者でも、明日のパンが買えなくなる恐怖には勝てない。
ガシャーン!!
誰かが投げた石が、銀行の窓ガラスを粉砕した。
それを合図に、怒号は暴動へと変わった。
「泥棒! 詐欺師! キョウヤを出せ!」
「魔導聖遺物なんていらねぇ! 現金をよこせ!」
衛兵たちが槍を構えて制止しようとするが、怒れる市民の波に飲み込まれていく。
聖教国が誇る「鉄壁の信仰」は、経済不安という現実の前で、あまりにも脆く崩れ去った。
◇
「くそっ、どいつもこいつも! 金、金、金ってうるせぇんだよ!」
大聖堂の執務室。
キョウヤは窓から見える暴徒の群れを見下ろし、グラスを壁に投げつけた。
「キョウヤ様、もう限界です! 支店から現金の輸送要請が殺到していますが、そもそも送る現ナマがありません!」
部下の神官が悲鳴を上げる。
キョウヤは血走った目で怒鳴り返した。
「うるせぇ! 預金封鎖(キャピタル・コントロール)だ!
『システムの緊急メンテナンス』ってことにして、全口座を凍結しろ! 1聖貨たりとも外に出すな!」
「で、ですが……そんなことをすれば、さらに暴動が……」
「知ったことか! 俺たちが逃げる時間を稼げればそれでいいんだよ!」
キョウヤは金庫を開け、自分専用の隠し資産(高純度マナ石)を鞄に詰め込み始めた。
彼の計画では、バブルの頂点で売り抜けて高飛びするはずだった。
だが、誰か――あのリークを行ったハッカーに、足元をすくわれた。
「誰だ……? 俺の邪魔をする奴は……。
クリフか? いや、あいつは資産凍結で身動きが取れないはずだ……!」
その時、彼の魔導端末が、海外の証券口座からの「警告(アラート)」を告げた。
聖教国債の大暴落により、彼が保有していた資産価値が消滅したのだ。
◇
同時刻。廃倉庫のオフィス。
外からは暴動の喧騒が聞こえてくるが、室内は静寂に包まれていた。
「……決まったね」
アリスが石版(スレート)のエンターキーを叩いた。
画面に表示された損益グラフは、美しい放物線を描いて「利益確定」の文字を表示している。
「大将。……これ、桁が合ってるのか?」
ガントが画面を覗き込み、目を白黒させた。
そこに表示されているのは、ガントが一生かかっても数え切れないほどのゼロが並ぶ数字だ。
「ええ、合っていますよ」
私はコーヒーを啜り、冷静に頷いた。
「聖教国債の価格は、昨日のピーク時から99%下落しました。
紙屑同然です」
「いや、ちょっと待て。俺たちが元手に用意したのは、あの手形を換金した13億マナだけだろ?
それがどう計算したら、こんな天文学的な数字(3,000億)になるんだ?」
ガントの疑問はもっともだ。
普通に考えれば、13億を賭けて勝っても、利益は知れている。
「ガント、『レバレッジ(てこの原理)』ですよ」
私は指を立てて解説した。
「バブル絶頂期、聖教国債は『トリプルA(絶対安全)』と評価されていました。
キョウヤが不正な買い支えを行い、価格変動(ボラティリティ)を無理やりゼロに抑え込んでいたからです」
「……それがどうした?」
「銀行の魔導知能システムは馬鹿正直ですからね。
『この資産は絶対に値下がりしない』と誤認し……私に対して、230倍という異常な倍率での信用取引を許可してしまったのです」
「に、230倍だぁ!? 正気か!?
でもよぉ大将、そんな大量の国債、誰が買ったんだ? 普通なら売り注文だけで値崩れしちまうだろ」
ガントの指摘は鋭い。
だが、私は皮肉な笑みを浮かべた。
「キョウヤですよ。
彼自身の買い支え(PKO)が、私の売り浴びせた3,000億分の爆弾を、全て飲み込んでくれたのです」
「ぶっ! あいつ、自分で自分の借金を背負い込んだのか!」
「ええ。彼の完璧な隠蔽工作が、逆に自分の首を絞める結果になったわけです」
私は画面上の数字を指差した。
手元に残った確定利益。
「その総額、約3,000億マナ」
3,000億。
それは、株式会社デーモン・ホールディングスの年間売上の6割に相当し、小国の国家予算を遥かに凌駕する金額だ。
「これで我々は、対等以上の立場(リソース)を手に入れました。
キョウヤは今頃、紙屑になった聖貨を抱えて震えているでしょう」
経済戦争における勝利とは、相手のライフポイントをゼロにすることではない。
相手の「未来(資産)」をゼロにし、こちらの「未来」を無限にすることだ。
「……さて。資金は確保しました」
私は立ち上がり、窓の外を見た。
暴動は収まる気配がない。
だがその時、アリスが鋭い声を上げた。
「クリフ、見て! 大聖堂の方、なんか変な光が出てる!」
「……む?」
見ると、大聖堂の尖塔から、天を突くような強烈な「黄金の柱」が立ち昇っていた。
それは、アルヴィンが放っていた光よりも禍々しく、そして巨大なエネルギーだ。
『……ちッ、資産価値ゼロ? 俺の積み上げた数字が全部消えただと?』
街中に、キョウヤの呟きが響き渡った。
それは、追い詰められた男の、最後の狂気のスイッチが入る音だった。
『……なら、価値の定義(ルール)ごと書き換えてやる』
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
大聖堂が震え、黄金の光がさらに輝きを増す。
『愚かなる子羊たちよ、静まりなさい……』
キョウヤの声が、荘厳な響きを帯びて世界を圧する。
暴徒と化していた市民たちが、ピタリと動きを止めた。
『神は、あなた達を見捨ててはいません。
金などという俗世の欲に惑わされてはなりません』
スクリーンの映像が切り替わる。
そこに映っていたのは、もはや人間としての原型を留めないほどに発光し、空中に浮遊させられているアルヴィンと――その光を背に受けて、神々しく微笑むキョウヤの姿だった。
『今宵、奇跡をお見せしましょう。
金という概念そのものが、悪魔の作った幻想なのです。
今この瞬間、私は全ての借金を「免除(徳政令)」し、新たな世界へと皆さんを導きます……』
キョウヤの目が、狂気でギラギラと輝いている。
彼は経済で負けたからこそ、経済というルールそのものを破壊(ハードフォーク)し、自分が神になる新世界を作ろうとしているのだ。
「……なるほど。最後まで足掻きますか」
私は眼鏡の位置を直した。
相手が「神」を名乗るなら、こちらは「悪魔(監査役)」として引導を渡すまで。
「アリス、ガント。最終工程(フィナーレ)です。
あの輝く舞台へ……我々も『出演』しに行きますよ」
残り時間、あと6日と20時間。
決着の時は来た。
(続く)
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