聖都の夜空が、真昼のように輝いていた。
大聖堂を中心として、半径数キロメートルに及ぶ巨大な魔法陣が展開されている。
その光源は、大聖堂の尖塔に張り付けられた一人の青年――アルヴィンだ。
「ア……ァァ……ッ!」
彼の悲鳴は、増幅された賛美歌によって巧みにかき消されている。
魔導車椅子から伸びた無数のチューブが、彼の生命力(マナ)を強制的に吸い上げ、純粋な光エネルギーへと変換して空へ放射していた。
広場を埋め尽くす数万人の暴徒たち。
彼らは銀行を襲う手を止め、呆然と空を見上げていた。
『見よ! これぞ神の威光!』
キョウヤがバルコニーで両手を広げる。
背後からのスポットライト(アルヴィンの命の輝き)を浴びた彼は、まさに救世主そのものに見えた。
『諸君! 悲しむことはない!
銀行に金がない? 紙幣が紙屑になった?
……それがどうしたというのだ!』
キョウヤの声が、魔導拡声器を通じて朗々と響き渡る。
『そもそも「金(カネ)」とは何だ? 悪魔が人間を支配するために作った、薄汚い鎖ではないか!
今日、この国は生まれ変わる!
私は宣言する。……全ての借金を帳消しにする「徳政令(ジュビリー)」を!』
オオオオオォォォッ!!
群衆がどよめいた。
借金まみれの者、生活に困窮した者にとって、その言葉は甘美な麻薬だ。
『これより、聖教国は「貨幣経済」を廃止する!
必要なものは神(私)が与えよう! 労働も、納税も、返済も必要ない!
ただ私を信じ、祈りを捧げる者だけが、永遠の楽園へ入れるのだ!』
極論だ。
経済破綻の責任を放棄し、国家システムそのものをカルト宗教化することで延命を図る。
だが、絶望した民衆には、その狂気が「救い」に見えてしまう。
「キョウヤ様……! キョウヤ様バンザイ!」
「金なんていらない! 神の国だ!」
暴徒の手から石が落ち、代わりに祈りの手が組まれる。
集団催眠(マス・ヒステリー)。
キョウヤの「カリスマ」と、アルヴィンの命を削った演出が、理性を完全に麻痺させていく。
キョウヤは口元を歪めた。
(勝った……! 経済で負けても、ルールごとひっくり返せば俺の勝ちだ!
このまま信者を洗脳して狂信兵に仕立て上げれば、クリフごときが何を言ってこようが……)
その時だった。
ズドオォォォォォン!!
大聖堂の巨大な正門が、外側からの「何か」によって粉砕された。
『なっ!?』
キョウヤが目を見開く。
舞い上がる土煙。静まり返る群衆。
その煙の中から、悠然と歩いてくる三つの影があった。
「やれやれ。……随分と派手な『解散パーティー』ですね」
先頭を歩くのは、黒いスーツに眼鏡の男――クリフ。
その右には、巨大なマンホール盾を担いだ巨漢のガント。
左には、ノート型魔導端末を操作する少女、アリス。
「き、貴様ら……! どうやってここへ!?
衛兵! 親衛隊! 何をしている、やつらを殺せ!」
キョウヤが叫ぶ。
大聖堂を守る武装した親衛隊(エリート騎士)たちが、一斉にクリフたちへ槍を向けて殺到した。
「死ねぇ! 悪魔の手先め!」
「神聖なる儀式の邪魔をするな!」
数十人の騎士が迫る。
だが、クリフは眉一つ動かさない。
彼は懐から武器を取り出す代わりに――アリスに合図を送った。
「アリス。彼らに『現実』を見せてあげなさい」
「りょーかい! ……ハッキング、完了!」
アリスがエンターキーを叩く。 瞬間、キョウヤの背後にあった巨大スクリーンが切り替わった。
『神の奇跡』の映像が消え、代わりに表示されたのは――無機質な「銀行口座の残高画面」だ。 そこには、騎士団員全員の名前と、見慣れない銀行名が記されていた。
【口座名義:聖教国騎士団員(各個人名)】
【管理銀行:デーモン銀行(魔王領本店)】
【口座残高:100,000,000 マナ(入金済み)】
【ステータス:凍結中(アクセスキー入力で即時解除)】
「い、一億マナ……!?」 「『デーモン銀行』だと? 俺、あっちに口座なんて持ってないぞ!?」
動揺する騎士たちに、クリフは眼鏡を光らせて告げた。
「現在、聖教国の銀行システムは死んでいます。 SWIFTからも遮断され、国内の預金を引き出すことも、海外へ持ち出すことも不可能です」
クリフは手元の魔導端末を掲げた。
「ですので、私が皆さんのために『海外の新規口座』を開設し、そこに1億マナを入金しておきました」
「な……ッ!?」
「金は既にそこにあります。安全な海外の銀行に。
この国の経済がどうなろうと、その資産は守られます」
それは、沈みゆく泥船(聖教国)に取り残された彼らにとって、唯一の救命ボートだった。
「条件は簡単。……今すぐ『その剣を置く』こと。
それだけで、この口座の『アクセスキー(暗証番号)』を送信します」
「う、嘘だ! 騙されるな!」
「でも、こっちの銀行はもうダメだ……海外に資産を持てるなら……!」
動揺する騎士たち。
死んだ国の紙屑か、安全な国の1億マナか。
答えは明白だった。
カラン……。
一人の騎士が剣を落とした。 それを合図に、カラン、カランと、武器を捨てる音が連鎖する。
「な……ッ!?」
キョウヤが絶句する。
「ば、馬鹿な……! 金など無意味だと言っただろう!
神を裏切るのか! 貴様らァ!!」
「神様はパンをくれませんが、弊社はボーナスを出しますので」
クリフは冷徹に言い放ち、キョウヤを見上げた。
「こんばんは、キョウヤ氏。
株式会社デーモン・ホールディングス、最高財務責任者のクリフです。
……さて、債権回収の時間ですよ」
背後には、3,000億マナという圧倒的な財力を背負った「悪魔」が立っていた。
だが、キョウヤの顔から驚愕が消え、代わりに粘着質な笑みが浮かんだ。
「……ククッ。そうか。あくまで『金』で来るか。
ふざけるな……たかが現地人(NPC)風情が、この俺を追い詰めたつもりか?」
キョウヤの雰囲気が変わった。
粘着質な笑みが消え、代わりに底知れない傲慢さが顔を出す。
「俺は選ばれたんだ! 別の世界からこのクソみたいな世界に『転生』し、女神からチートを貰って、お前らを支配するために来た主人公なんだよ!」
キョウヤが叫ぶ。
その言葉に、アリスやガントは「何言ってんだこいつ?」と首を傾げた。
だが、クリフだけは冷静に眼鏡を押し上げ、腑に落ちた顔をした。
「……なるほど。『転生者』でしたか」
クリフの中で、全てのパズルが組み上がった。
この世界の歴史にも、文献にも存在しない「アイドル」という概念。
「魔導聖遺物」や「ネズミ講」といった、悪意に満ちた高度な集金システム。
それらは全て、この世界の発想ではなかったのだ。
「道理で、我々の常識とかけ離れた知識を持っているわけですね。
あなたは狂人ではなく、知識という武器を持ち込んだ『異邦人(インベーダー)』だった」
「はんっ、理解が早くて助かるぜ!
なら、これも分かるか? これは転生の際に女神から授かった、お前らごときには絶対に対抗できない『特権(チート)』だ!」
キョウヤが懐から、怪しく輝く「ピンク色の香水瓶」を取り出した。
蓋を開けた瞬間、甘ったるく、脳髄を直接刺激するようなピンク色の霧が噴き出す。
「ひれ伏せ! 『|女神の愛液(アフロディーテ・パルファム)』!!」
経済戦争は終わった。
正体を現した転生者と、それを迎え撃つ現地人(プロフェッショナル)たち。
ここからは、泥沼の「洗脳・魅了バトル」の始まりだ。
(続く)
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