第42話 敵対的買収(テイクオーバー)失敗!? ~女神のフェロモン vs 漢の汗~

「ひれ伏せ! 『|女神の愛液(アフロディーテ・パルファム)』!!」

 キョウヤが掲げた香水瓶から、ピンク色の霧が爆発的に広がった。
 それは物理的な煙ではない。魔力ですらない。
 この世界の法則を無視して、生物の本能(リビドー)を直接書き換える「強制プログラム」だ。

 プワァァァァ……!

 甘い、腐るほどに甘い香りが、大聖堂前の広場を包み込む。

「……う、うぅ……?」

 最初に反応したのは、広場に取り残されていた女性信者たちだった。
 彼女たちの瞳から理性の光が消え、代わりにハートマークのような不気味な輝きが宿る。

「あぁ……なんて素敵な香り……」
「身体が……熱い……」

 彼女たちの視線が、一点に集中する。
 香水瓶を持つキョウヤへ――ではない。
 霧の中心で、無防備に立っている「男性」へと向けられた。

「ククク、この香水は『自分以外の異性』を無差別に発情させ、襲わせるアイテムだ!
 さあ行け! 肉の壁でそいつを圧殺しろ!!」

 キョウヤが指差したのは、クリフだ。

「……ッ!? 総員、防御陣形!」

 クリフが叫ぶが、遅い。
 武装した騎士やガントたち男性陣には効果がないが、その場にいた数百人の「女性」たちが、一斉にクリフへと殺到したのだ。

「クリフ様ぁぁ~♡」
「眼鏡……素敵……ハァハァ……」
「私と契約してくださいましぃぃ!」

 シスター、貴族の令嬢、果ては近所のおばちゃんまで。
 あらゆる年齢層の女性が、ゾンビ映画さながらの勢いで押し寄せる。

「な、なんですこれは!? 離れてください! 私は……うわっ!」

 ドンッ!
 冷静沈着なCFOが、人の波に飲まれて押し倒された。

「きゃあ! クリフの匂い、いい匂い!」
「ネクタイいただきぃ!」

 四方八方から伸びる手、手、手。
 クリフの完璧だったスーツが乱され、眼鏡がズレる。

「や、やめてください! これはセクシャル・ハラスメントに該当します!
 労働基準法に基づき……ぐっ、重い……!」

 クリフの顔が真っ赤になる。
 彼は「数字」と「論理」には滅法強いが、「女性(特に物理的な接触)」に対する免疫が皆無だった。
 計算外の状況にフリーズし、ただただ蹂躙されるだけの無力な存在と化してしまったのだ。

「あはは! ざまぁみろ! 金で女は買えても、本能は買えねぇんだよ!」

 キョウヤが高笑いする。
 さらに悪いことに――。

「……あれ? なんかクリフ……美味しそう……♡」

 隣にいたアリスまでもが、とろんとした目でクリフを見つめ始めた。
 彼女もまた女性。チートアイテムの影響を受けてしまったのだ。

「ア、アリス!? 正気に戻りなさい! 君は部下で……うわっ、噛まないで!」

「えへへ、クリフぅ……データちょーだい……物理的に……」

 アリスがクリフの腕にしがみつき、甘噛みし始める。
 クリフは完全にパニック状態だ。
 このままでは圧死か、あるいは社会的に死ぬか。

「大将! くそっ、どきやがれこのメス猫ども!」

 ガントがマンホール盾で割って入ろうとするが、相手は一般市民の女性たちだ。
 力任せに殴り飛ばすわけにもいかず、彼もまた身動きが取れない。

「無駄だ無駄だぁ! 俺のハーレム要員になれなかった残りカスどもだ、好きに使っていいぞ!」

 キョウヤが勝ち誇る。
 だが、その時。

「……うるせぇな、てめぇ」

 地響きのような低い声が、戦場の空気を震わせた。
 女性たちの悲鳴ではない。
 男の、それも極限まで腹を据えかねた漢(おとこ)の声だ。

「ガ、ガント……?」

 もみくちゃにされながら、クリフが目を見開く。
 ガントが、ゆっくりとマンホール盾を地面に突き刺した。
 そして、己の上着(タンクトップ)を一気に引き裂いた。

 ビリィッ!!

 露わになったのは、歴戦の傷跡が刻まれた、鋼鉄のような筋肉の鎧。
 そして、そこから立ち昇る湯気のような熱気。

「いいか、てめぇら! 大将に触っていいのはなぁ……!」

 ガントが大きく息を吸い込み、腹の底から咆えた。

「請求書と決裁印だけなんだよォォォッ!!」

 ドォォォォン!!

 ガントの全身から、物理的な衝撃波となって「強烈な男の匂い(フェロモン)」が噴出した。
 それは、汗と鉄と、安酒と硝煙が混じり合った、むせ返るような「雄(オス)」の香り。

 プワァァァッ!

 その強烈な刺激臭が、ピンク色の甘い霧を一瞬で中和し、吹き飛ばした。

「ぐはっ!? く、臭っ!?」
「なにこれ……目が、目がぁぁ!」

 クリフに群がっていた女性たちが、あまりの刺激に鼻をつまんで飛び退いた。

 アリスも「うぇっ、くっさ! ……でも助かった。ガントの汗に含まれるアンモニア臭が、香水の神経伝達物質を科学的に中和したみたい……!」と正気に戻り、クリフから離れる。

「な、なんだと……!? 俺の女神の香水を、ただの体臭で上書きしただと!?」

 キョウヤが驚愕する。
 ガントはニヤリと笑い、筋肉を誇示するポーズ(サイドチェスト)を取った。

「へっ、あいにくだったな。
 俺のフェロモンはなぁ……『現場仕事(ブルーカラー)の香り』だ!
 てめぇみたいなナヨついた香水なんざ、俺の汗ひとつで十分なんだよ!」

 論理的根拠は不明だが、とにかく「凄まじい男臭さ」が「魔法的な魅了」を物理的に打ち消したのだ。

「げほっ、げほっ……! 助かりました、ガント」

 解放されたクリフが、乱れた服を直しながら立ち上がる。
 その顔はまだ少し赤いものの、眼鏡の奥の瞳には、いつもの冷徹な光が戻っていた。

「……ですが、減給です。臭すぎます」

「へっ、命の恩人になんて言い草だ!」

 ガントが豪快に笑う。
 形勢逆転。
 クリフは眼鏡の位置を直し、キョウヤを見据えた。

「さて。お遊び(茶番)は終わりです。
 女性を使って私を社会的に抹殺しようとした罪……高くつきますよ」

 キョウヤが後ずさる。
 金も通じない。チートも破られた。
 残された手段は、もはや「暴力」しかない。

「く、くそォォォッ! なら力尽くで殺してやる!
 アルヴィン! 最大出力だ! 俺に力をよこせぇぇ!」

 キョウヤが魔導車椅子の方へ手を伸ばす。
 最後の肉弾戦。
 だが、その背後には――まだ戦える「もう一人の聖女」が控えていた。

(続く)

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