「ひれ伏せ! 『|女神の愛液(アフロディーテ・パルファム)』!!」
キョウヤが掲げた香水瓶から、ピンク色の霧が爆発的に広がった。
それは物理的な煙ではない。魔力ですらない。
この世界の法則を無視して、生物の本能(リビドー)を直接書き換える「強制プログラム」だ。
プワァァァァ……!
甘い、腐るほどに甘い香りが、大聖堂前の広場を包み込む。
「……う、うぅ……?」
最初に反応したのは、広場に取り残されていた女性信者たちだった。
彼女たちの瞳から理性の光が消え、代わりにハートマークのような不気味な輝きが宿る。
「あぁ……なんて素敵な香り……」
「身体が……熱い……」
彼女たちの視線が、一点に集中する。
香水瓶を持つキョウヤへ――ではない。
霧の中心で、無防備に立っている「男性」へと向けられた。
「ククク、この香水は『自分以外の異性』を無差別に発情させ、襲わせるアイテムだ!
さあ行け! 肉の壁でそいつを圧殺しろ!!」
キョウヤが指差したのは、クリフだ。
「……ッ!? 総員、防御陣形!」
クリフが叫ぶが、遅い。
武装した騎士やガントたち男性陣には効果がないが、その場にいた数百人の「女性」たちが、一斉にクリフへと殺到したのだ。
「クリフ様ぁぁ~♡」
「眼鏡……素敵……ハァハァ……」
「私と契約してくださいましぃぃ!」
シスター、貴族の令嬢、果ては近所のおばちゃんまで。
あらゆる年齢層の女性が、ゾンビ映画さながらの勢いで押し寄せる。
「な、なんですこれは!? 離れてください! 私は……うわっ!」
ドンッ!
冷静沈着なCFOが、人の波に飲まれて押し倒された。
「きゃあ! クリフの匂い、いい匂い!」
「ネクタイいただきぃ!」
四方八方から伸びる手、手、手。
クリフの完璧だったスーツが乱され、眼鏡がズレる。
「や、やめてください! これはセクシャル・ハラスメントに該当します!
労働基準法に基づき……ぐっ、重い……!」
クリフの顔が真っ赤になる。
彼は「数字」と「論理」には滅法強いが、「女性(特に物理的な接触)」に対する免疫が皆無だった。
計算外の状況にフリーズし、ただただ蹂躙されるだけの無力な存在と化してしまったのだ。
「あはは! ざまぁみろ! 金で女は買えても、本能は買えねぇんだよ!」
キョウヤが高笑いする。
さらに悪いことに――。
「……あれ? なんかクリフ……美味しそう……♡」
隣にいたアリスまでもが、とろんとした目でクリフを見つめ始めた。
彼女もまた女性。チートアイテムの影響を受けてしまったのだ。
「ア、アリス!? 正気に戻りなさい! 君は部下で……うわっ、噛まないで!」
「えへへ、クリフぅ……データちょーだい……物理的に……」
アリスがクリフの腕にしがみつき、甘噛みし始める。
クリフは完全にパニック状態だ。
このままでは圧死か、あるいは社会的に死ぬか。
「大将! くそっ、どきやがれこのメス猫ども!」
ガントがマンホール盾で割って入ろうとするが、相手は一般市民の女性たちだ。
力任せに殴り飛ばすわけにもいかず、彼もまた身動きが取れない。
「無駄だ無駄だぁ! 俺のハーレム要員になれなかった残りカスどもだ、好きに使っていいぞ!」
キョウヤが勝ち誇る。
だが、その時。
「……うるせぇな、てめぇ」
地響きのような低い声が、戦場の空気を震わせた。
女性たちの悲鳴ではない。
男の、それも極限まで腹を据えかねた漢(おとこ)の声だ。
「ガ、ガント……?」
もみくちゃにされながら、クリフが目を見開く。
ガントが、ゆっくりとマンホール盾を地面に突き刺した。
そして、己の上着(タンクトップ)を一気に引き裂いた。
ビリィッ!!
露わになったのは、歴戦の傷跡が刻まれた、鋼鉄のような筋肉の鎧。
そして、そこから立ち昇る湯気のような熱気。
「いいか、てめぇら! 大将に触っていいのはなぁ……!」
ガントが大きく息を吸い込み、腹の底から咆えた。
「請求書と決裁印だけなんだよォォォッ!!」
ドォォォォン!!
ガントの全身から、物理的な衝撃波となって「強烈な男の匂い(フェロモン)」が噴出した。
それは、汗と鉄と、安酒と硝煙が混じり合った、むせ返るような「雄(オス)」の香り。
プワァァァッ!
その強烈な刺激臭が、ピンク色の甘い霧を一瞬で中和し、吹き飛ばした。
「ぐはっ!? く、臭っ!?」
「なにこれ……目が、目がぁぁ!」
クリフに群がっていた女性たちが、あまりの刺激に鼻をつまんで飛び退いた。
アリスも「うぇっ、くっさ! ……でも助かった。ガントの汗に含まれるアンモニア臭が、香水の神経伝達物質を科学的に中和したみたい……!」と正気に戻り、クリフから離れる。
「な、なんだと……!? 俺の女神の香水を、ただの体臭で上書きしただと!?」
キョウヤが驚愕する。
ガントはニヤリと笑い、筋肉を誇示するポーズ(サイドチェスト)を取った。
「へっ、あいにくだったな。
俺のフェロモンはなぁ……『現場仕事(ブルーカラー)の香り』だ!
てめぇみたいなナヨついた香水なんざ、俺の汗ひとつで十分なんだよ!」
論理的根拠は不明だが、とにかく「凄まじい男臭さ」が「魔法的な魅了」を物理的に打ち消したのだ。
「げほっ、げほっ……! 助かりました、ガント」
解放されたクリフが、乱れた服を直しながら立ち上がる。
その顔はまだ少し赤いものの、眼鏡の奥の瞳には、いつもの冷徹な光が戻っていた。
「……ですが、減給です。臭すぎます」
「へっ、命の恩人になんて言い草だ!」
ガントが豪快に笑う。
形勢逆転。
クリフは眼鏡の位置を直し、キョウヤを見据えた。
「さて。お遊び(茶番)は終わりです。
女性を使って私を社会的に抹殺しようとした罪……高くつきますよ」
キョウヤが後ずさる。
金も通じない。チートも破られた。
残された手段は、もはや「暴力」しかない。
「く、くそォォォッ! なら力尽くで殺してやる!
アルヴィン! 最大出力だ! 俺に力をよこせぇぇ!」
キョウヤが魔導車椅子の方へ手を伸ばす。
最後の肉弾戦。
だが、その背後には――まだ戦える「もう一人の聖女」が控えていた。
(続く)
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