第44話 帳簿の修正(ロールバック) ~魔法ではなく、実務的な「送信取消」~

 聖教国エリュシオン、大聖堂の地下深く。
 そこは、厳重なセキュリティゲートに守られた「中央銀行ホストルーム」だ。

 ひんやりとした冷気が漂う巨大な空間。
 壁一面に並ぶ魔導サーバーが、規則的な明滅を繰り返している。

「……ここが、この国の心臓部か」

 ガントが物珍しそうに周囲を見回す。
 その背中には、役目を終えた赤錆びたマンホール盾が背負われている。

「ええ。ここにあるメインサーバーが、聖教国の全ての決済、送金、そして資産データを管理しています」

 私は埃を払い、中央のコンソールデスクにノート型魔導端末を接続した。
 隣では、アリスが既に猛烈な勢いでキーボードを叩いている。

「アリス、状況は?」

「セキュリティはザルだね。キョウヤの奴、外側の演出ばっかり気にして、内部の守りはスカスカ。……侵入(ログイン)、成功!」

 タンッ!

 アリスがエンターキーを叩くと、空中に無数のウィンドウが展開された。
 表示されたのは、膨大な数字の羅列――この国の「裏帳簿」だ。

「うわ……真っ赤だね」

 アリスが呆れた声を出す。

「国庫の残高、ほぼゼロ。
 その代わり、タックスヘイブン(租税回避地)への巨額送金ログが山のようにあるよ」

 アリスが画面を指差す。
 そこには3,200億マナもの巨額資金が、海外のペーパーカンパニーへ向けて送金処理されているログが表示されていた。

 さらに、デーモンHDの5,000億マナも同様に「没収・海外送金」の処理がなされている。

「……終わったか。一足遅かったか」

 ガントが絶望的な声を上げる。送金が完了していれば、取り戻すのは不可能だ。

 だが、私は画面上のステータスバーを睨みつけ、眼鏡の位置を直した。

「いいえ、まだです。……アリス、その送金の『ステータス(処理状況)』を確認してください」

「え? あ、うん。……えっと、『Processing(処理中)』……?」

「やはり」

 私は口元を緩めた。

「国際送金は、ボタンを押せば瞬時に届くメールとは違います。
 複数の経由銀行と承認プロセスを通るため、着金まで通常2営業日(T+2)はかかる」

 私はガントに向き直った。

「ましてや、今は取り付け騒ぎとSWIFT排除の影響で、回線がパンクしています。
 キョウヤは送金指示を出しましたが、データはまだこのサーバーの『送信待ちキュー(送信トレイ)』に詰まっている状態です」

「そ、それってつまり……」

「ええ。まだ郵便ポストに投函される前、玄関に置いてある状態です」

 皮肉な話だ。キョウヤ自身が引き起こした金融パニックによる回線遅延が、結果として彼の逃走資金を足止めしていたのだ。

 私はアリスに指示を出した。

「アリス。難しいハッキングは必要ありません。
 管理者権限で、その送信待ちデータを『物理削除』しなさい」

「なーんだ、そういうこと! それなら簡単!」

 アリスがキーボードを叩く。
 魔法のような「時間の巻き戻し」ではない。
 ただの事務的な「送信キャンセル」だ。

 カチッ、カチッ、ターンッ!

【送金キュー:8,200件削除完了】
【処理ステータス:中止(Void)】

 その瞬間、画面上の「送金中」だった資金が、行き場を失って元の口座――すなわち国庫とデーモンHDの口座に「戻った」表示になった。

「……完了だよ。
 キョウヤが必死に打ち込んだ送金予約、全部ゴミ箱に捨ててやった」

 アリスが最後のエンターキーを叩くと、全てのウィンドウが閉じられ、一つのシンプルな残高画面だけが残った。

1. 【デーモンHD口座(凍結解除):500,000,000,000 マナ】
2. 【聖教国・国庫(回収分):320,000,000,000 マナ】

「完璧です、アリス」

 私は満足げに頷いた。
 これで、凍結されていた5,000億マナを取り戻した。

 そして、画面に残るもう一つの数字――3,200億マナ。
 これはキョウヤが国民から巻き上げ、私腹を肥やしていた「聖教国の富」そのものだ。

「へっ、すげぇ額だ……。なぁ大将、この3,200億も俺たちの懐に入れていいのか?
 泥棒の金を盗んでも罪にはならねぇだろ?」

 ガントが目を輝かせるが、私は静かに首を横に振った。

「いいえ、ガント。それをやれば我々もただの強盗です」

 私は眼鏡の位置を直し、手元の端末を操作した。

「ご安心を。市場に溢れていた『紙屑同然の国債』は、すでに余った小銭で全て買い占めておきました」

「は? 紙屑を買ってどうすんだよ?」

「これで、我が社は聖教国に対する『最大債権者(オーナー)』になったということです」

 私は画面上の国庫3,200億マナを指で囲った。

「この国は破産しました。借金を返せない債務者(国)の資産は、誰のものになると思いますか?」

「……あ! 金を貸してる奴のものか!」

「ご名答。
 私は最大債権者としての法的権利を行使し、この隠し財産3,200億マナを『管財人』として管理下に置きます」

 これぞ、合法的な国盗り。
 武力でも略奪でもなく、「債権」という鎖で国を縛り上げたのだ。

「名目は『復興支援』ですが、実質的には……『この国の財布の紐を握った』ということです」

 ガントが呆気に取られた顔をする。

「おいおい……それってつまり、実質的にこの国を乗っ取ったってことじゃねぇか!」

「人聞きの悪い。『M&A(友好的買収)』と言ってください」

 自社の資金5,000億マナ。
 海外口座にある空売り益3,000億マナ。
 そして管理下に置いた聖教国の予算3,200億マナ。
 合計、1兆1,200億マナ。

 この圧倒的な資本力があれば、聖教国を「魔王軍の優良子会社(経済植民地)」として作り変えることなど造作もない。

 私は立ち上がり、回収したデータを保存した魔導メモリをポケットに入れた。

「さあ、行きましょう。
 金の計算(BSの整理)は終わりました。
 次は……経営陣の刷新、すなわち『人』の処分(リストラ)の時間です」

 地下から地上へ。
 そこには、拘束された元経営者・キョウヤと、今後の身の振り方を待つアルヴィンたちが待っているはずだ。

 残り時間、あと6日と12時間。
 魔王城の電源が落ちる前に、全てを終わらせて帰還しなければならない。

(続く)

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