第46話:氷の上の純白ダンジョン

『──緊急速報です。南極大陸の中心部に、観測史上最大級となるS級ダンジョン【白き終焉】が出現しました。先行して内部調査に入ったアメリカおよびロシアのトップ探索者チームから、先ほど異常なSOSが届き……通信が途絶しました』

 オフィスのテレビから流れるキャスターの声は、微かに震えていた。
 画面には、真っ白な吹雪に包まれた南極大陸の衛星写真と、先行部隊が最後に送ってきたというノイズだらけの映像が繰り返し流されている。

『彼らの最後の報告によれば、「モンスターの攻撃ではない」「触れた装備が、みるみるうちに白く変色し、砂のように崩れ落ちていく」とのことです。専門家は、未知の致死性ウイルスか、物質を分解する新種の魔力汚染ではないかと──』

「ひぃぃぃっ! 装備が白くなって砂になる!? なんだその恐ろしい初見殺しギミックは!」

 人事部長の剣崎が、テレビの前で頭を抱えて悲鳴を上げている。
 つい先日、富士山の温水プール清掃契約を取ってきてホクホク顔だった彼だが、今回のニュースの異様さには完全に震え上がっていた。

「社長! これはヤバいです! 物理攻撃でも魔法でもなく、触れただけで崩壊するダンジョンなんて聞いたことがありません!」

「うるせぇな、朝からギャーギャーと」

 給湯室から出てきたソウジは、いつものグレーの作業着(ツナギ)姿のまま、淹れたてのコーヒーをすすった。

「南極だろ? そりゃ寒いんだから『霜』くらい降りるだろ」

「霜!? いやいや、鉄の剣や防具が真っ白になって崩れ落ちたんですよ!?」

「当たり前だ。極低温の環境に、結露した金属を持ち込めば急激に凍結して脆くなるだろ。」

 ソウジはマグカップをドンッと置き、首元のタオルを巻き直した。

「要するに、ただの『冷凍庫の霜取り』だ。電源落として、お湯でもぶっかけて溶かせばすぐ終わる。行くぞ」

「えええええ!? あの致死性の極寒ダンジョンに、そのいつものツナギで行くんですか!?」

 ***

 数時間後。
 空間魔法によるショートカットを駆使し、クリーン・ファンタジーの一行は南極大陸の中心部──S級ダンジョン【白き終焉】の入り口へと降り立った。

「ブルブルブル……ッ! さ、寒ッ……あれ?」

 極寒の地を覚悟して目を閉じていた剣崎だったが、拍子抜けして目を開けた。
 気温マイナス50度の暴風雪が吹き荒れる大地に立っているというのに、彼らはまったく寒さを感じていなかったのだ。

「ふふっ、私の『重力バリア』で、私たちの周囲だけ暖かい空気をギュッと圧縮して閉じ込めておきましたからね♪」

 秘書のコアちゃんが、ニコニコとピースサインをしている。
 彼女の非常識な空間魔法のおかげで、ソウジたちは「南極のど真ん中を、室温25度の快適なツナギ姿で歩く」という、世界中の探索者が見たら発狂しそうなチート行為を実現していた。

「ありがとな、コアちゃん。さて、霜取りの前に現場の状況確認だ」

 ソウジはトングをカチカチと鳴らしながら、ダンジョンの奥へと足を踏み入れた。
 しかし──。
 数歩進んだところで、ソウジの足がピタリと止まった。

「……おい」

「ひっ!? な、なんですか社長? やっぱり新種のウイルスが!?」

「違う。……これ、雪じゃねぇぞ」

 ソウジの声は、いつもの呆れ声ではなく、ひどく低い、不気味なものを見るようなトーンに変わっていた。

 剣崎たちも、周囲の景色を改めて見回し、息を呑んだ。
 そこは氷の洞窟だった。だが、氷特有の透明感や、青みがかった反射光が一切ない。
 足元の岩も、頭上の氷柱も、すべてがのっぺりとした『純白』なのだ。
 まるで、世界全体が「塗装される前のプラスチックの模型」に置き換えられてしまったかのような、強烈な違和感。影すらも薄く、遠近感がおかしくなりそうだった。

『クワァァ……ッ』

 その時、洞窟の奥から巨大なペンギンのようなモンスターが現れた。
 体長3メートル。本来なら黒と白の羽毛を持ち、黄色い嘴があるはずの魔物。
 だが、そいつの姿も異常だった。

「しゃ、社長……! あのモンスター、色が……!」

 ペンギンのモンスターは、目も、嘴も、羽も、すべてが『真っ白』だった。
 雪を被っているのではない。生物が持つべき色彩が、すっぽりと抜け落ちているのだ。

【解析:深刻なテクスチャ欠損】
【状態:オブジェクトのデータ崩壊進行中】
【警告:システムエラー領域】

 ソウジの【真実の魔眼(分析ゴーグル)】が、かつてない異常な警告ログを赤々と表示している。
 だが、清掃員であるソウジの脳内では、この世界のバグが、別の「もっと身近で恐ろしい清掃事故」として翻訳されていた。

「……霜じゃねぇ」

 ソウジは足元の真っ白な岩肌をトングで小突いた。
 本来なら硬いはずの岩が、まるでチョークの粉のようにサラサラと崩れ落ちる。

「おい……誰だ。こんな密閉空間に、『漂白剤』の原液をぶちまけた馬鹿は」

「へ? ひょうはく、ざい?」

「臭いでわからねぇか!? このツンとくる塩素の臭い! 強力な漂白剤を薄めもせずに原液のまま放置しやがったんだ!」

 ソウジはゴーグルの奥で、怒りと焦燥を入り交じらせて叫んだ。

「これを見ろ! 岩も氷も、ペンギンも! 全部、強すぎる塩素のせいで『色落ち』しまくってんじゃねぇか!!」

 世界を侵食する未知のバグ。
 だが、ソウジの目にはそれが、業者が絶対にやってはいけない最悪のタブー

──「強アルカリ性の塩素系漂白剤の原液放置による、素材の不可逆的な色抜け・損傷」にしか見えていなかった。

(続く)

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