氷も、岩も、そして先ほど遭遇したモンスター(ペンギン)すらも、すべての色彩が抜け落ちた『純白の洞窟』
極寒の地であるはずの南極ダンジョン【白き終焉】の内部は、コアちゃんの重力魔法によって気温こそ快適に保たれていたが、視覚的な不気味さが剣崎たちの精神をじわじわと削っていた。
「し、社長……ここ、なんだか頭がおかしくなりそうです。遠近感も立体感もありませんし、足元の氷もチョークの粉みたいにボロボロ崩れますし……」
「足元に気をつけろよ剣崎。洗剤が染み込んで、床材(氷)が完全に脆くなってる」
ソウジはトングで真っ白な氷壁をコンコンと叩きながら、忌々しそうに舌打ちをした。
彼の【真実の魔眼(解析ゴーグル)】には、このダンジョン全体を覆い尽くす異常な『テクスチャ欠損』のログが滝のように流れている。
しかし、ソウジの脳内ではそれが「強アルカリ性の塩素系漂白剤の原液をぶちまけ、換気もせずに長時間放置したことによる凄まじい色落ちと素材の劣化」に完全変換されていた。
『……ルルルルルルッ……!!』
その時。
洞窟の最深部から、鼓膜を破るような甲高い咆哮が響き渡り、巨大な吹雪と共に『それ』が舞い降りてきた。
「ひぃぃッ!? 出たァァァッ! 神話級モンスターです!!」
剣崎が腰を抜かしてへたり込む。
現れたのは、南極大陸の生態系の頂点に君臨するはずの絶対零度の支配者、『ブリザード・ドラゴン』だった。
全長30メートルを超える巨体。だが、その姿は威厳とは程遠いものだった。
「マスター、カメラ回しますね! ……あれ? なんかあのドラゴン、のっぺりしてませんか?」
コアちゃんがComeProを向けながら首を傾げる。
そう、そのドラゴンには「色がなかった」のだ。
本来なら氷のように美しく輝くはずの鱗のグラデーションも、鋭い眼球の色も、すべてがすっぽりと抜け落ちている。
『ギョオォォォォォォォォッ!!!(我ノ眠リヲ妨ゲル者ヨォォッ!!)』
威嚇のため、真っ白なドラゴンが天を仰いで特大の咆哮を上げた。
──その瞬間だった。
サラサラサラッ……。
『……ピギェ?』
咆哮の振動に自らの肉体が耐えきれず、ドラゴンの「下顎」が、細かい真っ白な粉となって砂のように崩れ落ちたのだ。
「えっ」
「は?」
剣崎とセシリアが間の抜けた声を上げる。
顎を失ったドラゴンは、自らに何が起きたのか理解できず、パニックに陥って首を激しく振った。
ザザァァァァッ……!
動けば動くほど、ドラゴンの真っ白な鱗が、翼が、そして胴体が、まるで砂の城が崩れるようにサラサラと粉を吹いて自壊していく。
攻撃してくるどころか、立っていることすらままならない。生物としての構造が根本から破綻していた。
『ええええええ!?』
『ドラゴンが……崩れた……?』
『攻撃もしてないのに勝手に砂になったぞ!?』
『何だこのダンジョン、ヤバすぎる』
『バグだ、これ完全にゲームのバグ挙動だろ!』
「…………」
沈黙する一同の中で、灰坂ソウジだけが、ゴゴゴゴゴ……と背中に恐ろしい怒りのオーラを立ち昇らせていた。
「おい」
地を這うような、マジギレの声。
「誰だ……こんな所に、『漂白剤』を原液のままぶちまけた馬鹿業者は!!」
「えっ? ひょ、漂白剤ですか!?」
「見りゃわかるだろ!!」
ソウジはトングを地面に叩きつけ、崩れゆく真っ白なドラゴンを指差した。
「換気もせずに強力な塩素を放置しやがったせいで、床も壁も魔物も、全部色落ちしまくってんじゃねぇか! あの可哀想なトカゲを見ろ! 漂白されすぎて繊維がボロボロになって、動いただけで崩れちまってるだろ!」
「と、トカゲ……!? いやいや社長、あれは神話級のドラゴンで──」
「いいか剣崎! 塩素系漂白剤は強アルカリ性だ! 適正な濃度に薄めずに長時間放置すれば、カビや汚れどころか、素材のタンパク質まで完全に破壊しちまうんだよ! 洋服を一週間ハイターに漬け込んだらどうなる!? 色が抜けるどころか、生地が溶けて破れるだろうが!!」
「な、なるほどぉぉぉ!?(理屈は通っている)」
ソウジの激怒は、神話級のドラゴンにではなく、このダンジョンを「漂白剤で劣化した事故物件」にしてしまった見えない存在(バグの元凶)に向けられていた。
「くそっ、このままじゃダンジョンの床まで完全に溶け落ちるぞ! アルカリには酸だ! 中和剤を撒いて、これ以上生地が傷むのを食い止める!」
ソウジは急いでバンの荷台から、巨大なタンクと散布機(中和用の酸性洗剤)を引っ張り出した。
世界のバグに対し、「アルカリには酸」という清掃の基本ルールで立ち向かおうとするS級清掃員。
しかし、この判断が、後に彼に「プロとしての初めての絶望」を味わわせることになる。
(続く)
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