神話級モンスターであるはずのブリザード・ドラゴンが、自らの咆哮の振動に耐えきれず、サラサラと白い粉になって自壊していく。
その光景は、ダンジョンというより、崩れゆく砂の城のようだった。
「くそっ! 漂白剤を原液で放置しやがって! 少しでも早く中和しねぇと、ダンジョンの床まで完全に溶け落ちるぞ!」
灰坂ソウジは、激怒と共にバンから巨大なタンクと散布機を引きずり出した。
「アルカリには酸だ! 中和剤を撒いて、これ以上生地が傷むのを食い止める!」
ソウジが手にしたのは、特製の【超強力・酸性中和クリーナー】だ。
彼は迷わずノズルを構え、白く脱色し、今にも崩れそうな氷の地面に向かって広範囲に散布を開始した。
ブシュゥゥゥゥゥゥッ!!
酸性の中和剤が、真っ白な大地に降り注ぐ。
通常、強アルカリ性の漂白剤が残っている場所に酸をかければ、中和反応が起きて素材の劣化は止まるはずだった。
だが。
「……なっ!?」
ソウジの目が、ゴーグルの奥で驚愕に見開かれた。
中和剤を浴びた地面が、安定を取り戻すどころか、さらに激しい勢いで崩壊を始めたのだ。
ザザァァァァァァッ……!!
「社長! 地面が! 地面が溶けていきますぅぅぅ!」
剣崎が悲鳴を上げる。
ソウジが中和剤を撒いた地点を中心に、真っ白だった氷床がボロボロと粉になって崩れ落ち、その下から「光すら存在しない、真っ暗な虚無の穴」がポッカリと口を開けたのだ。
「馬鹿な……! 中和剤が効かねぇだと!?」
ソウジは散布を止め、崩れゆく穴の縁に駆け寄った。
そして、粉になってパラパラと零れ落ちる真っ白な地面の破片を、震える手で直接すくい上げた。
【解析:深刻なテクスチャ欠損】
【状態:オブジェクトの完全消滅】
【警告:システムエラー領域の拡大】
彼の【真実の魔眼】が示すログは、この空間自体が「無」に帰ろうとしていることを告げていた。
だが、ソウジの頭の中で、そのバグは、これまで経験したことのない「最悪の清掃事故」として翻訳されていた。
「…………」
ソウジは、手の中でサラサラと消えていく白い粉を見つめ、これまで一度も見せたことのない「青ざめた顔」を見せた。
「……遅かったか」
彼がポツリと、重い声で呟いた。
「強い塩素系漂白剤を、原液のまま長時間放置しすぎたんだ。……汚れどころか、『床材の素材』そのものが完全に死んでやがる」
「ゆ、床の素材……? 社長、どういうことですの?」
セシリアが不安げに尋ねる。
「服に漂白剤の原液をこぼして、何日も放置したらどうなるか想像してみろ。最初は色が抜けるだけだが、最後は布の繊維自体がボロボロになって、触っただけで穴が開く。……ここの床も、それと全く同じ状態まで劣化してるってことだ」
ソウジは、トングを力なく下ろした。
どんな汚れも落とし、どんな魔物も「ただのゴミ」として処理してきた無敵のS級清掃員。
だが、彼には「絶対に直せないもの」があった。
それは、清掃の限界。「汚れではなく、素材そのものが物理的に破壊・消滅してしまった状態」である。
「酸で中和しても意味がねぇ。もう、中和するべき『土台』自体が存在しねぇんだからな」
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
ソウジの絶望をよそに、ダンジョン全体の崩壊が加速する。
天井の氷柱が白い粉となって降り注ぎ、地面には次々と「真っ黒な虚無の穴」が開き始めた。
空間自体が色抜けし、世界のバグが南極大陸を飲み込もうとしている。
「こうなったらもう……掃除じゃどうにもならねぇ」
ソウジが珍しく唇を噛み締め、悔しそうに後退る。
「逃げるぞ! 床板ごと抜け落ちるぞ!!」
『うわあああああ!?』
『ソウジが逃げろって言ったぞ!?』
『あの掃除の神様が諦めた!?』
『世界が終わる、マジで終わる』
『バグが広がりすぎてマップが消えてるじゃねえか!!』
画面の向こうで視聴者がパニックに陥る中、虚無に吸い込まれそうになる剣崎たちが悲鳴を上げる。
プロの清掃員が敗北を認めた「完全に劣化した事故物件」。
クリーン・ファンタジー社は、絶体絶命の危機に立たされていた。
(続く)
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