第49話:聖女と天使の「応急処置」

 南極ダンジョン【白き終焉】の崩壊は、もはや止まらなかった。

 強アルカリ性の漂白剤(未知のバグ)によって完全に素材が死んだ氷床は、ソウジが撒いた酸性の中和剤すらも受け付けず、サラサラと白い粉になって虚無へと崩れ落ちていく。

「うわああああッ! 床が! 床が抜けますゥゥゥッ!」

 足元の氷が消滅し、真っ暗な穴に吸い込まれそうになった剣崎が、必死にソウジのツナギの裾にしがみついた。
 周囲では、色抜けしたペンギン型モンスターたちがパニックを起こし、次々と虚無の底へと落下していく。

「チッ……! ここまで床が傷んでたら、もう掃除の範疇じゃねぇ!」

 ソウジはトングを腰にしまい、鋭い声で社員たちに号令をかけた。

「総員、清掃作業を中断! これより『緊急応急処置』に移行する! これ以上、穴が広がらないように物理的に塞ぐぞ!」

「ぶ、物理的にって……空間の崩落ですよ!? どうやって!」

「大工が来るまでのツギハギだ! ミカエル、上空から裂け目を塞げ!」

「承知いたしました、ソウジ様!」

 天使ミカエルが、真っ白に色抜けした空へと飛翔する。
 彼の手には、ホームセンターでよく見かける「緑色のガムテープ」のようなものが握られていた。

「神よ、この傷ついた世界にかりそめの平穏を!
 展開──【聖なる目張り(緑色の養生テープ)】!!」

 バァァァァンッ!!
 ミカエルが手をかざすと、空間に開いた真っ黒な亀裂に対し、巨大な緑色の養生テープが「ベタァッ!」と物理的に貼り付けられた。
 粘着力に神聖魔法を付与されたそれは、崩れゆくバグの裂け目を、力技でガッチリと繋ぎ止めたのだ。

『ファッ!?』
『養生テープで空間の裂け目塞いだwww』
『天使の使い方が完全に内装業者』
『ブラックホールをガムテで止めるな』
『でも崩壊止まってる!? すげぇ!』

「よし! 次はセシリア! これ以上『漂白成分』が床に染み込まないように、大量の水で洗い流せ!」

「お任せくださいませ! 主の御名において、この空間をすすぎ洗いしますわ!」

 聖女セシリアが、自社特製の超高圧洗浄機ケルベルス・キャッハーを構えた。
 彼女の背中には、巨大な給水タンクが背負われている。

「大いなる神の息吹よ、邪悪なる浸食を打ち払いたまえ! 放てェェェッ!」

 ズバババババババッ!!!

 猛烈な勢いで噴射されたのは、セシリアの規格外の魔力が込められた「特濃の聖水」だった。
 彼女の高位なる浄化魔法は、世界を侵食するバグに対し「強力なアンチウイルス」として作用し、データ崩壊の進行を強制的に停滞させていった。

 だが、ソウジにはそんなファンタジーな理屈は見えていない。

「よしよし、いいぞセシリア! 漂白剤を落とす時は、とにかく水量が命だ! ケチらずたっぷりすすぎ落とせ!」

 彼はアンチウイルスによる決死のシステム防衛を、ただの「景気のいい水洗い」として満足げに頷いていた。

「社長! すでに崩れ落ちてしまった地面の残骸はどうしますか!?」

 剣崎がゴーグルを光らせながら叫ぶ。
 虚無の穴の周囲には、完全に消滅を免れた「半壊状態の氷や岩の欠片」がフワフワと漂っていた。

「そのままにしとけと言いたいところだが、誰かが踏んで怪我したらクレームになる。剣崎、コアちゃん! 回収できる欠片だけ集めろ!」

「了解です! 覚醒スキル──【超高速分別眼(ソーティング・アイ)】!!」

 剣崎の瞳が、青いバーコードリーダーの光を放つ。

「完全に死んだデータ(ゴミ)は放棄! 復元可能なリソース(資源)だけをマーキングします! コアちゃん、青く光った岩だけを拾ってください!」

「はーい! 【重力操作(トラッシュ・キャッチ)】!」

 コアちゃんが指を鳴らすと、剣崎が見極めた「再利用可能な世界の欠片」だけが、重力に引かれて次々と宙に舞い上がり、安全な場所へと積み上げられていく。
 元・エリート探索者の超高速分別と、元・ダンジョンコアの空間魔法による、完璧な連携作業。

「右舷の裂け目、テープ追加ですわ!」

「セシリア、そこもっと水撒け! まだ塩素の臭いがするぞ!」

「資源回収急ぎます!」

 空間が消滅しようとする終末の光景の中で。
 クリーン・ファンタジー社の面々だけが、まるで「台風の日に雨漏りを直す町工場のオヤジたち」のような異常なテンションで、世界の崩壊を強引に食い止めていた。

「……ふぅ。とりあえず、こんなもんか」

 数十分後。
 ソウジが額の汗を拭い、深く息を吐いた。

 彼らの目の前に広がっていたのは、かつての恐ろしい南極ダンジョンの面影すらない、異様な光景だった。
 真っ白に色抜けした空間に、無数の「緑色の養生テープ」がベタベタと貼られ、地面は水浸し。

 それは、どう見ても「施工不良でボロボロになった事故物件の、見栄えの悪い応急処置」にしか見えなかった。

(続く)

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