第5話 硝子の温室と、訳あり物件の罠

 早朝。肌を刺すような冷気で、ミミは目を覚ました。

 昨晩、宿が消滅した跡地――。
 星空の下で震えながら眠りについたはずだった。

「……ん?」

 鼻をついたのは、昨日の宿のようなカビ臭さでも、土埃の匂いでもない。
 まるで、おろしたての新品の布のような。
 あるいは「何もなさすぎる」無機質な無臭。

 ミミが身じろぎすると、背中に「コツン」と硬質で冷たい感触が当たった。
 驚いて飛び起きる。

「……なに、これ……?」

 そこは、四方を透明な壁に囲まれた「箱」の中だった。

 壁も天井も、すべてが一枚のガラスでできている。
 森の木々がざわざわと揺れる音が、ガラス一枚隔てた向こう側から聞こえるはずなのに。

 この空間は、耳が痛くなるほどの完全な無音だった。

 まるで、世界から切り離された標本箱の中にいるようだ。
 ミミの猫耳が、不安を拾おうとピクピクと動くが、何も聞こえない。

 その静寂が、逆に怖い。

 ふと、入り口に立っている金属製の看板が目に入った。

『【入居者募集中】
 高速魔導建築による施工ミス物件。
 壁が透明になってしまったため、モニター価格で提供中。
 家賃:月額 500 G(敷金礼金なし)』

「施工……ミス……?」

 ミミは恐る恐るガラス壁に手を触れた。
 ヒヤリとした人工的な冷たさが指先から伝わってくる。

 外の景色は丸見えだ。
 通りを歩く人の視線も、森に潜む魔物の視線も。
 すべてがこの薄いガラス一枚を通して突き刺さってくる気がする。

 背筋がゾワリと粟立つ感覚。
 獣人特有の防衛本能が「ここは落ち着かない」と警鐘を鳴らしている。

 だが、今のミミには選択肢がない。
 500 G。その破格の家賃だけが頼みの綱だ。

「……あっ」

 部屋の隅に、分厚い純白のカーテンが束ねられているのを見つけた。

 ミミは縋り付くようにそれを引き寄せる。
 ずっしりと重いベルベットのような手触り。そこからは微かに、高級な石鹸のような甘い香りが漂っていた。

 シャーッ……。

 カーテンを閉め切ると、外の景色が遮断され、冷たいガラスの気配が消えた。
 甘い香りと、柔らかな布の感触に包まれる。

「……ふぅ」

 ミミの強張っていた肩の力が抜けた。

 ここなら、誰にも見られない。あの冷たい視線も感じない。
 布一枚の内側だけが、今のミミにとって唯一の「安全地帯」だった。

 彼女は契約台座にサインを書き込む。

 そのカーテンが。
 外からは「中身をより艶かしく見せるためのフィルター」でしかないことなど。

 彼女は、知る由もなく。

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【裏トーク:騎士団の秘密チャットログ】

SERVER:至高のミミちゃんを見守る会(Online: 4)

@課金は酸素
計画通り。契約完了です。
彼女はここを「施工ミスの欠陥住宅」だと信じ込みました。

@氷結の獅子
ッハァ……ッハァ……!(過呼吸)
見たか? あのガラスに触れて怯える仕草!
『ここはどこ?』って震える猫耳!
最高だ……。あの不安げな表情だけで白飯が30杯はいける。

@公式カメラマン
おい、ゼル。
この部屋の集音マイク、感度が良すぎるぞ。
ミミちゃんの心音と、衣擦れの音しか聞こえねえ。
……ASMRか?

@課金は酸素
当然です。
完全防音・無響室仕様にしましたからね。
彼女の吐息ひとつ逃しません。

@氷結の獅子
で、例のカーテンはどうだ?
ミミちゃんは「隠れられた」と思って安心しきっているが。

@公式カメラマン
……ヤバい。
映像を見てくれ。
カーテンの繊維一本一本が、魔力透過処理でレンズの役割を果たしている。
直視するより、輪郭がボヤけて幻想的だ。

今、彼女が安心しきって伸びをしたシルエット……。
「聖女の休日」というタイトルで絵画にできるレベルだぞ。

@新入り聖騎士
……。
あんたたち、本当にサイテーね。
完全に犯罪じゃない。騎士の風上にも置けないわ。

その「聖女の休日」、証拠物件として押収します。
私の端末に転送しなさい。
(解析のために4K高画質が必要よ。あと別アングルもあれば出しなさい)

@課金は酸素
おや、新入りさんも共犯ですか。
ちなみに、このガラス壁は特殊加工で「常にひんやりとした冷感」を保つようにしています。
彼女が寒がって、より布(カーテン)にくるまるように誘導するためです。

@氷結の獅子
貴様……天才か?
俺のポケットマネーから追加で5,000万G振り込んでおく。
もっとやれ。

[System Alert] —————————–
User: @氷結の獅子 has donated 50,000,000 G.
Comment: “研究開発費”

@公式カメラマン
お、ミミちゃんが動き出したぞ。
次は寝室の方へ向かった。
いよいよ「あのベッド」との対面だ。

コメント

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