地下プラントでの監査を終え、私たちはエレベーターで地上(CFO室)へと戻ってきた。
重苦しい沈黙が流れる中、最初に口を開いたのは王立国税局(マルサ)の統括官、ヒルダだった。
「……悔しいけれど、認めざるを得ないわね」
彼女は片眼鏡(モノクル)の位置を直し、手に持っていた監査報告書をデスクに放り投げた。
「貴社の会計処理は完璧よ。
『勇者の飼育費』を経費計上するロジックも、減価償却の計算も、一点の曇りもない。
……皮肉なものね。魔王軍の帳簿が、この国のどの貴族の裏帳簿よりも『真っ白(ホワイト)』だなんて」
「お褒めいただき光栄です」
私はコーヒーを淹れながら微笑んだ。
ヴァイパーも、|聖法全書を閉じ、不本意そうに頷く。
「法務面でも白旗です。彼らは自由意志でそこにいる(と主張している)。
これでは『監禁』で訴えるのは不可能です。……よって、本監査は『承認(Approved)』とします」
二人の最強監査官が、敗北を認めた。
これで上場への一番の障害はクリアされた──はずだった。
だが、
事態は斜め上の方向から急変した。
◇
魔王城の通信スクリーンに、王国の国会議事堂からの緊急通信が入った。
画面に映し出されたのは、脂ぎった顔の太った男──王国議会の重鎮、ポーク侯爵だ。
『──株式会社デーモン・ホールディングスに告ぐ!』
ポーク侯爵は、手元の羊皮紙を大げさに振り回して喚き立てた。
『我々、王国議会は、貴社による「元勇者たちの不当拘束」に対し、断固として抗議する!
たとえ彼らが同意していたとしても、それは洗脳によるものだ!
よって、「人権保護法案」に基づき、即時解放を命じる!』
ドンッ!
画面越しに、書類が叩きつけられる。
それを見た瞬間、ヴァイパーの表情が凍りついた。
「……馬鹿な」
王国への監査結果の報告が完了して、一息ついていたヴァイパーが低く唸る。その手元の聖法全書がカタカタと震えている。
「彼らは……私が『法的問題なし』と判断した監査結果を、無視する気ですか?」
画面の中でポーク侯爵はさらに続ける。
『法の解釈など関係ない! これは正義の問題だ!
魔王軍の動力源を断つためなら、超法規的措置も辞さない!
逆らえば、貴社をテロ組織と認定し、資産を凍結する!』
「……はっ」
ヴァイパーが、乾いた笑いを漏らした。
その瞳には、クリフに向けられていた敵意よりも深い、身内(王国)への軽蔑が宿っていた。
「……醜い。あまりにも醜悪だ」
彼はギリと歯噛みした。
「私は『法』に身を捧げた者として、貴方を追い詰めに来ました。
ですが……法的手続きを無視し、政治力という暴力で真実を捻じ曲げるやり方は……私の美学に反する」
彼は私の方を向き、冷たく言い放った。
「クリフさん。私は王国側の人間です。貴方に味方はしません。
……ですが、今の私は『ひどく機嫌が悪い』。
もし貴方が、あの豚(ポーク侯爵)を法的に葬る手段を持っているなら……私は『見て見ぬふり』をしましょう」
なるほど。
敵ではあるが、プロフェッショナルとしての矜持はあるらしい。
私はニヤリと笑い、一枚の封筒をテーブルに滑らせた。
「では、お言葉に甘えて。
……ヒルダさん、出番ですよ」
「何よ、これ」
ヒルダが封筒を開ける。
中に入っていた書類を見た瞬間──彼女の表情が一変した。
獲物を見つけた猛禽類のような、鋭く、飢えた目つき。
「……クリフ。このデータ、どこで手に入れたの?」
「我が社の優秀なCTOが、ポーク侯爵の個人資産を少し『監査』しましてね。
彼が『人権保護団体』への寄付金という名目で、裏金をプールしている証拠です」
私はコーヒーを啜りながら解説した。
「彼らは『勇者の人権』を叫んでいますが、その裏で『人権保護予算』を横領し、私腹を肥やしている。
……貴女が先ほどおっしゃいましたね。『王国の帳簿は汚い』と」
バヂチッ……!
ヒルダの周囲で、魔力がスパークした。
彼女の逆鱗──「脱税」に触れたのだ。
「……許せないわね」
ヒルダが立ち上がる。その背後に、どす黒いオーラが立ち昇る。
「私の目の黒いうちは、1セントの脱税も許さない。
たとえそれが、王国の重鎮であろうともね……!」
ヒルダはヴァイパーを一瞥した。
「ヴァイパー。貴方、止める気?」
ヴァイパーはふんと鼻を鳴らし、窓の外へと視線を逸らした。
「おや、何かありましたか?
私は今、窓の外の景色に見とれていて何も聞いていませんよ。
……どうぞ、存分に『法』を執行してください」
その言葉を聞いた瞬間、ヒルダは真紅のコートを翻し、風のように部屋を出て行った。
「総員、出動! ターゲットは国会議事堂!
腐った政治家どもに、本当の『査察』を教えてやるわ!」
◇
数時間後。王国議会議事堂。
ポーク侯爵は、演壇で勝ち誇ったように演説していた。
「魔王軍ごときに人権を語る資格はない! 直ちに勇者を奪還し、正義を示すのだ!」
議員たちから「そうだそうだ!」と拍手が起きる。
その時だった。
ドガァァァン!!
議場の扉が物理的に吹き飛ばされた。
「な、なんだ!? テロか!?」
慌てふためく議員たちの前に現れたのは、「マルサの魔女」ヒルダ統括官と、武装した国税局の査察部隊だった。
「こ、国税局!? 何の用だ! 今は神聖な議会の最中だぞ!」
ポーク侯爵が叫ぶが、ヒルダは聞く耳を持たない。
彼女は演壇までカツカツと歩み寄ると、侯爵の目の前に「赤紙(差押令状)」を叩きつけた。
「ポーク侯爵。貴方および関連団体に、国税徴収法違反の容疑がかかっているわ」
「は……?」
「『勇者人権保護基金』への架空寄付、および裏金作り。脱税総額は推定3億マナ。
……随分と派手にやったわね、この豚野郎」
「な、ななな……デタラメだ! 証拠はあるのか!」
「証拠なら、ここにあるわよ。……『監査のプロ』が作った、完璧な解析レポートがね」
ヒルダが掲げたのは、クリフが作成した告発状だった。
そこには、彼が隠した金の流れが、1マナ単位で正確に記載されている。
「そ、そんな……まさか、魔王軍と結託したのか!?」
「勘違いしないで。私は『税の正義』に従っているだけよ」
ヒルダの片眼鏡(モノクル)が怪しく光った。
「──総員、突入! 議会中の全議員の資産を『即時監査』せよ!
叩けば埃が出る奴らは、全員しょっぴきなさい!」
「「「イエッサー!!」」」
議場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「私は関係ない!」「金なら払う!」と逃げ惑う議員たちを、国税局員が次々と拘束していく。
◇
スクリーン越しにその様子を見ていた私は、静かにコーヒーを啜った。
「……ふぅ。これで邪魔者は消えましたね」
隣でヴァイパーが、満足そうに口元を緩めていた。
「美しい執行だ。……やはり、法はこうでなくては」
彼は立ち上がり、私に向かって一礼した。
「クリフさん。今回は私の負けです。
ですが、ゆめゆめ油断なさらないように……ククク」
「ええ。また法廷でお会いしましょう」
ヴァイパーは聖法全書を広げると、紫色の霧と共に姿を消した。
(油断など出来るはずもない……こと法に関しては、彼は私より何枚も上手だ)
私は大きく息を吐き、ソファに沈み込んだ。
アリスが駆け寄ってくる。
「やったねクリフ! これで上場審査、クリアだよね!?」
「いいえ。まだ『予備審査』を通過しただけです」
私は手元の石版(スレート)に表示された通知を見せた。
【監査状況:適正意見(クリア)。次フェーズへ移行】
「財務・法務の懸念事項(リスク)は解消されました。
ですが、目標とする『時価総額10兆マナ』を達成するには、まだ足りないものがあります」
「足りないもの?」
「実績(トラックレコード)です。
現在、アプリ『勇-Share』のユーザー数は順調に伸びていますが、まだ市場の一部に過ぎない。
投資家を熱狂させるには、競合他社──すなわち『冒険者ギルド』を再起不能なまでに叩き潰し、市場シェアを独占する必要があります」
私は眼鏡を光らせ、壁のカレンダーを見た。
本番のIPO(上場)まで、あと数ヶ月。
この期間に、徹底的なマーケティング攻勢をかける。
「ミナさん、そしてアルヴィンさん。
貴方たちの出番ですよ。……世界中の冒険者に、『ギルドの終わり』を告げるのです」
(続く)
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