第58話:最強の武装は『ただの雑巾』

 天使と聖女が作り上げた「緑色の養生テープとビニールシートの無菌通路(クリーン・ルーム)」。

 その中を、灰坂ソウジがゆっくりと、だが確かな足取りで進んでいく。

 通路の奥、星屑のソファに座る創造主は、曇りきったモニターの顔面に「(;°Д°)(焦り)」の顔文字を浮かべ、手元のタブレットを必死に叩いていた。

『くそっ、なんで僕の絶望が効かないの!? 来ないでよ、もう遅いんだ! この世界は汚れすぎた! バグだらけで、もう直せないんだよ!』

 創造主が喚きながら、タブレットの画面に赤く光る【フォーマット(全削除)】の最終確認ウィンドウを立ち上げる。

『エンターキーを押すだけだ! そうすれば全部消えて、また一から綺麗な世界を──』

「遅すぎる掃除なんてねぇ」

 ダンッ!
 ソウジが力強く床を踏み込み、創造主の目の前へと一気に肉薄した。

「汚れが落ちないから捨てるだと? バグが直せないから初期化するだと? ふざけるな。……持ち主が、綺麗にするのを諦めた時が、その家の寿命なんだよ!!」

 ソウジの怒号が、神の甘えた理屈を真っ向から叩き斬る。
 彼が手にしているのは、神話級の聖剣でも、魔王を滅ぼす魔法の杖でもない。
 どこにでもある、使い込まれた『ただの雑巾』と、ソウジ特製の『万能スライムクリーナー』だった。

「ひねくれた根性ごと、俺がピカピカに磨き上げてやる。歯ぁ食いしばれクソ大家ァァァッ!!」

『ひぃっ!?』

 ベチャッ!!

 ソウジは創造主の顔面(モニター)に、ドロリとした万能スライムクリーナーを容赦なくぶちまけた。
 それは数千年間、誰も触れず、誰も拭き取ろうとしなかった『神の怠惰』という名の分厚い皮脂汚れと手垢を、強力に浮き上がらせる。

「オラァッ!! オラァッ!! オラァァァッ!!」

 キュッ! キュッ! キュッ! キュキュキュキュキュキュッ!!!

 ソウジは『ただの雑巾』を両手で構え、創造主のモニター顔をゴシゴシと力任せに磨き始めた。

 一切の魔法も、特別なスキルも使っていない。
 ただ、ひたすらに。目の前の「汚れたモノ」を綺麗にしたいという、清掃業者としての純粋な祈りと意地だけを込めた、極限の拭き掃除。

 磨きながら、ソウジはモニターの隅にある「小さな傷」を見つけた。

「……なんだこの傷は。お前、昔はこの家を守るために、必死で掃除してたんじゃねぇか。その時の熱意までゴミに埋もれさせてんじゃねぇよ!」

『あ、あががががッ! 画面が! 僕の顔面が削れるぅぅ! ……あれ?』

 モニターの顔文字が激しく明滅する。
 分厚い汚れの層が雑巾によって拭き取られていくにつれ、創造主の視界を覆っていた「曇り」が、みるみるうちに晴れていくのだ。

『神の顔面を雑巾がけwwww』
『宇宙最強の武装:使い古しの雑巾』
『どんな神話の戦いより熱いんだけど!?』
『ソウジ社長……あんたが本物のS級(掃除の神様)だよ』
『汚れ(神の絶望)が落ちていく……』

「どうだ、大家! 自分の家がどれだけ綺麗か、その濁った目でよく見てみろ!」

 ソウジが最後に天使の羽のクロスでサッと乾拭きをした瞬間。
 ピカーーーンッ!!!

 創造主の顔面(モニター)が、まるで鏡のように美しい光沢を取り戻した。
 そこにはもう、ドス黒い汚れも、怠惰な顔文字も存在しない。

 ピカピカに磨かれたモニターの表面には、剣崎やコアちゃん、セシリア、ミカエル……そしてソウジという「この世界で懸命に生きる者たち」の姿と、彼らの背後に広がる美しい宇宙の輝きが、鮮明に反射して映し出されていた。

『あ…………』

 創造主は、自分の顔に映る「世界」を見つめ、呆然とタブレットを取り落とした。

『そうだ……。僕、最初は……こんな綺麗な世界を作ったんだっけ……』

 かつては世界を愛し、夢中になってメンテナンスをしていたはずだ……
 ある日、一箇所のなかなか直せないバグが許せなくて自暴自棄になり、すべてが面倒になって……

 今では汚れに埋もれて忘れていた感覚。

 自らの手で世界を創造した時のワクワク感。一つ一つの命(データ)を愛おしく思っていた、あの「新品だった頃の輝き(モノを大切にする心)」。

『……うっ、うぅっ……』

 ポロポロ、ポロポロ。
 ピカピカになったモニターの端から、美しい水滴がこぼれ落ちた。
 顔面には、「( ;∀;)(感動)」の顔文字が、澄み切った光と共に表示されている。

「……思い出したか。なら、もう二度と『汚れたから捨てる』なんて抜かすなよ」

 ソウジは雑巾を肩にかけ、トングをカチリと鳴らして笑った。

 カランッ。

 創造主の手から滑り落ちたタブレットの画面で、赤く点滅していた【フォーマット】のプログレスバーは、実行直前で「キャンセル」と表示され、静かに消滅した。

 清掃業者の「ただの雑巾」が、世界の終わりを救った瞬間だった。

(続く)

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