王国財務省、特別顧問室。
分厚い絨毯が敷かれたその部屋は、重苦しい沈黙に包まれていた。
「……顧問。今月の公社の収支報告です」
財務官僚が震える手で差し出した羊皮紙。
ヴァイパーはそれを手に取り、眉一つ動かさずに読み上げた。
「赤字、2,000億マナ。
……わずか一ヶ月で、月間国家予算の1割以上が溶けましたか」
「は、はい……! 入場無料にしたことで、消耗品(ポーション)の消費や施設の修繕費が想定の3倍に膨れ上がっています!
それに加えて、中抜き……いえ、関連企業への委託費も高止まりしておりまして……」
官僚が脂汗を流す。
2,000億マナ。たった一つの事業が出していい赤字額ではない。
民間企業なら即座に倒産する数字だ。
だが、ヴァイパーは冷徹に言い放った。
「問題ありません。補填しなさい」
「は?」
「『予備費』および『緊急経済対策費』を投入し、赤字を埋めるのです。
国営公社は、国の威信そのもの。金がないからといって止めるわけにはいきません」
ヴァイパーは聖法全書を開き、条文を指でなぞった。
「国家には、民間企業にはない最強の武器があります。
それは『徴税権』と『国債発行権』です。
金が足りなければ刷ればいい。借金をしてでも、魔王軍(民間)が干上がるまで『無料』を継続しなさい」
無限の予算(サブシディ)。
それは市場原理を無視した、力技の延命措置だった。
◇
一方、魔王城。
CFO室では、アリスが頭を抱えていた。
「うわぁ……国って無敵だね。
2,000億もの大赤字なのに、まだ潰れないの? こっちは真面目に商売してるのが馬鹿らしくなってくるよ」
モニターには、税金ジャブジャブで運営を続ける国営ダンジョンの様子が映し出されている。
いくら質が悪くても、「無料」である限り一定の客は流れてしまう。
このまま消耗戦が続けば、資金力に劣る民間(我々)が不利だ。
「……ええ。彼らは『赤字』を痛みだと感じていません。
痛むのは彼らの財布ではなく、国民の財布ですからね」
私は静かにコーヒーを置き、眼鏡の位置を直した。
「ですがアリス。
『無限の財布』を持っている相手と戦う時、一番有効な戦術を知っていますか?」
「え? 財布を盗むとか?」
「いいえ。もっと残酷です。
『相手の財布が破裂するまで、無駄遣いをさせる』のです」
私は手元の石版(スレート)を操作し、全支部の支配人に一斉送信を行った。
【緊急通達:営業時間の短縮について】
対象:魔王軍直営の全ダンジョン
内容:明日より、週末および祝日の営業を『休止』とします。
「ええっ!? 休むの!?」
アリスが素っ頓狂な声を上げる。
「一番稼ぎ時の週末に休むなんて! みすみす客を逃がすようなもんじゃん!」
「それでいいのです。
ウチが閉まれば、行き場を失った冒険者たちはどこへ行きますか?」
「そりゃあ……開いてる『国営ダンジョン』に行くしかないけど……」
「正解です」
私はニヤリと笑った。
「国営ダンジョンは『客が来れば来るほど赤字が増える』構造です。
ならば、ウチの客をすべて彼らに譲ってあげましょう。
週末のピークタイムに、数千人の冒険者が殺到したら……彼らの運営コストはどうなると思いますか?」
「……あ」
アリスが青ざめる。
「ポーション代、警備費、修繕費……全部爆上がりして、赤字が雪だるま式に……!」
「ええ。彼らに『成功』という名の『破滅』をプレゼントしてあげるのです」
◇
作戦は、劇的な効果を生んだ。
週末。魔王軍のダンジョンが「設備点検」を理由にクローズすると、王都の冒険者たちは雪崩を打って国営ダンジョンへ押し寄せた。
「おい、ポーションが足りないぞ!」
「トイレが詰まってる!」
「公務員勇者が足りなくて行列が進まねぇ!」
現場はパンク寸前。
運営コストは指数関数的に跳ね上がり、ヴァイパーは毎日のように追加予算の決裁印を押す羽目になった。
国の金庫から、凄まじい勢いで金が消えていく。
そして、機は熟した。
「さあ、仕上げです。
ミナさん、国民の皆さんに『請求書』を見せてあげてください」
「了解! 任せて、一番エグい見せ方をしてあげるわ!」
広報担当のミナがウィンクをし、王都中に「あるビラ」をばら撒いた。
◇
翌朝。
王都の市場で買い物をしていた主婦、マリアは、配られたチラシを見て絶句した。
【緊急レポート:あなたの税金、こう使われています】
そこには、国営公社の赤字額と、それを埋めるために使われた税金の額が記されていた。
だが、衝撃的だったのはその下の「換算表」だ。
『公社の今月の赤字:2,000億マナ』
『このまま1年続けば……あなたの負担額:約10万マナ』
「……は?」
マリアの手から、買い物かごが落ちた。
「じゅ、10万マナ……?
私のパート代、三ヶ月分じゃない……!」
チラシにはさらに、ミナ考案の煽り文句が踊っている。
『あなたが今日我慢したランチ代は、公務員勇者の高い給料と、貴族たちの懐に入りました』
『公社が続く限り、来年は消費税が10%上がります』
「ふ、ふざけないでよ……!」
マリアの顔が怒りで赤く染まる。
冒険者のことなど他人事だと思っていた。
だが、自分の財布から金が抜かれていると知った瞬間、それは「自分事」になった。
「私たちのお金で、なんで貴族が肥え太ってるのよ!」
「増税なんて絶対反対!」
「公社を解体しろ!!」
街中の至る所で、同様の怒号が上がり始めた。
主婦が、商人が、職人が。
納税者という名の「最強の圧力団体」が、ついに目を覚ましたのだ。
魔王城のバルコニーからその様子を見下ろしながら、私は静かに呟いた。
「経済学の基本ですよ、ヴァイパーさん。
──『タダより高いものはない』」
王宮の前には、プラカードを持った数万人のデモ隊が集結しつつあった。
その怒りの炎は、どんな魔法よりも熱く、国の屋台骨を焼き尽くそうとしていた。
(続く)
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