第64話 上場日(Listing Day)の鐘 ~「鐘は壊さないでくださいよ、ゼノン様」「善処する!」(ガシャーン)~

 その日、王都にある「世界証券取引所」の周辺は、かつてないほどの熱気に包まれていた。

 上空には報道のワイバーン騎兵が飛び交い、地上には数万人もの群衆が詰めかけている。
 冒険者、商人、貴族、そして物見遊山(ものみゆさん)の市民たち。
 彼らの視線は一点、取引所の正面バルコニーに注がれていた。

 午前8時50分。
 バルコニーの扉が開き、漆黒のタキシードに身を包んだ男たちが現れると、地鳴りのような歓声が上がった。

「うおおおお! 魔王様ぁぁぁッ!」
「クリフさーん! 俺だ、株主だぞー!」
「アリスちゃーん! こっち向いてー!」

 中央に立つのは、魔王ゼノン。
 その右腕に私(クリフ)、左腕にアリス。
 そして後ろには、不敵な笑みを浮かべるCLOのヴァイパーと、緊張でガチガチになっている元勇者アルヴィンが控えていた。

「すごい数だ! 我が軍の凱旋パレードより多いではないか!」

 ゼノン様がバルコニーから手を振り、ご満悦の様子だ。

「ええ。彼らは皆、貴方のファンであり……そして『株主(オーナー)』ですからね」

 私は腕時計を確認した。
 市場が開く午前9時まで、あと5分。

「ゼノン様。段取りは覚えていますか?
 9時ちょうどに、そこにある『上場の鐘』を5回鳴らしてください。それが取引開始の合図です」

「うむ、任せておけ! 鐘を鳴らすなど造作もない!」

「……念のために言っておきますが」

 私は眼鏡を直し、釘を刺した。

「力加減には気をつけてくださいね。あれは歴史的遺産ですので、壊すと修理費が高くつきます」

「失敬な! 余を誰だと思っている! 力の制御など完璧だ!」

 ゼノン様が鼻を鳴らす。
 アリスが小声で「絶対フラグだよね……」と囁いたが、私は聞こえないふりをした。

 ◇

 9時00分。
 カウントダウンがゼロになった瞬間。

「よし、今だ! 世界よ、これが魔王軍の夜明けだぁぁぁッ!!」

 ゼノン様が木槌を振りかぶり、全力で鐘を叩いた。

 ガァァァァァァァンッ!!

 凄まじい轟音が王都中に響き渡り──

 バギッ。
 ボロッ。

 鐘の表面に亀裂が走り、その巨大な金属塊が支柱から外れ、ゴロンと床に転がった。

「…………あ」

 ゼノン様が固まる。
 会場が静まり返る。
 取引所の職員たちが悲鳴を上げる。

「……ゼノン様?」
「ち、違うぞクリフ! これは鐘が脆かったのだ! 余は軽く撫でただけで……!」

 私は深くため息をつき、ヴァイパーに目配せをした。

「……ヴァイパーさん。器物損壊の示談交渉をお願いします」
「やれやれ。私の初仕事が『鐘の弁償』とは。……経費で落としておきますよ」

 とにもかくにも、鐘(破壊音)は鳴った。
 株式会社デーモン・ホールディングス、上場(IPO)の瞬間だ。

 ◇

 バルコニーの背後にある巨大な電光掲示板(ティッカー)が、激しく点滅を始めた。

【銘柄コード:666 デーモン・ホールディングス】
【公開価格:1,000マナ】

 通常なら、ここですぐに最初の値段(初値)がつくはずだ。
 だが、ボードの表示は『気配値(買い)』のまま動かない。

「クリフさん! 注文が多すぎて値段がつかないよ!」

 アリスが魔導端末を見ながら叫んだ。

「買い注文が殺到してる! 売り注文が全然足りない!
 『特別買い気配(Special Buy Quote)』だよ!」

 市場はパニックになっていた。
 世界中の投資家、そしてストックオプションをもらえなかった冒険者たちが、「俺も買わせろ!」と買い注文を浴びせているのだ。
 一方で、株を持っている冒険者たち(ロックアップ付き)は売ることができない。
 圧倒的な「需要超過」。

 価格は1,000マナから、1,500、2,000、2,500……と、取引が成立しないまま気配値だけが吊り上がっていく。

「ふふっ……いい傾向です」

 私はCFOとして、その数字の奔流を眺めていた。
 ゴブリン・サックスの担当者が、青ざめながらインカムで怒鳴っているのが見える。

『売り手がいないだと!? 在庫(グリーンシュー)を全部吐き出せ! 値段をつけろ!』

 そして、上場から1時間後。
 ついに均衡が破れ、最初の価格が表示された。

 チーン♪

【初値:3,000マナ】
(公開価格比 +200%)

 わぁぁぁぁぁッ!!
 広場から割れんばかりの歓声が上がった。

「3倍だ! いきなり3倍になったぞ!」
「俺の持ってる権利、これだけで家が建つぞ!」
「魔王軍万歳! クリフ様万歳!」

 Fランク冒険者のカイルも、群衆の中で端末を握りしめ、震えていた。
 彼が付与された株の価値は、一瞬にして彼の年収の数年分に跳ね上がっていた。

「すげぇ……本当に、俺たちもオーナーなんだ……!」

 ◇

 魔王城に戻った私たちは、最終的な集計結果(クロージング)を確認した。

 アリスが震える声で数字を読み上げる。

「本日の終値、3,200マナ。
 発行済株式総数を掛け合わせた、時価総額(Market Cap)は……」

 彼女はごくりと唾を飲み込んだ。

【時価総額:約12兆8,000億マナ】

「……い、12兆越え」

 アリスが椅子から崩れ落ちた。

「国家予算(20兆)の6割!?
 たった一社で、国の経済規模の半分以上に匹敵するなんて……」

「ええ。これが『資本主義の魔法』です」

 私は熱いコーヒーを喉に流し込んだ。
 前期売上5,000億の会社が、市場の期待(と熱狂)によって、12兆マナの価値を持つ怪物へと進化した。
 もはや魔王軍は、一介の武装集団ではない。
 王国と肩を並べる「経済超大国」だ。

 ヴァイパーが感嘆のため息をついた。

「恐ろしいですね、クリフさん。
 これだけの『信用』を換金するとは。……で、この調達した巨額の資金(キャッシュ)、何に使うのですか?」

 上場によって市場から吸い上げた資金は、数兆マナに上る。
 使い道のない金は、ただの数字だ。

 私は窓の外、王都の一等地に建つ「あの古臭い建物」を指差した。

「決まっているでしょう」

 私は宣告した。

「冒険者ギルドへの『敵対的買収(TOB)』を開始します」

 ゼノン様が目を輝かせた。

「おお! ついにあの忌々しいギルドを乗っ取るのか!
 で、買収したらどうするのだ? 全員クビにして魔王城のトイレ掃除でもさせるか?」

「いえいえ、そんな非生産的なことはしませんよ」

 私は不敵に微笑んだ。

「彼らの持っている『世界中の支部(不動産)』と『物流網』は魅力的です。
 ……全て改装し、我が社の『新事業』の拠点になってもらいます」

 私はホワイトボードに、次なる構想を書き殴った。

【物流革命プロジェクト:魔王マート(Demon Mart)構想】

「ギルドのカウンターを全て『レジ』に変えます。
 冒険者が素材を持ち込み、その場で加工し、一般市民に販売する……。
 世界最大の『コンビニエンスストア・チェーン』を作るのです」

「こ、こんびに……?」

「さあ、忙しくなりますよ。
 まずはギルドマスターの頬を、札束で叩きに行きましょうか」

 上場の鐘の音は、旧時代の終わりを告げる弔鐘(ちょうしょう)だった。
 株式会社デーモン・ホールディングス。
 時価総額12兆マナの巨人が、ついに世界を飲み込み始める。

(続く)

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