第7話 多世界を視る男

アリスという「不確定要素」と、リックという「資金源」を手に入れた私は、次なる資源を求めて学院の図書館にいた。

地球への通信機を作るには、理論と金だけでなく、「高度な演算リソース」が必要だ。
私の脳内計算だけでは、次元を貫く重力波のシミュレーションには限界がある。

「……ないな」

書架を漁るが、目当ての文献は見当たらない。
この世界の数学は遅れている。微積分すら体系化されていないのだ。

「探しているのは『非ユークリッド幾何学』の魔導書かい? レイ・カルツァ君」

背後から、涼やかな声が掛かった。
振り返ると、一人の男子生徒が立っていた。

整えられた金髪に、知的な碧眼。鼻筋には銀縁の眼鏡が乗っている。
制服の着こなしは完璧で、脇には分厚い古書を抱えていた。

「君は?」

「ボブ・エベレット。一応、この学年の主席ということになっている」

ボブは眼鏡の位置を直しながら、私を値踏みするように見つめた。

「君の噂は聞いているよ。入学試験での『見えない熱線』。そして教室での『爆発令嬢』の制御。……君は、僕たちとは違う世界を見ているね?」

「ほう」

私は興味をそそられた。
ただの秀才ではない。彼の瞳の奥には、どこか達観したような、あるいは諦観したような光がある。

「単刀直入に言おう。僕とゲームをしないか?」

「ゲーム?」

「チェスだ。もし君が勝てば、僕の持つ生徒会権限で、図書館の『特別閲覧室』へのアクセス権を与えよう」

特別閲覧室。その響きは魅力的だ。古代の失われた技術が眠っているかもしれない。
だが、私は首を傾げた。

「なぜ僕と?」

「観測したいのさ。君という特異点が、僕の予測しうる『無数の未来』のどれに収束するのかをね」

……なるほど。
私は彼が何を言わんとしているのか理解した。
彼もまた、アリスとは違うベクトルで「量子的な才能」を持っている。

「いいだろう。受けて立つよ」

図書館の一角にある閲覧テーブルで、私とボブはチェス盤を挟んで向かい合った。
ギャラリーが集まり始めている。

「先手は君だ。どうぞ」

ボブが優雅に手を差し出す。
私はポーンを動かした。定石通りのオープニングだ。
ボブは間髪入れずに応手する。

5手、10手、20手。
盤面が進むにつれ、私は違和感を抱き始めた。

強い。いや、強すぎる。
彼は思考していない。迷う素振りすら見せない。
まるで、「相手がどう動くか最初から知っていた」かのように、最適解を即座に打ってくる。

(演算速度が異常だ。いや、これは演算じゃない……検索だ)

私の指した手が、ことごとく封じられていく。
チェックメイトまで、あと3手。
私のキングは追い詰められた。

「チェック」

ボブが静かに告げる。私のキングの前に、彼のルークが滑り込んだ。
逃げ場はない。

「終わりだね、レイ君。実は、この勝負が始まった時点で、君が勝つ未来は1400万605通り中、ゼロだったんだ」

ボブは悲しげにため息をついた。

「僕の魔法は『多世界解釈』。少し先の未来に起こりうる無数の分岐を幻視し、その中から『僕が勝つ世界』を選択する。因果律を後出しジャンケンしているようなものさ」

ギャラリーがざわめく。未来予知。最強の能力だ。
だが、私は盤面を見つめたまま、口の端を吊り上げた。

「……なるほど。君は『盤面の中』の未来を全て計算したわけだ」

「何?」

「だが、ボブ。君のシミュレーションには致命的な欠落がある。物理学的な変数が抜けているんだよ」

私は右手を上げた。
駒を動かすのではない。

(局所重力場、生成。座標、X-5、Y-3。ベクトル、水平方向へ3ニュートン)

「何をする気だい? どんな手を打っても……」

「手は使わないよ。使うのは場だ」

ガタッ。

突然、盤面が揺れた。
いや、盤面の一部だけ重力が横向きに発生した。
私のキングを追い詰めていたボブのルークが、見えない力に押され、コトりと横に倒れたのだ。

「なっ……!?」

ボブが目を見開く。
ルークが倒れたことで、射線が切れた。
チェックが外れた。

「こ、これは反則だ! チェスのルールにこんな……!」

「ルール? ナンセンスだ。この世界はチェス盤の上だけで完結していない。盤も、駒も、君自身も、重力場という巨大な物理法則の中に存在している」

私は空いたスペースにクイーンを滑り込ませた。
ボブのキングへ、一直線。

「チェックメイトだ、ボブ。君は『ゲームのルール』という狭い箱の中ですべての未来を見た気になっていた。だが、箱の外側からの干渉までは計算に入れていなかった」

ボブは呆然と盤面を見つめ、やがて力なく笑い出した。

「はは……ハハハ! 物理的に盤面をひっくり返すなんて未来、どの分岐にもなかったよ……」

「未来は選ぶものじゃない。観測し、書き換えるものだ」

ボブは眼鏡を外し、涙が出るほど笑った後、私に右手を差し出した。

「参った。僕の負けだ。……君となら、この閉じた世界の外側を見られるかもしれないな」

私はその手を握り返した。
資金源、不確定要素に続き、最強の「演算装置」が手に入った瞬間だった。

 

(続く)

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