第9話 スライムとダイラタンシー

校舎の一部を傾かせたかもしれない共振実験から数日後。

私たちチーム・カルツァの面々は、召喚魔法の実技授業に参加していた。
場所は、屋外の演習場。
担当教官は、規律にうるさいことで有名なガリレオ先生だ。

「いいか、召喚とは異界との契約だ。精神を統一し、己の魔力波長に合った使い魔を呼び出せ」

生徒たちが次々と魔法陣を展開し、小鳥やトカゲといった可愛らしい使い魔を召喚していく。
そして、問題児の番が回ってきた。

「次。アリス・ボーア」

名を呼ばれたアリスが、ビクビクしながら魔法陣の前に立った。
彼女は前回の「水球」成功で少し自信をつけたようだが、召喚魔法は初挑戦だ。

不確定要素の塊である彼女が、異界の扉を開く。嫌な予感しかしない。

「い、いきます……!契約の彼方より来れ、我が友よ!」

アリスが杖を振る。
魔法陣が輝く──が、その光り方がおかしい。
明滅している。まるで接触不良の蛍光灯だ。

(波動関数が発散している。座標指定がブレブレだ)

私が止めようとした瞬間、魔法陣がどす黒く濁り、空間の裂け目から「それ」が吐き出された。

ボヨヨンッ!

現れたのは、半透明の緑色をした、不定形のゼリー状物体。
直径約2メートル。

スライムだ。だが、図鑑に載っているような愛嬌のある姿ではない。
表面が波打ち、飢えた捕食者のように触手を伸ばして周囲を威嚇している。

「ひぃっ!?な、なんか変なのが出ましたぁ!」

「落ち着けアリス!……む、こいつ、敵意があるぞ!」

教官が杖を構えるより早く、スライムが暴れ出した。
近くにいた男子生徒が、護身用の剣で斬りかかる。

「くそっ、このゼリー野郎!」

ガキンッ!!

鋭い金属音が響き渡った。
ゼリーのように柔らかいはずのスライムの表面で、鋼鉄の剣が弾かれたのだ。

「は?硬っ!?」

「魔法だ!ファイアボールを撃て!」

生徒たちが一斉に魔法を放つ。
爆炎と衝撃がスライムを襲う。だが、爆風を受けた瞬間、スライムの表面はカチコチに硬化し、全ての衝撃を弾き返してしまった。

「嘘だろ!?物理も魔法も効かないぞ!」

「最強のモンスターかよ!」

パニックに陥る演習場。
だが、私は冷静にその挙動を観察していた。

普段はドロドロと流動しているのに、衝撃を受けた瞬間だけ、石のように硬くなる。

(なるほど。魔法的な防御障壁じゃない。これは物理特性だ)

私は眼鏡の位置を直すボブに声をかけた。

「ボブ、解析結果は?」

「液体と固体の性質を併せ持っているね。剪断速度に応じて粘度が変化している。……だが、単なる粒子分散系じゃない。魔力が架橋構造をリアルタイムで補強しているようだ」

「正解だ。つまりあれは──」

私は一歩前に出た。

「非ニュートン流体の変異種だ」

私はパニックになる生徒たちをかき分け、スライムの正面に立った。
スライムが私を認識し、巨大な触手を振り上げる。

「レイ!逃げろ!剣でも斬れないんだぞ!」

リックが叫ぶ。
スライムの触手が、鞭のような速度で私に振り下ろされた。
直撃すれば骨砕必至の高速攻撃。

私は動かない。
触手が私の鼻先に迫った瞬間、ボブが指を鳴らした。

「多世界幻影」

スライムの視界に、無数の「私の分身」が映し出される。
単純な知能しか持たないスライムは混乱し、攻撃の狙いを外し、地面を叩いた。

バゴォォン!

地面のアスファルトが砕ける。衝撃を受けた部位が瞬時に硬化した証拠だ。
これこそが「ダイラタンシー現象」。
急激な力が加わると粒子が噛み合って固体化し、力が抜けると液体に戻る。

「つまり、速く動けば硬くなり、ゆっくり動けば柔らかい」

私はスライムに歩み寄った。
だが、私は素手を出したりはしない。

万が一、スライムが身をよじって「内部圧力」をかければ、私の腕は瞬時に拘束され、二度と抜けなくなるからだ。

「ボブ、位置固定。アリス、君はそのまま『安定』を観測してくれ」

私は工具袋から、細い金属棒──実験用のピンセットを取り出した。
さらにその先端に、微弱な「重力場」の膜を形成する。

重力ピンセットの応用だ。
私はスライムの体表へと、その見えない指先を差し出した。

(剪断応力を与えない。粒子をロックさせない)

極限までゆっくりと。水面に指を入れるよりもさらに慎重に。
抵抗がない。
さっき剣を弾き返したのが嘘のように、私の干渉はスライムの体内へとスムーズに侵入していく。

私の感覚が、体の中央にある硬い核を捉えた。
魔石だ。これが中枢神経であり、高分子架橋を維持する演算ユニット。

「捕まえた」

私はコアを掴むと、これまた数秒をけて「ゆっくりと」引き抜きにかかった。
スライムの内部応力をボブの演算で予測し、そのわずかな「緩み」に合わせて引き上げる。

ヌゥゥゥ……ポコン。

私の手元に、緑色に輝く魔石が戻ってきた。
核を失ったスライムは、形状を維持できなくなり、ドロリと崩れ落ちた。

地面には、緑色の液体のほかに、魔法的な架橋構造を失って析出した「白い粉状の沈殿物」が大量に残されていた。

「……は?」

剣を構えていた生徒たちが、ポカンとしている。
私は粘液の付着を最小限に抑えつつ、沈殿物の一部をサンプル瓶に回収した。

「力任せに殴るから硬くなるんです。相手の流体力学的特性を理解すれば、撫でるだけで倒せますよ」

リックが駆け寄ってきて、私の肩を叩いた。

「お前、マジで計算ずくなんだな!……で、このドロドロの死骸はどうすんだ?」

「回収だ。この高分子沈殿物は、乾燥させれば極めて優秀な『衝撃吸収素材』になる。加速器の超伝導コイルを保護する緩衝材に最適だ」

私は鼻歌まじりに回収作業を始めた。

その様子を、校舎の窓から冷ややかな目で見下ろす人物──エリート教師ガストがいた。

「……学院の秩序を乱す異端分子め。私の『熱』で、その冷徹な理屈ごと焼き尽くしてやる必要があるな」

次なる対立の予感を孕みつつ、私たちは貴重な「非ニュートン物質」を抱えて演習場を後にした。

 

(続く)

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