その日の午後。
ミミはたらいと洗濯板を抱えて、近くの小川へやってきた。
ザブッ、ザブッ……。
川の水は、骨まで染みるほど冷たかった。
ミミは感覚のなくなった真っ赤な指先に息を吹きかけ、固形石鹸を洗濯板にこすりつける。
ぷんと、安物の石鹸特有の、古い獣脂のような脂っこい匂いが鼻をつく。
「うぅ……冷たい……」
それでも、冒険者は体が資本だ。清潔にしなければ病気になってしまう。
ミミは歯を食いしばり、自分の下着を揉み洗いする。
その時だった。
ヌルッ。
「あっ!?」
石鹸の泡で滑った手から、お気に入りの白いハンカチが抜け落ちた。
水を含んだ布は重く、あっという間に川の流れに飲まれ、下流へと遠ざかっていく。
「ま、待って!」
ミミは慌てて立ち上がる。
濡れた岩場に足をかけ、懸命に手を伸ばす。
――ズリッ。
足裏の苔が剥がれる、嫌な感触。
視界が大きく傾く。
(落ちるッ!)
冷たい水に顔から突っ込む恐怖。
ミミがギュッと目を瞑り、衝撃に備えた――その瞬間。
フワッ。
落下するはずの体が、見えない温かい風に包まれ、優しく岸へと押し戻された。
そして。
目の前の何もない空間に、「それ」は浮いていた。
さっき流されたはずのハンカチだ。
だが、濡れていない。
それどころか。
まるで――焼きたてのパンのように、白い湯気を立てている。
「えっ……?」
ミミが恐る恐る手を差し出すと、ハンカチは吸い込まれるように掌に収まった。
熱い。
川の冷気の中で、そこだけが異様に熱を持っていた。
ピシッとかかったアイロンのプレス跡。
そして、鼻腔を強烈に刺激する。
――高級な香油のような人工的な花の香り。
川の泥臭さも、安石鹸の脂臭さも、完全に消滅している。
あまりに完璧すぎる「清潔さ」が、薄暗い森の中で逆に不気味だった。
「……なんで?」
ミミはキョロキョロと周囲を見回すが、森には小鳥以外、誰もいない。
ただ、風が揺らす枝の擦れる音だけが、カサカサと響く。
「……そっか。きっとこの川には、綺麗好きな『精霊さん』が住んでいるんだね」
少しだけ背筋がゾワリとしたが、ミミは無理やり自分を納得させた。
ハンカチを胸に抱きしめる。
強烈なバラの香りが、ミミの嗅覚をクラクラと麻痺させていく。
「ありがとう、精霊さん……?」
ミミは川に向かって、引きつった笑顔でお礼を言った。
その「精霊」たちが今。
裏で醜い争奪戦を繰り広げているとも、知らずに。
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【裏トーク:騎士団の秘密チャットログ】
SERVER:至高のミミちゃんを見守る会(Online: 4)
@課金は酸素
回収完了。
時空間魔法『次元掌握』にて、落下するハンカチを座標転移させました。
同時に、瞬間洗浄魔法と乾燥、除菌、香り付け(最高級ローズオイル)を施して返却済みです。
@氷結の獅子
おいコラァァァァァッ!!
なんで返した!?
@課金は酸素
はい?
ミミちゃんの持ち物ですが。
@氷結の獅子
馬鹿か貴様は!!
あれは「ミミちゃんが使用し」「自らの手で懸命に洗っていた」という奇跡のアイテムだぞ!?
なぜ俺に渡さない!
俺の聖剣(国宝)と交換でもよかったんだぞ!
@新入り聖騎士
ちょっと! 抜け駆けは許さないわよ!
私が2億出すって言おうとしたのに!
ていうかゼル、あんた何勝手に「除菌」してんのよ!
ミミちゃんの成分(聖なる汚れ)を洗い落とすなんて、冒涜にも程があるわ!
あの川の泥ごと――『真空魔導パック』――するのが礼儀でしょ!?
@公式カメラマン
……まあ待て、お前ら。
ゼルは抜かりない男だ。
ただ返却したわけじゃないだろう?
@課金は酸素
当然です。
洗浄する前に、ハンカチに付着していた「水分」「汗の結晶」「皮膚片」等はすべて抽出し、保存容器(ポーション瓶)に隔離してあります。
現在、私の研究室の魔導遠心分離機にかけて成分解析中です。
@氷結の獅子
神か。
いくらだ? 言い値を言え。
@課金は酸素
非売品です。
ですが、このデータを元に調合した「ミミちゃんの香り(完全再現香水)」を、後でメンバー全員に配布しましょう。
原液は私が管理します。
@新入り聖騎士
あんた……一生ついていくわ。
(その香水、私の部屋の業務用加湿器に入れて部屋中を満たすわね)
@公式カメラマン
俺は今の「転びそうになって涙目になるミミちゃん」の動画があればそれでいい。
あの「落ちる!」って瞬間の恐怖に歪んだ顔、芸術点が高かった。
@氷結の獅子
よし。
では今夜は、その香水を振りまいた部屋で、その動画を見ながら晩餐会(オフ会)とする。
正装で集合しろ。
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