第69話 未開の南洋リゾート上陸 ~最高のビーチと、最悪なオペレーション~

古代の超巨大空中要塞「デーモン・エアライン」は、どこまでも続く青い海を越え、ついに目的地へと到着した。
眼下に広がるのは、絵に描いたような南洋の楽園だ。

透き通るエメラルドグリーンの海、白い砂浜、そして豊かな緑。
人間界の喧騒から完全に切り離された、まさに未開のリゾート・アイランドである。

「うおおおおッ! 海だぁぁぁッ!!」

要塞が砂浜の近くに錨を下ろすなり、アロハシャツ姿のゼノン様が歓声を上げて海へと飛び込んでいった。

「社長! 準備運動しないと足つるッスよ!」

アンデッド社員たちが浮き輪を持ってその後を追いかけ、ガントは砂浜でビーチバレーのネットを張り始めている。
ミナは早速「映え魔鏡」用の自撮りを始め、アリスはヤシの木陰で冷たいプリンを突っついていた。

完璧だ。

私は要塞のタラップをゆっくりと降り、深く、深く深呼吸をした。
潮騒の音。熱い日差し。

会社の業績は絶好調、株価も安定。法務リスクはヴァイパーが完璧にコントロールしている。
ここには決裁書類も、監査の魔女も、うるさい投資家もいない。

私は砂浜の特等席、大きなヤシの木の陰にデッキチェアを広げた。
最高級のサングラスをかけ、読みかけの小説を開く。

「……ふぅ」

有給休暇。なんという甘美な響きだろう。
私はこの一ヶ月間、絶対に何もしない。ただ呼吸をして、波の音を聞くマシーンになるのだ。

「ミャー。お客さん、見ない顔だニャ。ジュース飲むかニャ?」

不意に声をかけられ、私は小説から顔を上げた。
そこには、腰に葉っぱのスカートを巻いた、現地住民らしき猫の獣人が立っていた。

手にはくり抜いたヤシの実を持っている。どうやら、このビーチで細々と飲み物を売っているらしい。

「おや、現地の方ですか。いいですね、バカンスには冷たいトロピカルジュースが不可欠です。一ついただきましょう」

「わかったニャ! 特製のココナッツミックスジュース、持ってくるニャ!」

猫の獣人は元気に頷くと、トコトコ … と砂浜の向こうへ駆けていった。
私は再び小説に目を落とした。
冷たいジュースを飲みながらの読書。これ以上の贅沢はない。

……三十分後。

「おいクリフ! 一緒に泳ぐぞ!」

海から上がってきたゼノン様が声をかけてきた。

「遠慮しておきます。私は今、究極の休息の最中ですので」

私は時計をちらりと見た。
ジュースがまだ来ない。少し遅いな。

まあ、南国特有ののんびりしたアイランド・タイムというやつだろう。
私は寛大なCFOだ。これくらいは許容範囲である。

……一時間後。

「クリフ、まだ本読んでるの? あたし、もう砂のお城を三つも作っちゃったよ」

泥だらけのアリスが不思議そうに首を傾げる。

「ええ。読書とは贅沢な時間の使い方ですので」

私は本をめくる手を止めた。

遅い。いくらなんでも遅すぎる。
ヤシの実を割ってジュースを入れるだけで、なぜ一時間もかかるのだ?
もしかして注文を忘れられたのだろうか。

……二時間後。

「お待たせしたニャ! 特製ココナッツミックスジュースだニャ!」

ようやく、先ほどの猫の獣人が戻ってきた。
その額には滝のような汗が流れ、なぜか肩で息をしている。

「……随分と時間がかかりましたね」

私は本を閉じ、差し出されたヤシの実を受け取った。
そして、ストローに口をつけて一口飲む。

「……ぬるい」

思わず声に出してしまった。
冷たくないどころか、生ぬるい。直射日光で温められたような温度だ。しかも、味が薄い。

「どうしてこんなに時間がかかったのですか?」

私が尋ねると、猫の獣人は胸を張って答えた。

「注文を受けてから、島の裏側にある一番高いヤシの木まで登って実を採ってきたニャ! それから森の奥の湧き水で洗って、石で三十分かけて割ったニャ!」

「……事前に採って、冷やしておかないのですか?」

「氷の魔法を使える村長は、隣の島に出張中だニャ。だから注文が入るたびに、走って採りに行ってるニャ!」

ピキッ。
私のこめかみで、何かが軋む音がした。

注文が入ってから、毎回島の裏側まで走る?
在庫管理の概念ゼロ。
ワークフローの完全な崩壊。
需要予測の欠如。
冷蔵設備の未整備。

「……つまりあなたは、このぬるいジュース一杯を私に届けるために、炎天下を二時間も走り回り、膨大なコストを無駄に消費したと?」

「ニャ? お客さんのために一生懸命走ったニャ!」

獣人は悪びれもせず、ニコニコと笑っている。
彼らには悪気はない。ただ、圧倒的に非効率なだけだ。

私は深く息を吐き、サングラスを外した。

ダメだ……。

有給休暇中だというのに。仕事のことは一切忘れると誓ったのに。
この極上のビーチで、二時間待たされた挙句にぬるいジュースを飲まされるという「最悪の顧客体験」が、私の神経を逆撫でする。

「クリフ? どうしたの、すごい怖い顔してるけど……」

アリスが後ずさりする。

「……アリス」

私は立ち上がり、デッキチェアを畳んだ。

「え?」

「私はただ、快適に昼寝がしたいだけなのです。この美しい海を見ながら、冷たいジュースを飲んで、静かに本を読みたいだけなのです」

私は鞄の中から、封印したはずの魔導計算機を取り出した。

「ですが、この島のオペレーションは三流以下だ。これでは私の完璧なバカンスが成立しません」

私は猫の獣人を見下ろし、冷徹に告げた。

「案内しなさい。あなたの村の果物保管庫と、加工場、そして運搬ルートへ」

「ニャ?」

「私が、あなたたちの非効率なサプライチェーンを、根本から叩き直してあげます」

私の職業病が、完全に沸騰していた。
自分が休むためだけに、私はこの未開の島の経済システムにメスを入れる決意をした。

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バカンスを満喫するはずが、現地のあまりの非効率さにブチ切れたクリフ。
「この作業動線は最悪です。果物の採取班と加工班を分離し、流れ作業を構築しなさい!」
たった一杯の冷たいジュースを飲むために、クリフの容赦ない業務改善コンサルティングが幕を開ける。

次回、第70話『職業病の発動』
ジュース一杯に2時間? サプライチェーンを改善します。

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