第72話 極上のスパを求めて ~マニュアル化による現地住民のスキルアップ~

村の経済インフラを整え、滞っていた物々交換を世界共通通貨であるマナによって潤滑にした私は、ようやくビーチの特等席へと戻ってきた。

これで明日の大宴会に向けた食材調達は完璧に回るだろう。
私はデッキチェアに腰を下ろし、波の音に耳を傾けた。

私の行動原理は温かい食事と定時退社をはじめとする生活の質の向上にある。
この南の島でのバカンスは、その究極形となるはずだ。

「クリフ様、本当に何から何までありがとうございますじゃ」

村長が、数人の筋骨隆々とした獣人たちを引き連れてビーチまでやってきた。

「お礼と言っては何ですが、当島に古くから伝わる伝統の指圧マッサージをご堪能ください。村で一番腕の立つ若者たちを連れてきましたぞ」

ほう。

私はサングラスを外し、彼らを見上げた。
長時間のフライトと、先ほどの業務改善コンサルティングで、私の肩と腰には疲労が蓄積している。

極上のマッサージ体験は、バカンスのハイライトとして申し分ない。

「では、遠慮なくお願いしましょうか」

私がうつ伏せになると、身長2メートルはあろうかという熊の獣人が、ゴキボキと拳を鳴らして近づいてきた。

「任せとけ、クリフの兄貴。俺の自慢の丸太のような足で、背中の骨が鳴るまで思いっきり踏んづけてやるからよ!」

「待ちなさい」

私は弾かれたように起き上がった。
今、なんと言いましたか。

足で踏んづける?

「おうよ。痛いところに全体重を乗せてグリグリやるんだ。みんな悲鳴を上げるくらい効くぜ!」

私は絶句した。
それはマッサージではない。ただの破壊行為だ。

筋肉の繊維や筋膜の構造を完全に無視し、力任せに圧をかければ、筋組織が断裂して揉み返しが起きるだけだ。
有給休暇中に肉体的なダメージを負うなど、ホワイト企業のCFOとして断じて許容できない。

「アリス」

私は、隣のパラソルでかき氷を食べていたCTOを呼んだ。

「魔王城のデータベースから、人体解剖学、リンパドレナージュ、および筋膜リリースの専門書を検索し、空間モニターに投影してください」

「ええー、またクリフの病気が始まった。せっかくの休みなのに」

「文句を言わずに手を動かしなさい。三流の施術で体を壊されては、明日からの私の睡眠の質に関わります」

アリスが石板を操作すると、空中に巨大な人体のホログラムと、複雑な筋肉の構造図が浮かび上がった。
獣人たちがニャアア!?と驚き、村長が腰を抜かす。

「いいですか、皆さん」

私は彼らの前に立ち、ホログラムの肩甲骨周辺を指差した。

「あなたたちのやり方は根本的に間違っています。力ずくで押せばいいというものではない。筋肉とは、細い繊維の束です。その走行に逆らって圧をかければ断裂します」

熊の獣人が目を白黒させている。

「これより、人体構造に基づいた正しい施術の標準作業手順書を策定します」

私は魔導計算機を片手に、彼らに徹底的な座学と実技指導を開始した。

「そこです。僧帽筋と菱形筋の境目、トリガーポイントに対して、垂直に指の腹を当てなさい」

「こ、こうか?」

「角度が3度ずれています。体重の乗せ方は腕の力ではなく、重心の移動を使って」

「ニャア! 猫の手じゃ押しにくいニャ!」

「猫の獣人には肉球を活かしたリンパマッサージを教えます。末梢から中心に向かって、老廃物を流すイメージで軽擦しなさい」

私は一切の妥協を許さなかった。
少しでも圧が強ければダメ出しをし、解剖学の理論を頭と体に叩き込んだ。

彼らは最初こそ戸惑っていたが、持ち前の身体能力と感覚の鋭さにより、驚異的なスピードで技術を吸収していった。

数時間後。

「どうだ、クリフの兄貴」

熊の獣人の太い親指が、私の肩の最も凝り固まったポイントに、絶妙な角度と完璧な圧で沈み込んだ。

痛気持ちいい、まさに理想的な境界線。
私はデッキチェアにうつ伏せになりながら、思わず深い吐息を漏らした。

「……完璧です」

「やったぜ!」

足元では、猫の獣人の柔らかな肉球が、私のふくらはぎのリンパを滑らかに流していく。

長時間のデスクワークと、魔王様や勇者たちに振り回されて蓄積したCFOの疲労が、文字通り溶け出していくようだった。

「おおお……なんという奇跡じゃ」

村長が震える声で呟いた。

「村の若者たちの手つきが、まるで魔法使いのように洗練されておる……」

「ただマニュアル化しただけです」

私は半分眠りに落ちながら答えた。

「これであなたたちの村は、世界最高峰のマッサージ技術という無形資産を手に入れました。後で王国や他国の富裕層相手に商売ができるでしょう。……ですが、今は」

今はただ、私を休ませてください……

波の音と、南国の風。
刻々と沈む夕日と、その光に照らされた獣人たちの真剣な横顔。
そして、彼らが丹念に作り上げる、最高級のスパ技術という無形の資産。
私の有給休暇が、ようやく、本当に始まった瞬間だった。

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極上のマッサージで疲労を取り除き、いよいよ完璧なプライベートビーチを満喫し始めたクリフ。
しかし、突如として海が荒れ、巨大な触手が波間から姿を現す。
海を荒らすな! 私の昼寝の邪魔をする者は、海の守り神であろうと許しませんよ!

次回、第73話『クラーケンの襲来』
私の昼寝の邪魔をするなら、波のプール担当として雇いますよ。

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