第40話 取り付け騒ぎ(バンク・ラン) ~紙屑になった聖貨と、マナによる完全勝利~

 聖都の中央銀行本店前。
 そこは、この世の地獄と化していた。

「開けろ! 俺の金を返せ!」
「子供の教育費なんだ! 頼む、引き出させてくれ!」

 数万人の群衆が、銀行の重厚なシャッターに押し寄せ、拳を叩きつけている。
 昨夜のリーク映像――「金庫は空っぽ」という事実は、彼らの信仰心を一瞬で粉砕した。
 どんなに熱心な信者でも、明日のパンが買えなくなる恐怖には勝てない。

 ガシャーン!!

 誰かが投げた石が、銀行の窓ガラスを粉砕した。
 それを合図に、怒号は暴動へと変わった。

「泥棒! 詐欺師! キョウヤを出せ!」
「魔導聖遺物なんていらねぇ! 現金をよこせ!」

 衛兵たちが槍を構えて制止しようとするが、怒れる市民の波に飲み込まれていく。
 聖教国が誇る「鉄壁の信仰」は、経済不安という現実の前で、あまりにも脆く崩れ去った。

 ◇

「くそっ、どいつもこいつも! 金、金、金ってうるせぇんだよ!」

 大聖堂の執務室。
 キョウヤは窓から見える暴徒の群れを見下ろし、グラスを壁に投げつけた。

「キョウヤ様、もう限界です! 支店から現金の輸送要請が殺到していますが、そもそも送る現ナマがありません!」

 部下の神官が悲鳴を上げる。
 キョウヤは血走った目で怒鳴り返した。

「うるせぇ! 預金封鎖(キャピタル・コントロール)だ!
 『システムの緊急メンテナンス』ってことにして、全口座を凍結しろ! 1聖貨たりとも外に出すな!」

「で、ですが……そんなことをすれば、さらに暴動が……」

「知ったことか! 俺たちが逃げる時間を稼げればそれでいいんだよ!」

 キョウヤは金庫を開け、自分専用の隠し資産(高純度マナ石)を鞄に詰め込み始めた。
 彼の計画では、バブルの頂点で売り抜けて高飛びするはずだった。
 だが、誰か――あのリークを行ったハッカーに、足元をすくわれた。

「誰だ……? 俺の邪魔をする奴は……。
 クリフか? いや、あいつは資産凍結で身動きが取れないはずだ……!」

 その時、彼の魔導端末が、海外の証券口座からの「警告(アラート)」を告げた。
 聖教国債の大暴落により、彼が保有していた資産価値が消滅したのだ。

 ◇

 同時刻。廃倉庫のオフィス。
 外からは暴動の喧騒が聞こえてくるが、室内は静寂に包まれていた。

「……決まったね」

 アリスが石版(スレート)のエンターキーを叩いた。
 画面に表示された損益グラフは、美しい放物線を描いて「利益確定」の文字を表示している。

「大将。……これ、桁が合ってるのか?」

 ガントが画面を覗き込み、目を白黒させた。
 そこに表示されているのは、ガントが一生かかっても数え切れないほどのゼロが並ぶ数字だ。

「ええ、合っていますよ」

 私はコーヒーを啜り、冷静に頷いた。

「聖教国債の価格は、昨日のピーク時から99%下落しました。
 紙屑同然です」

「いや、ちょっと待て。俺たちが元手に用意したのは、あの手形を換金した13億マナだけだろ?
 それがどう計算したら、こんな天文学的な数字(3,000億)になるんだ?」

 ガントの疑問はもっともだ。
 普通に考えれば、13億を賭けて勝っても、利益は知れている。

「ガント、『レバレッジ(てこの原理)』ですよ」

 私は指を立てて解説した。

「バブル絶頂期、聖教国債は『トリプルA(絶対安全)』と評価されていました。
 キョウヤが不正な買い支えを行い、価格変動(ボラティリティ)を無理やりゼロに抑え込んでいたからです」

「……それがどうした?」

「銀行の魔導知能システムは馬鹿正直ですからね。
 『この資産は絶対に値下がりしない』と誤認し……私に対して、230倍という異常な倍率での信用取引を許可してしまったのです」

「に、230倍だぁ!? 正気か!?
 でもよぉ大将、そんな大量の国債、誰が買ったんだ? 普通なら売り注文だけで値崩れしちまうだろ」

 ガントの指摘は鋭い。
 だが、私は皮肉な笑みを浮かべた。

「キョウヤですよ。
 彼自身の買い支え(PKO)が、私の売り浴びせた3,000億分の爆弾を、全て飲み込んでくれたのです」

「ぶっ! あいつ、自分で自分の借金を背負い込んだのか!」

「ええ。彼の完璧な隠蔽工作が、逆に自分の首を絞める結果になったわけです」

 私は画面上の数字を指差した。
 手元に残った確定利益。

「その総額、約3,000億マナ」

 3,000億。
 それは、株式会社デーモン・ホールディングスの年間売上の6割に相当し、小国の国家予算を遥かに凌駕する金額だ。

「これで我々は、対等以上の立場(リソース)を手に入れました。
 キョウヤは今頃、紙屑になった聖貨を抱えて震えているでしょう」

 経済戦争における勝利とは、相手のライフポイントをゼロにすることではない。
 相手の「未来(資産)」をゼロにし、こちらの「未来」を無限にすることだ。

「……さて。資金は確保しました」

 私は立ち上がり、窓の外を見た。
 暴動は収まる気配がない。
 だがその時、アリスが鋭い声を上げた。

「クリフ、見て! 大聖堂の方、なんか変な光が出てる!」

「……む?」

 見ると、大聖堂の尖塔から、天を突くような強烈な「黄金の柱」が立ち昇っていた。
 それは、アルヴィンが放っていた光よりも禍々しく、そして巨大なエネルギーだ。

『……ちッ、資産価値ゼロ? 俺の積み上げた数字が全部消えただと?』

 街中に、キョウヤの呟きが響き渡った。
 それは、追い詰められた男の、最後の狂気のスイッチが入る音だった。

『……なら、価値の定義(ルール)ごと書き換えてやる』

 ゴゴゴゴゴ……ッ!!
 大聖堂が震え、黄金の光がさらに輝きを増す。

『愚かなる子羊たちよ、静まりなさい……』

 キョウヤの声が、荘厳な響きを帯びて世界を圧する。
 暴徒と化していた市民たちが、ピタリと動きを止めた。

『神は、あなた達を見捨ててはいません。
 金などという俗世の欲に惑わされてはなりません』

 スクリーンの映像が切り替わる。
 そこに映っていたのは、もはや人間としての原型を留めないほどに発光し、空中に浮遊させられているアルヴィンと――その光を背に受けて、神々しく微笑むキョウヤの姿だった。

『今宵、奇跡をお見せしましょう。
 金という概念そのものが、悪魔の作った幻想なのです。
 今この瞬間、私は全ての借金を「免除(徳政令)」し、新たな世界へと皆さんを導きます……』

 キョウヤの目が、狂気でギラギラと輝いている。
 彼は経済で負けたからこそ、経済というルールそのものを破壊(ハードフォーク)し、自分が神になる新世界を作ろうとしているのだ。

「……なるほど。最後まで足掻きますか」

 私は眼鏡の位置を直した。
 相手が「神」を名乗るなら、こちらは「悪魔(監査役)」として引導を渡すまで。

「アリス、ガント。最終工程(フィナーレ)です。
 あの輝く舞台へ……我々も『出演』しに行きますよ」

 残り時間、あと6日と20時間。
 決着の時は来た。

(続く)

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