聖教国エリュシオン、大聖堂の地下深く。
そこは、厳重なセキュリティゲートに守られた「中央銀行ホストルーム」だ。
ひんやりとした冷気が漂う巨大な空間。
壁一面に並ぶ魔導サーバーが、規則的な明滅を繰り返している。
「……ここが、この国の心臓部か」
ガントが物珍しそうに周囲を見回す。
その背中には、役目を終えた赤錆びたマンホール盾が背負われている。
「ええ。ここにあるメインサーバーが、聖教国の全ての決済、送金、そして資産データを管理しています」
私は埃を払い、中央のコンソールデスクにノート型魔導端末を接続した。
隣では、アリスが既に猛烈な勢いでキーボードを叩いている。
「アリス、状況は?」
「セキュリティはザルだね。キョウヤの奴、外側の演出ばっかり気にして、内部の守りはスカスカ。……侵入(ログイン)、成功!」
タンッ!
アリスがエンターキーを叩くと、空中に無数のウィンドウが展開された。
表示されたのは、膨大な数字の羅列――この国の「裏帳簿」だ。
「うわ……真っ赤だね」
アリスが呆れた声を出す。
「国庫の残高、ほぼゼロ。
その代わり、タックスヘイブン(租税回避地)への巨額送金ログが山のようにあるよ」
アリスが画面を指差す。
そこには3,200億マナもの巨額資金が、海外のペーパーカンパニーへ向けて送金処理されているログが表示されていた。
さらに、デーモンHDの5,000億マナも同様に「没収・海外送金」の処理がなされている。
「……終わったか。一足遅かったか」
ガントが絶望的な声を上げる。送金が完了していれば、取り戻すのは不可能だ。
だが、私は画面上のステータスバーを睨みつけ、眼鏡の位置を直した。
「いいえ、まだです。……アリス、その送金の『ステータス(処理状況)』を確認してください」
「え? あ、うん。……えっと、『Processing(処理中)』……?」
「やはり」
私は口元を緩めた。
「国際送金は、ボタンを押せば瞬時に届くメールとは違います。
複数の経由銀行と承認プロセスを通るため、着金まで通常2営業日(T+2)はかかる」
私はガントに向き直った。
「ましてや、今は取り付け騒ぎとSWIFT排除の影響で、回線がパンクしています。
キョウヤは送金指示を出しましたが、データはまだこのサーバーの『送信待ちキュー(送信トレイ)』に詰まっている状態です」
「そ、それってつまり……」
「ええ。まだ郵便ポストに投函される前、玄関に置いてある状態です」
皮肉な話だ。キョウヤ自身が引き起こした金融パニックによる回線遅延が、結果として彼の逃走資金を足止めしていたのだ。
私はアリスに指示を出した。
「アリス。難しいハッキングは必要ありません。
管理者権限で、その送信待ちデータを『物理削除』しなさい」
「なーんだ、そういうこと! それなら簡単!」
アリスがキーボードを叩く。
魔法のような「時間の巻き戻し」ではない。
ただの事務的な「送信キャンセル」だ。
カチッ、カチッ、ターンッ!
【送金キュー:8,200件削除完了】
【処理ステータス:中止(Void)】
その瞬間、画面上の「送金中」だった資金が、行き場を失って元の口座――すなわち国庫とデーモンHDの口座に「戻った」表示になった。
「……完了だよ。
キョウヤが必死に打ち込んだ送金予約、全部ゴミ箱に捨ててやった」
アリスが最後のエンターキーを叩くと、全てのウィンドウが閉じられ、一つのシンプルな残高画面だけが残った。
1. 【デーモンHD口座(凍結解除):500,000,000,000 マナ】
2. 【聖教国・国庫(回収分):320,000,000,000 マナ】
「完璧です、アリス」
私は満足げに頷いた。
これで、凍結されていた5,000億マナを取り戻した。
そして、画面に残るもう一つの数字――3,200億マナ。
これはキョウヤが国民から巻き上げ、私腹を肥やしていた「聖教国の富」そのものだ。
「へっ、すげぇ額だ……。なぁ大将、この3,200億も俺たちの懐に入れていいのか?
泥棒の金を盗んでも罪にはならねぇだろ?」
ガントが目を輝かせるが、私は静かに首を横に振った。
「いいえ、ガント。それをやれば我々もただの強盗です」
私は眼鏡の位置を直し、手元の端末を操作した。
「ご安心を。市場に溢れていた『紙屑同然の国債』は、すでに余った小銭で全て買い占めておきました」
「は? 紙屑を買ってどうすんだよ?」
「これで、我が社は聖教国に対する『最大債権者(オーナー)』になったということです」
私は画面上の国庫3,200億マナを指で囲った。
「この国は破産しました。借金を返せない債務者(国)の資産は、誰のものになると思いますか?」
「……あ! 金を貸してる奴のものか!」
「ご名答。
私は最大債権者としての法的権利を行使し、この隠し財産3,200億マナを『管財人』として管理下に置きます」
これぞ、合法的な国盗り。
武力でも略奪でもなく、「債権」という鎖で国を縛り上げたのだ。
「名目は『復興支援』ですが、実質的には……『この国の財布の紐を握った』ということです」
ガントが呆気に取られた顔をする。
「おいおい……それってつまり、実質的にこの国を乗っ取ったってことじゃねぇか!」
「人聞きの悪い。『M&A(友好的買収)』と言ってください」
自社の資金5,000億マナ。
海外口座にある空売り益3,000億マナ。
そして管理下に置いた聖教国の予算3,200億マナ。
合計、1兆1,200億マナ。
この圧倒的な資本力があれば、聖教国を「魔王軍の優良子会社(経済植民地)」として作り変えることなど造作もない。
私は立ち上がり、回収したデータを保存した魔導メモリをポケットに入れた。
「さあ、行きましょう。
金の計算(BSの整理)は終わりました。
次は……経営陣の刷新、すなわち『人』の処分(リストラ)の時間です」
地下から地上へ。
そこには、拘束された元経営者・キョウヤと、今後の身の振り方を待つアルヴィンたちが待っているはずだ。
残り時間、あと6日と12時間。
魔王城の電源が落ちる前に、全てを終わらせて帰還しなければならない。
(続く)
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